第9話 領域ー扉の内側③ー

 ベンチで座って涼もうと思って近づくと、バスケットコートの方から声をかけられた。

「吉川ー!何してんのー」

 笑いを含んだその声を聞くだけで、私の心臓は跳ね上がる。

 顔を上げなくたって誰だかわかる。


「向井原先輩こそ、このクソ暑い中何やってるんですかー」

 ミユがからかうように返事をして、私の方をちらりと見てニヤついた。


「見て分かんないのかよー!」

わざとらしく眉をしかめて見せながら先輩がミユに言い返す。

向井原先輩は高校の先輩で・・・私がここの生活を全力で楽しめる一番大きな要因だ。うっすらと額ににじんだ汗をTシャツで拭いながら先輩が続ける。

「学校対決でバスケすんだよ」

「じゃあ、先輩の勇姿をひまりがしっかり撮ってあげないと。リア充感満載でよくない?」

 なんだよ、リア充って、と先輩が破顔する。


「俺はリア充狙いのSNS発信なんてしねーよ。記録には興味ないんだ。吉川、

ちゃんとここで試合見てけよ」

 そう言って先輩はニッと笑ってコートの方に戻って行った。


 隣でミユがもう一度ニヤッと笑ったのがわかったけど、私は「ハイ!」と精一杯元気にうなづいた。体温が軽く2度は上がったはずだ。

 先輩は他の学校の子達と戯れるようにコートの中央に戻ると、軽やかにボールを弾ませた。ボールの音が心地よく響く。


 試合が始まるとともにコートの周りには炎天下にもかかわらず続々と見学者が集まってきて、みんな口々に応援を始めた。

「ひまり、もっと前に行かなくていいわけ?」

「いいよ、別に」

「本当かなぁ」

「ここからの方がよく見えるんだって」

「強がりー。あ!ほら、センパイ入れたじゃん!!」

 

 ミユがそう言って一歩後ろに足を引く。そこでいきなり足を滑らせて、しりもちをついた。

「ちょっと、大丈夫?」

「イッタァ」

 と、ミユが顔をしかめる。

「何よこれ」

 ミユが足元に広がるコード類に目をやる。隣にいた男の子をミユが睨んだら、全力で首を振って、後ろを指差した。振り向くとショートカットの女の子がこちらを気にすることなく、淡々とPCを操作している。


 ミユがものすごく不機嫌そうな声で文句を言う。

「ちょっと、あんたさぁ。邪魔。そこ、PCのコネクターなんでこんなにつないでんのよ。すんごい迷惑なんだけど」

 隣にいた男の子は関係ないのにびっくりして口が開いている。 

 ミユは黙っているとふんわりとした可愛らしい雰囲気を携えているから一度素が出るとそのギャップが激しい。

 周囲の子達がチラチラと振り返る中、ショートカットの女の子だけがミユの存在にまるきり気づいてもいないかのようにちらりとも顔を上げない。

 ムッと眉をしかめるミユを見て、まずいなと思った。 


 ミユが激しい怒りを見せる女の子はキャップを深々とかぶってPCを見つめたままちらりともこちらを見ない。相手になるつもりはなさそうだっだ。

 コートの方から歓声が上がる。

 私が振り向くとちょうど先輩がこっちを振り向いて不思議そうに首をかしげているのが見えた。先輩の見ている前であんまりもめたくない。

 眉間にしわを限界まで寄せ始めたミユに、

「いいじゃん、怪我もなかったんだし」

 と声をかけ、作業を邪魔したお詫びくらいのつもりで相手の女の子に「ごめんね」と声をかけた。途端にミユの怒りがこちらに向くのがわかる。

「なんで謝る必要があるのよ!」

 押しころし切れていない声でミユが私に詰め寄る。

「いや、ほら、試合見ようよ」

 と言って、ミユの腕を引っ張って後ろに下がった途端に、何かを踏みつけて、ヒューとシステムが落ちる音がする。あわてて足の位置をずらす。

 ショートカットの彼女は小さくため息をついて諦めたようにPCを閉じた。

「ごめん」

 慌てて彼女に謝る。

「ちょっと、ひまり何謝ってんのよ」

「ごめんって」

 今度はミユに謝る。

「ごめんじゃないわよ!私たちあやまる必要あった???あんたも一言ぐらい喋んなさいよ」

 そう言って、ミユは彼女を指差した。ようやくその女の子はうるさげに少しだけ顔を上げた。マニッシュな雰囲気の綺麗な顔をしていた。ミユがさっきまでと違う表情でまじまじと彼女をみている。様子が違う。

「ミユ?」

 声をかけた私を無視して、ミユが口をひらく。

「ねぇ、講義のクラス同じだよね?」

 マリは目をちらりとミユに動かしてうなずいた。

「ふーん。やっぱり」

 ミユが満足そうにうなずいた。今度は彼女もじっとミユを見返す。ガラス玉みたいに透き通った綺麗な瞳だった。

「ねぇ、2回目の領域って楽しい?」

 ミユが満面の笑顔で話しかける。

 2回目の領域?どういう意味なのだろう。領域管理官でない限り、領域にくるのは1回だけのはずだ。ミユは私の方を振り向くことなく、完璧な笑顔で微笑み続けている。 

 こういう笑顔で笑うときのミユはあまり良いことを考えていない。

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