第43話 領域ー世界の変え方②ー

 事務局の中はひんやりとして薄暗く、エアコンの音が妙に大きく響いていた。指示された席について私はそっとポケットの中のスマフォを取り出す。

 薄いブルーのスマフォ。シンプルで、何のキャラクターも表示されていないスマフォ。私のではない。

 

「あの、充電してもいいですか?」

軽くスマフォを振って充電切れをアピールする。


「どうぞ」

 充電すると同時に先輩が作ったアプリが自動的に立ち上がるのを確認して電源を切った。手に妙な汗をかく。

 本当にこれだけでいいの?と思う。本当にこれだけで。

 

 先輩の願いは叶うんだろうか。


※※

「とにかく吉川は事務局にはいって、スマフォを充電するだけ。これだけ。別に特別なことはしていないんだから。安心して大丈夫」

 あの夕暮れの道で、ケンシを止めるためだと先輩から一つだけ頼まれごとをされた。先輩のスマフォを受け取る時に少しだけ躊躇した。


「あの、何か起きたりするんですか?」

 先輩のことを信じてはいるけど、なんかすごい領域制度に関与する極秘情報とかにだったらビビりの私には無理かもしれない。


「まぁ、想い出の場所を確認するだけかな」

 と、だけ先輩は教えてくれた。この場所の話をするときの先輩は懐かしそうにはなすけど、いつも少しだけ悲しそうだった。

 先輩をもう少しだけ知りたいと思った。

「わかりました」

 私がそう言ってうなずくと、先輩が「頼んでごめん」と小さく頭を下げると、「たぶん、一瞬しか反応しないと思うから、どうしても俺はその時に確認したいことがあるんだ」


※※

 

 先輩は、思い出の場所を確認することができたのだろうか。

ここに来るまでの間にポケットの中で先輩にメッセージは送っておいた。受信の確認はできていないけれど大丈夫だろう。


 先輩のスマフォの電源を切り、ポケットにしまい代わりに自分のスマフォを取り出した。


 事務所の中で働いている管理官たちの様子に変化はなかった。

 奥に座っている男性がちらりとこちらを見て、すぐに興味なさそうにまたパソコンに視線を戻した。その部屋の大人たちの残りは顔を上げることもなかった。


「お待たせしました」

 佐々木さんがPadを片手に戻ってきた。今日はこの前の管理官たちは現れないようで少しほっとする。

「あの場所にいた理由をまずは教えていただけますか?」

 そう言いながら佐々木さんはPadを私の眼の前に差し出す。波のような波形がいくつか表示されてあり、一つだけ赤い色の線がある。


「かすかですがあなたのモバイルから異質な信号を確認しました」

「そんなこと調べているんですか?」

「あなたがあの場にいたことを確認したので調べさせていただきました」

 と、いつもと同じ口調でよどみなく説明してくれる。

「なぜですか?ただ船を見てただけです」

「なぜ、あの場所にいたのですか?」

 全く同じ口調で同じように問いかけられる。


「散歩です」

 そう、と言って佐々木さんが少しだけPadを操作する。いつもより少しだけ砕けた口調に聞こえた。


「じゃあ、これは何?」

 そう言ってPadの画面を私に示す。そこには、私が撮影したケンシの書いた文字の写真が写っていた。


「・・・勝手にスマフォみたんですか?」

 予想はしていたけれど、こんなにすぐに見つかるとは思わなかった。先輩のアプリが疑われた時、私の方に注意を惹きつけられるようにしようとは思っていたけど。


「管理上必要な場合は許可されているの」

 佐々木さんが涼やかに言う。誰にも画像を送ってもいないのに、こんな風に監視されているとは思ってもいなかった。一体どうやってチェックをかけているんだろうか。


 佐々木さんが少しだけ目を伏せて続ける。

「別にすべてのデータを監視しているわけではないので安心してください。必要と判断した場合のみです」


「でも!」

 何も知らないと言うのはさすがに苦しいし、結局ケンシに疑いの目がいくことは避けられない。


「規則は破っていません!」

 奥にいる他のスタッフの人が少しだけ興味深そうに顔を上げる。


 佐々木さんがじっと私を見た。そしてゆっくりとうなずく。

「そうね。確かに」

 綺麗な長い髪がさらりと揺れる。丁寧に瞬きをしてからもう一度私を見つめ直した。


「でも、規則よりももっと大事なことがあるの」

 佐々木さんは髪をゆっくりとかきあげ、はらりと落ちた前髪を直すように軽く首を降った。

「世界を変えてはダメ」

 彼女の大きな黒い瞳の中に小さな私が映っていた。どんな表情をしているのかまでは見えなかった。真っ白な顔で瞬き一つで消えてしまうぼんやりとした弱々しい影だった。

 

   


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