第4話 領域の向こう①

 どどどど・・・と、体全体に鈍くひびく音をたてて船がスピードを落とした。ミズキが甲板にあがるともう港は目の前で、見知った顔がこちらに向かって大きく手をふっていた。帽子を右手でおさえながら、左手を大きく振りかえす。


「お姉さん、あぶないよ」

 接岸の準備をはじめたスタッフがミズキを邪魔そうにちらりとみる。

「ごめんなさい」

 そうこたえて、そのスタッフが懐かしい知り合いだと気づく。「高橋?」よびかけると、スタッフが怪訝そうに顔をあげる。ミズキをみても何も思い出さないようだ。


「わたしだよ」

 自分で自分を指さして、「わたし、わたし」と繰り返すミズキをこれ以上ないくらい不審そうにながめると、「はぁ」とごまかすようにうなづいて持ち場に戻ろうとして、急にくるりとミズキの方にむきなおった。

「おまえ・・ミズキか!?」

「やっと気づいた?」

「なんかお前・・・白くなったなぁ」

 久しぶりにあった感想がそれかよ、とも思ったけれど、確かにすっかり不健康な肌色にはなったかもしれない。大学を卒業してからほとんど日光を浴びない生活を続けてきたせいか、この島で高橋たちと走り回っていたころとはだいぶ変わっているのかもしれない。髪も切りに行く暇がなかったからすっかり伸びてしまった。


「高橋は、おおきくなったねー」

 中学のころはミズキよりも小さかった少年がすっかりと大人になっている。今もミズキと話しながらもてきぱきと接岸の準備やら安全確認やらをぬかりなく進めている。ミズキの中でとまっていたこの島の時間が動き出したことを実感する。


 生まれ育った瀬戸内海にあるこの島はここ数年で世界的に有名となった。様々なアーティストがこの島を訪れ、作品を発表し、アートの島として多くの観光客が訪れるようになっていた。最近では、中立的な色が強いせいかわざわざ政治的な会合などもこの島で開かれているのを耳にしていた。懐かしいものは何も残っていないのではないかと心配もしたけど、高橋の顔を見て安心した。やっぱり、自分の決断は間違っていなかったと確信する。ここでなら研究を完成することができるはずだ。


「お前、高校でここでてからほとんど帰ってこなかったもんな。帰省?」

「ううん」

 高橋の作業をながめながらミズキはこたえる。ゆっくりと船が港に近づき、港で待つ人たちの声が届き始めた。「おねえちゃーん」と、小さな手をいっぱいにふる従姉弟の姿もみえる。「おかえりー」とおおはしゃぎでミズキのことを出迎えてくれている。

「わたしね、ここに住むんだよ」

 高橋がびっくりしたように顔をあげる。

「ウソだろ?だってお前・・・」

「ここに『図書館』を作るんだ」


 高橋は不思議そうに首をかしげる。小さなころからこうだったな、とミズキは懐かしく思い出した。ミズキが思いついためちゃくちゃな遊びや「実験」の話をこんな顔をしながらもいつも最後までつきあってくれたのは高橋だけだった。肌にうける潮風を感じながら、ミズキは帰ってきたと実感した。やはりこの風、この匂い、この色。すべてがこの島にしかない特別なものだと思った。ミズキにとって一番守りたい特別な世界は間違いなくここだった。透きとおるような青い空がどこまでもつづいていて、空色をぐんと濃くした深く青い海が彼方までひろがっている。

「かえってきたよ」

 誰に言うでもなくミズキはつぶやいた。

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