第11話 領域の向こう③
ざんざんと響く波の音が体の中を流れていく。
「きもちー」
ふわふわとした気分の高揚を保ったまま、ミズキは堤防の上にころんと横になった。白い月の光が砂浜や通りを照らし出し、静かな夜の世界を浮かび上がらせていた。
「この島の夜はもっと暗いかと思ってたな」
ミズキがそう言うと、同じように隣に寝転んだ高橋が特に興味もなさそうな口調で、
「今日は満月だし。お前が忘れてただけだろ」
「そうかもね」
ミズキは高橋が言ったことをぼんやりとした頭の中で考えてみた。
満月だということを忘れてたんだろうと言いたかったのだろうか、それともこの島のことを忘れていたんだろうといいたかったのだろうか。
どちらの意味で言ったのか聞いてみたかったけど、そんなことを聞いたら高橋がまた不思議そうな顔をするんだろうなと思った。不思議そうに首をかしげる高橋の表情を想像したらなんだかおかしくなってきた。小学校の時も中学校の時も何度も何度も見た表情だ。この顔だけは忘れない自信があった。
こらえ切れなくなって、くすくすとミズキが笑い出す。
高橋があきれたように「この酔っ払い」みたいな目でミズキをみてきたけど、別に迷惑がってはいなそうだった。
ひとしきり笑ってミズキの笑いがおさまると、海の音だけがあたりに響いていた。体に響くその音は決して小さくないのにミズキはうるさく感じたことが一度もない。東京に出たとき、海の音がきこえないのが不安におもった。遠くで間断なくきこえる車やバイクの音が東京の人にとっての海みたいなものなのだろうかと考えたことを思い出す。
「で、お前なんで戻ってきたの?」
高橋の声が夜に響く。
「んー」
ミズキは今の気分を言葉に置き換えてみようと試みてみたけれど難しかった。
言葉では置き換えがたい感情と記憶のかたまりがミズキの中にあって、混ざり合いながら泳ぎ続けている。言葉で捕まえたとしてもそれはたった一遍だけで全体像ではなかった。
「わたしってさー。説明するの下手でしょ?」
「あー」
今度は高橋が首をひねるように左右に頭を転がして、くるりとミズキの方に向き直った。目の前の高橋の顔はすごく近い。
「下手っていうか他人の速度にあわせた説明ができなんだろうな、お前は」
「なるほど」
「だいぶマシになったみいだけど」
「へへ」
「でも、お前と同じような人がたくさんいるところではものすごく上手く説明できるんだろうな」
なんで、わざわざ帰ってきたんだか、と高橋が付け加える。
お互い言いたいことがまだあるのに上手く言葉にのせられない。
どちらかというとすべてを言葉にのせて伝えてしまうのはつまらないな、とミズキは思った。ゆっくりと両手を頭上にのばして月をつかむように手のひらを広げる。白い光がミズキの両手からあふれ出るようにみえた。
「みてみて。ハンドパワーっぽい」
あきれたような目でミズキをみてから、高橋も同じように手を伸ばして「おぉ」と感嘆した。
その様子を満足げに眺めてからミズキは両手でわっかを作って、その中に月がすっぽりと収まるようにした。ミズキの囲った月はとても小さい宝石のように見えた。
このまましまっていつでも眺めていたいなと思った。そして、今この浜辺で過ごしている時間は自分の記憶の中のアーカイブでずっと重要な位置を占めることになるだろうなと実感した。ここに来てよかった。
「わたしね、」
「おー」
ミズキと同じように月を囲って眺めながら高橋が返事をする。
「この島をぜーんぶ、『図書館』に収めることにしたの」
高橋がミズキの方を向く。首をかしげながらわずかに眉を下げる。
「それが私の仕事なんだ」
静かな夜にとけるような海の向こうから汽船の音が聞こえた気がした。懐かしくて泣きたくなるような音色だった。
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