第7話 領域の向こう②
「えぇー、おねえちゃん、今日一緒におふろはいってくんないのー」
従姉弟のユウトがミズキにしがみついて泣きべそをかく。島に戻ってきてから3日。親戚まわりもおちついて、ようやく友人たちと会う時間がとれそうだと思っていた時に高橋から連絡があった。
何人か友人を集められそうだから、ミズキも来ないかと誘われた。二つ返事で行くと答えて出かける準備をしていたら、すっかりミズキと遊び気満々だったユウトにみつかって泣かれてしまった。
「ごめん、ごめん。ケンちゃんと今日はあそんでね」
「えー、ケンちゃんとぉー」
不満げに頬をふくらます。
ケンは泣きべそをかくユウトを尻目に黙々と絵本をよんでいる。
昔の自分に近いのはこっちのタイプだな、と思う。今度海に一緒に遊びに行くと約束をしてようやく解放された。
一歩家を出た途端に夕焼けに包まれ、足をとめる。
高台にあるこの家からは島の西側の街並みとその向こうに広がる海がよく見える。
浜辺はオレンジ色に染まり、海は様々な色味が溶け合いながらゆらゆらときらめいている。街は一日が無事におわった象徴のように均一な夕暮れにすっぽりとおさまり、山の端から徐々に夜が訪れ始めていた。
夏の風がミズキの髪をなびかせる。急がなきゃ遅れるな、と頭の片隅で考えながらミズキは飽きずにその風景を眺め続けた。
ようやく動き出したときには街も海もすっぽりと夜の中に包まれていた。
「ミズキ―!!」
指定されたお店に入った途端、甲高い声が迎えてくれた。ひとつ年下のカナだった。
「おー!久しぶり、カナも島にもどってたんだ」
確か岡山の大学に通ってそのまま就職したときいていた。
「去年もどってきてカフェ始めたんだ。つーか、おそいよぉー」
「ごめんごめん」
懐かしい顔が10人ほどそろっていた。みんな一様に記憶の中の姿をとどめながらすっかりと大人になっている。
「いやー、みんなおとなになったねぇ」
「ミズキが一番化けてんなぁー」
そう言って、すっかり赤くなった顔で手をふっているのはキョウタロウだ。
「化けたってなによ」
「人間っぽくなった」
手元にあったおしぼりを投げつけると、全然かわってないなとみんなからからかわれた。矢継ぎ早にくるみんなからの質問にこたえながら、何度目か分からない「かんぱーい」と言い合い流れる時間がとても新鮮だった。
ミズキは高校入学と同時に一人で東京に引っ越した。
時折、法事などでは帰ってきていたけれど、なかなかこうして昔の友人たちと集まる機会がなかった。
大学を卒業してからは仕事もいそがしくなり、この前ここに戻ってきたのがいつだったのかも思い出せない。
順繰りと皆の顔を眺めてから、年季の入ったこの店のしつらえにも目をやる。
茶色くなったメニューに交じって、ちらほらと有名人のサインのようなものが飾られている。
昔はなかったな、と遠い昔に親に連れられてここにきたときのことを思い出した。
いつも親たちが酔っぱらうのを眺めつつ、カナや高橋たちと最後は店の前で鬼ごっこをして遊んでいた。
普段出歩くことのない夜にはしゃげることがとても楽しかった。
あの頃は何でも楽しかったな、と思う。
ささいなことで毎日が彩られていたはずなのに、一瞬のきらめきや不思議を逃すことなく小さなミズキたちは毎日を過ごしていた。
今は鬼ごっこもせずにジョッキ片手でこうして時間をすごしているのがまだ少し不思議な気がした。
「ミズキって大学からずっと海外に行ってたんでしょ?」
皆が思い思いに酔っ払い、お互いが好きなことを好きなだけ喋るような雰囲気になってきた頃にカナが思い出したようにきいてきた。
「うん。AIの研究しながらずっとアメリカにいて、そのまま就職してたんだけど」
「えー!やめたの??もったいない」
そう言いながらもジョッキに入ったビールをグィグィと飲み干す。
「なんだったら、うちで働く?」
「ううん。転勤」
カナはこぼれ落ちそうなくらいに大きな目を見開いてジョッキから顔を上げる。
「はぁー?どこに」
「ここに」
ミズキがそう言って、床を指すと間髪いれずに、「嘘だ」とカナが眉をしかめた。
「本当だって。ここは世界的に有名なんだよ」
「いやいや、そりゃ観光客はすごい増えてるよ。だから私もカフェ始めたんだけどさー」
この古い店にも、いかにも観光客といった若い女性たちがいっぱいいる。よく見ると西欧系の人々も多数混じっているようだ。
「カナのお店ってどの辺にあるの?今度行くよ」
話題を変えようとミズキが尋ねたら、新しく届いたワインを嬉しそうに受けとってから、
「来て来て!西側の海の近く。昔、おばあちゃんがお店やってたとこ」
と、カナがテーブルの水滴を使って地図を描いてくれた。西の海の海岸沿いの通り、と思える線を引いて、「この辺」と指し示す。
「昔、よくアイス買いに行ったねー」
「このへんなーんにもなかったんだけどさ、今この林のあたりに色々作ってるみたいなんだ」
カナが指し示した水滴をじっと見つめてミズキは微笑んだ。
カナの旦那さんが女の子をつれてむかえにきたのをきっかけに飲み会は解散となった。恥ずかしそうに隠れる女の子はカナにそっくりで、今度はユウトとケンも一緒に連れてきてもいいかもしれないとミズキは思った。
夜の楽しさを味あわせてあげたい。そんなことを言ったら姉にしかれるかもしれないな、とふわふわした頭で考えていたら、ふいに夜遊びついでに海にいってみたくなった。
男性陣はどうやらまだまだ飲み足りないらしく、もっと本格的に飲めるバーに移動する気らしい。ミズキはそぅっと皆の輪から離れて海に向かって歩き出そうとしたら、「お前、大丈夫?」と頭上から声が降りてきた。
「お、高橋」
「お、じゃねえよ」
「きょう全然喋んなかったね」
「まあ、俺はこの前船で話したし。他のやつと色々話したいことあるだろうなって思って」
そう言って、ミズキの家に続く坂に向かって高橋が歩き出す。どうやら送ってくれる気らしい。こういうやつだったなぁと、思い出す。中学時代、部活や文化祭の準備で遅くなった時にはいつも高橋と一緒だった。高橋の家はもう少し集落よりの便利な道を通って帰ることもできるのに。
「高橋、帰るの?」
「え?お前まだ飲むの?」
「違う。ちょっと付き合ってよ」
にんまりと笑うミズキの顔を不思議そうに見つめながら、高橋は何にも言わずにうなずいた。
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