第5話 領域ー海の国③ー


 海で存分にミユと笑いあってから私たちはゆっくりと宿舎に向かって歩き出した。靴下はいい感じに乾いたけれど靴はさすがに乾かなくて、靴を履かずに歩くことにした。アスファルトの熱が靴下ごしに伝わって、「地球と一体化している」なんて感じた。太陽が熱を持っているんだと初めて実感した。


 宿舎までの道のりは日陰がなくてあっという間に噴出すような汗に顔中をおおわれる。地元のおばさんたちの言う通り、海には夕方に遊びに行くのがいいのかもしれない。


 ここに来るまで「領域」に召集されたことに正直不安を覚えていたけど、今ではすっかり夏休み気分を満喫している。


 キーン、と空の上で小さな金属音がした。

「ここではまだ飛ぶんだ」

 少し前までは日常の一コマだった風景を思い出す。低く飛ぶのは基地が近いのだろうか。それとも標的を追っているのだろうか。

「あれ、旅客機だ」

 青く遠い空に向かってミユが呟いた。

「リョカクキ?」

 聞きなれない言葉だった。

「旅行用の飛行機」

「へー」

 確かに私の記憶に残っている戦闘機とは比べ機体は随分とゆっくりと空を横切っていった。ミユはその間、ずっと空を眺めていた。「ミユ詳しいね」と尋ねようと思ったけれど止めておいた。私たちの多くは幼い頃に直接的にしろ間接的にしろ攻撃の影響を受けている。その時のことはなんとなく聞かない暗黙の了解になっていた。

「ねぇ、もう行こうよ。喉渇いた」

「そだね」


 海沿いの道は長く伸びて果てが揺らいで見える。数歩先を歩くミユの足元にできた濃い影がアスファルトの白さを引き立てる。夏の特徴はまじりけのない明るさじゃなくて影の濃さなんだなと思った。


 夏真っ盛りのこの島で、私たちはほとんど行動に制限をされていない。島の中は基本的に自由に歩き回っていいし、海にだって行き放題。まさに天国なんじゃないかという気もしてくる。食事も宿舎のおばさんが作ってくれるし、お掃除の係りの人もいる。私たちに課せられたのは勉学に励むこと。そして、たった一つの禁止事項。どちらも大したことじゃない。


「ねぇ、ひまり〜」

 手でパタパタと仰ぎながらミユが、

「向井原先輩、彼女と別れたらしいじゃん」

 私はただでさえあったまっている頭の中がさらに熱くなるのがわかった。

「へ、へぇー・・・」

「なーに、知らないふりしてんのよ!くそー、うらやましい!」

 ばん、と思い切り、ミユに背中を叩かれた。冗談にしては結構痛い。

「邪魔してやる」

「や、やめてよ」

 ミユが足を止めてにこりと微笑んで髪をかきあげた。海の気配が染み込んだミユの髪からふわりと夏の匂いが漂う。

「なにその笑い・・・」

「別に〜」

「ねぇ、なにその笑い」

「別に〜」

 ミユはひらりとスカートをひるがえすと、道の先に見えてきた林の入り口に向けて軽やかに走り出す。私もあわてて後を追うけど、暑さに負けているのかミユのように体が動かない。


 遅れて林の中に飛び込むと樹々の陰の濃さに一瞬だけ目がくらむ。

 ゆっくりと目を開ける。


 濃い影がひんやりと広がって、足元から濃密な土の香りが漂ってくる。ゆっくりと踏みしめるように足を出すと柔らかな土の感覚が足先から伝わる。新しい一歩を踏み出すと甘いような苦いような何層にも重ねられた匂いが新たに香る。

「ミユ?」

 先に飛び込んだはずのミユの姿が見えない。乱立する木の影に潜んでいるのだろうか。枝葉が重なり合って空はほとんど見えないのにさらさらとこぼれ落ちてきた日差しが地面の上で揺らめく。

「ミユ?」

 もう一度呼びかけた。

 さわさわと揺れる梢の音はさっきまでいた海辺の音よりもずっと小さいはずなのに自分の声がかき消されてしまうように不安だった。


 しんとした静かな世界に自分が溶けて消えてしまいそうな気がした。それが怖いというよりは、心地良いんじゃないかと思える自分自身が少しだけ怖かった。


「ひーまり、何ボーッとしてんの?」

「うわ。どこに隠れてたのよ?」

「ずっと後ろにいたって。あんたが気がつかなかったの。それより、見てよ。やっぱここまで戻ってくると本当に電波入んないんだけど」

 ミユがスマフォをブンブンと振って顔をしかめる。

「はじめはそんなことなかったのにね」

「そう、ここ3日くらい」

 私たちの宿舎は海に近い林の中に立っている。ホテルとか旅館とかじゃなくて「宿舎」。林の周囲は海沿いの一部を除いて壁で囲まれている。冗談半分で壁を超えて外に出ようとした男子生徒がいたらしいけど、壁に触れた段階でセキュリティスタッフがやって来て拘束されてしまう。最近ではそんな無茶をする生徒はいなくなったみたいだった。


 その壁のせいか宿舎では指定の電波を使う以外はネット接続が難しい。

「中に入ったらwi-fiつなげばいいじゃん」

「私の部屋だと微妙に電波悪いし。それにチェックできないサイトがあるなんて最低」


 宿舎のなかではwi-fiが使えるけどSNSの接続に制限がかかっていて見れないサイトがある。勉強しに来たんだろうと言われたらそれまでだけれど、これまでの人生で唯一浴びるように摂取することが許されていた情報を制限されるなんて耐えられないと嘆く子もかなりいる。


 セキュリティの人に訴えた話も聞いたけど、「普段はそんなことはありません、ってこっちが悪いように言われた」と嘆いていた。

「あー、つまんない。早くさっきの海の動画アップしておけばよかったな」

「この林もいい感じじゃない?」

「えー?なんか暗くない?あーでも、あの扉の怪しさはPhoto向きかもね」


 木漏れ日の落ちる林に明らかに不似合いな巨大な鉄の扉が立ちはだかっている。私たちの宿舎の入り口だった。守ってくれるにもほどがある。私たちすらセキュリティチェックがおわるまで中に入れてもらうことができないし、もちろん出ることもできない。唯一の例外は事務所の入っている建物だろうけど、あんなところにわざわざ入り込んでまで脱走を謀る子はいないだろう。


 一体何からわたしたちを守っているのだろうか。

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