第10話 領域ー扉の内側④ー

 2回目の領域?どういう意味なのだろうか。

 ショートカットの女の子はミユの質問に視線すらこちらによこすことなくサクサクとコード類を片付けると席を立った。


「今度いろいろ教えてよ。ここのこと詳しいだろうし」

 歩き出した彼女の後ろ姿にミユが軽やかに声をかける。

 でも、その声は私の中に不安しか呼び起こさない。


 こんなに楽しげなときのミユは何かを企んでいる。ミユのことは嫌いじゃない。

 でも、こんな時、少しこわくなる。

 なんとなくミユだけに喋らせておくのはまずい気がして、

「なんか楽しそうだから、私も混ぜてほしいな」

 と、とりあえず思いついたことを口にした。

 

 その途端、後悔した。

 

 吹き出したように笑い出したミユと、ショートカットの女の子が振り向くのはほとんど同時だった。


「あんたたち、うるさい」

 喋った。

 そして、ミユ、というよりむしろ私の方をがっちりみている。

「ハァ、何でそんなに偉そうなのよ!?」

 そこでようやくミユが笑いを止めたけど、私はもう気が気じゃない。

 一触即発。


 深呼吸してからミユを諌めようとしたら、

「マリ、遅れてごめん」

 聞き覚えのある声がした。

 さっきまでマリが座っていたテーブルの脇に少年が立っている。私とミユを見る瞳は深い群青色をしていた。


「あ、」

ミユが小さく声を漏らした。


 さっき私にぶつかった男の子だった。

 ミユは突然、にっこりと微笑むと、妙に可愛らしい声で、「ねぇ、PC得意なの?」と、マリの方に身を乗り出すように話しかけた。ずっと仲良しのクラスメートとして話しをしていたような軽やかさだった。

さっきまでの揉め事の気配は微塵も見せない。


「別に」

 そう言って、呆れたようにため息をつきながらマリと呼ばれた女の子はもといた席に腰をおろす。少年もマリの隣に腰を下ろす。 

 ミユはさらに一歩近づいてにこやかに続ける。

「さっきあったよね?」

 女の子、マリ、にではなく明らかに目の前の男の子に話しかける。

「マリ・・・と知り合いなんだ?私たち講義のクラスが一緒なんだよね」

 そう言いながら、すんなりと二人の前に座る。少年も、

「へぇー、マリがクラスの子と話してるのって珍しいな」

 と、にこりと笑う。

 長めの前髪がかかった青い瞳がさっきと違ってやわらかい。

 

 マリは相変わらずミユには興味がなさそうで、別段さっきの続きをする気はないようだった。男の子はぼんやりと立つ私を見て「あんたも座ったら」と声をかけてくれた。


 なんとなく簡単に自己紹介をしあって、少年の名前がケンシだとわかると、ミユはするするとケンシとマリの関係も聞き出した。

「ま、親戚」

「いとこ?」

 マリが弾むような声で確認をとる。

「ま、そんなところ」

 

 少年がちらりとマリを見てから続ける。

「課題でアプリ開発があるんだ。俺たちは同じチームだから、ここでも開発続けてるってわけ。環境はあんまりよくないんだけどね」

「あぁー、ここだとデータダウンロードするのに時間かかるし、アクセス制限かかっているWebもあるしね」

 と、まるでミユも同じ苦労をして重要なことでも調べているような口ぶりでうなずく。


「ねぇ、今度から私も一緒に勉強させてくれない?」

「え?だって、ミユ・・・」

 アプリの開発なんてちっとも興味ないじゃない、と続けようとしたのに思い切りミユに足を蹴られた。

 ミユが私を振り向いてにっこりと微笑む。

 目が笑ってない。


 中途半端に言葉を切った私を、PCを広げて作業を始めていたケンシが長い前髪の間から覗き込むように少し不審そうに見る。

私がなんでもないというように小さく首を降ると、今度はミユに視線を投げた。

 わずかに目を細めて微笑んでいるようにも見えた。

「興味あるんだ?」

「すんごくある」

「何調べてるか知りたい?」

「知りたい!」

 大きくうなずいて弾けるようにミユが笑う。

 いつも一緒にいる私がちょっとどきりとするくらい眩しい笑顔だった。

 

