第44話 領域の向こう16

 『図書室』に飛び込んだミズキを動揺した佐々木が迎えてくれる。

「システムは無事?」

「今のところはなんとか。ただ・・・」

「ただ?」

「ハッキングを何度かうけてます。今のところ防げてはいますが・・・。僕だけじゃデータの転送完了困難です」


 なるほど。データの破壊ではなく、のっとりが目的。机の中に厳重にしまっていたチップを取り出す。深呼吸をして自分の思いをもう一度確かめる。


「大丈夫、転送はじめてください。私の方で対処可能」


 アーカイブシステムの転送を開始する。同時に、あらゆる角度で侵入を試みようとする複数のハッキングを確認した。しばらくはミズキの設定していた保護プログラムで対処は可能そうだ。


 ミズキは保護プログラムシステムとは別にチップに入っていたシステムを起動させる。モニターが立ち上がり、ぼんやりとした影が揺らめいてから像を映し出す。懐かしい顔が現れた。


「久しぶりだね。君がこのシステムを起動させないことを祈ってはいたんだけれど」

「先生」


 ミズキの呼びかけに穏やかにうなずく。

 最後にあった時と寸分も変わらない恩師の姿がそこにあった。


 彼は数年前、“ガーディアンプログラム”を開発した。彼の提案した自己犠牲的なプログラムは、当時のミズキには決して許せるものではなかった。何のために自分たちはAIの研究をしてきたのだと、恩師に訴えた。


「君たちはきっと別の道を探し出してくれると信じている」

 恩師はそう言って微笑んだ。だから、それまでは彼自身がミズキたちを守ると。微塵の後悔もないすっきりとした表情をしていた。


 しばらくして、彼が死去したというニュースが大々的に報道された。それと同時に、彼のいたチームが作成したプログラムの驚異的な堅牢さが話題になった。


 まるでガーディアンだ、と手放しで絶賛され、それ以降、彼の作ったセキュリティシステムは「ガーディアン」と呼ばれるようになっていった。


「お元気ですか?」

 とても楽しい冗談をきいたように、恩師は微笑んだ。

「もちろんさ。私は望んでここに来たのだからね」

 ミズキはあいまいに微笑んだ。


「さて、君とはもう二度と会うことはないと思っていたが・・・。チェックさせてもらっても良いかな?」

「お願いします」

「なるほど、だいぶやっかいな状態だね。君のプログラムが敗れてもしばらくは私が直接対処してあげられるとは思う」

「わかってます」

「本当に覚悟はいいのかい?」

 当時は見せなかった後悔のようなものが恩師の声ににじむ。 


「私はずっと先生に聞きたいと思っていたことがありました」

「なんだい?」

 昔と変わらない柔和なほほえみをうかべる恩師の姿は肉体がないとは信じられなかった。

「なぜ、先生は自分を犠牲にされてまでこのバカげたシステムを作ったんですかって」

 恩師はびっくりしたように目をくるりと動かして見せた。

「まさか、「記憶」の開発のスペシャリストの君からそんなバカげた質問をもらうとは思わなかったよ」

 ミズキは微笑んだ。こんな状態でもまだ笑えるんだから、大丈夫だ。

「でも、それも昔のことです」

 ミズキ自身も実際に同じ道を選ぼうとしている。


 ミズキの瞳を覗き込むように、画面の中の恩師が少しだけ近づいたように見えた。そして、かすかに首をふる。

「わたしは、自分を犠牲にしただなんて思っていないよ。もともと私の寿命はつきようとしていた。この世界をどうしようもないところまで追い込んでしまったのはわたしたちの過ちでもある」

 一瞬の静けさ。

「わたしは今が幸せだよ。できうるかぎり、好きなことに専念できる。もちろん、人として、いつかはもっと人間らしいシステムに異動したいとは思っているが。その時は、君の「領域」に引っ越しをさせてもらうつもりだ」

 ミズキは微笑んだ。

「お待ちしています」


 恩師がミズキの言葉を受けて深く頷く。そして、彼の凛とした声が響いた。

「さて、はじめよう。マリ・ミズキ」

「お願いします」

 



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