 ケンシは表情を少しも動かすことなくミユの笑顔を受け取る。ゆっくりと瞬きをしてから小さな子供に言い聞かせるように言う。

「爆弾の作り方」

 きょとん、としたミユを嘲るように笑うと、

 みるみる不機嫌そうな表情になる。

「お前、うるさい。お前とマリのやりとりずっと見てたんだよ」

 

 愛想笑いを封印した途端、まるでマリとは双子のようにそっくりに見えた。

 マリに何か囁くと、すたすたと歩き出す。今度こそ移動するようだ。マリもそのあとについて歩く。ケンシは思い出したようにミユの顔を見て

「そういえば、名前なんだっけ?覚える気ないけど」


その無神経な仕草がなんだか癪に障った。

ミユの方が無神経といえば無神経だし呆れた態度をとっているし、イラッとする私が間違っているのかもしれない。でも、自己紹介はしたばっかりだし、さっきのミユの笑顔は眩しかった。わざととしか思えない。

「・・・ばかみたい」

 私のつぶやきにケンシは動きを止めたが、顔を上げると「ふーん」と言いながら初めて私を認識したように一瞥して薄く笑った。澄んだ青い瞳に影がさす。


「あんたは一番にはなれないよ」


 そう言うと、振り向くことなく歩くマリを追うようにすたすたとPlay Areaを出て行った。 

 いくら何でも意味がわからなすぎると思ってミユとともに怒りを発散しようと思ったのに、ミユはケンシが歩いていくのをぼんやりと見送ったまま何にも言わない。ムカつきすぎて固まった?

「いい」

「何が?」

「スゲェ、いい」

「だから何が?」

「ケンシ」

「・・・えぇ!」

 思わず二人が去って行った方を振り返る。別棟に向かう十字路の先に小さく後ろ姿が見えたけど、あっという間に街路樹に隠れて見えなくなった。姿が見えなくなった途端にミユがフゥ〜と大きくため息をついて堰を切ったように喋り出した。


「実は前から気になってたんだよねー。ちょっとだけ見かけたことがあって。なんか頭良さそうだし。なんか想像以上だったし。あの辺に媚びない感じとかたまんないんだけど。あとあと!さっきの子猫みたいな表情も。わかるわかる?」


「・・・全然わからないんだけど」


「もー、ひまりって本当に“深み”ってもんがないんだから。まぁ、男の趣味かぶるよりいいけどさ。男同士で群れてる奴らばっかじゃん最近。そんなのちっともかっこよくないんだけど」


 群れないかっこよさは確かに憧れる。どちらかというとマリの方が私は魅力的だった。凛と伸ばした背筋がかっこよかった。

「そういえば、あのマリに言っていたことどういう意味?」

「え?」

「2回目の領域って」

 領域を経験するのは1度だけのはずだ。

「あぁ。あとで教えてあげる」

 そう言って意味ありげに笑ったミユはさっきまでケンシの前でキラキラとした笑顔を振りまいていた女の子とは別人のように見えた。

 

 ちょうどその時、「うっしゃー」と向井原先輩の声が聞こえた。見学者からも歓声が上がる。心地よい暑さがようやく戻ってきた気がした。先輩の姿だけはどれだけ離れていたってすぐにわかる。気配を感じるだけで小さなこの世界の中で心おどる何かを見つけられる。ずっと続けばいいのに。そう思った。ミユと笑って、先輩を目で追って、ミユのためにたまにはあのケンシの相手をしてあげたっていい。少しだけマリとも仲良くなりたい。

 

 そうやって私たちがケンシとマリと知り合ってミユの恋が始まった。その日が私たちの幸せで完璧な夏休みの始まりの日だったのか最後の日だったのか、よくわからない。


 翌朝、たった一つの禁止事項が破られたから。

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