第3話 領域ー海の国②ー

 

 領域について1週間経った。私たちの「領域」は海に浮かぶ小さな島だった。


 その小さな島にあるものは海だけ。ようやく生活に慣れてきて、勇気を持って散歩に出てみた。

「昔懐かしい味のアイスが食べれます!だってさ」

 誰かがアップした情報を読み上げる。

「昔なつかしい味って美味しいの?」

 ミユは不審気だったけれど、他にめぼしい情報もなかったので行ってみることにした。海の側にある小さな売店のアイスは永久凍土から発掘されたみたいにカチンカチンだった。

 なんだか古風なパッケージを見て、ミユは「これまだ食べられるの?」とやっぱり不安そうだった。私はずっと遠い昔に私たちみたいにここを訪れた子達もこうやってここでアイスを買ったりしたのかなと思った。

 ミユにそう言ってみたら笑われた。


「しっかり文化教育の影響受けてるじゃん」

「住んでたのかな、ここに人」

「『疎開』してたんじゃないの?」

 ミユが覚えたての言葉を使う。


 ずっと昔には大きな戦争があって、その当時の子供たちは疎開したと聞いた。今ではほとんど聞くことのない「国」という単位の戦争。ひいおじいちゃんとかそれくらいの時代。ずっとずっと昔のこと。永久凍土のアイスですら届かない遠い昔の時代だ。エリアの歴史に疎い私たちはその距離をいつも計り兼ねてしまう。

「アツーイ」

 ミユが片手で太陽をさえぎって顔をしかめる。

「夏だねー」

 私も同じように額の上に左手をかざす。

 足を止めて、目の前に広がる景色に目をやった。


 どこまでも海が広がっている。海の驚くほど深い青にちらちらと白い波が立つ。

 すぐ目の前に見えた波打ち際までは思ったより距離があった。右手に持ったアイスが溶けてポタリポタリと雫をたらす。足元の砂山はさらさらとしていて私が動かなくても静かに形を変え続けていく。日差しが痛いなんて感覚は初めてだ。海の匂いは思っていたような爽やかなものじゃなくて、正直、臭い。そして、VRで感じたアロマの柔らかい香りとともに流れるような風はどこにもなくて、ごうごうと風が髪を巻き上げていく。

「VRで見た海とはやっぱ全然違うじゃん。なんか髪がパリパリする」

 ミユは必死で髪を押さえながら不愉快そうに眉をしかめた。

「うわ、ショッパー。なめてみなよ」

 髪を少し口に含んで驚いた。水につかってもいないのになんだか塩くさくなっている。この驚きをミユにもわかってほしくて誘ったのに、

「いやよ。ひまりってなんか時たま男子だよね」

 呆れた顔で断られた。

「どういう意味よ」

「気にしない気にしない」

 ひらひらと手を振りながらミユはさらに進んでいく。

 私もゆっくりとそのあとについていく。

 

 ミユは不快そうに顔をしかめている割に思い切りよくサクサクと波打ち際に向かって歩いていく。すごい勢いで溶け始めたアイスを器用に舐めながら、案外にはじめての海を満喫しているようだ。私はそんなにうまく適応することができなくて、できるだけ砂が靴の中に入らないように恐る恐る歩いていく。ものすごく気をつけて歩いているつもりなのにざらざらとした砂がいつの間にか靴の中にまで入り込んでくる。そして、砂に気を取られている間に溶けてしまったアイスがボタリと落ちた。しまったと思って、残りのアイスをあわてて口にする。一瞬だけひんやりが口中に広がったけど、あっという間に幻のように消えてしまった。


「ねぇ、靴はいてても暑いんだけど」

 耐えきれず先を行くミユを呼び止める。

「んー?」

 立ちどまる気がなさそうな返事が返ってくる。仕方なく、私もまた歩き始めながら、ふと思い出した。

「なんか砂風呂とかあるよね?」

「お風呂に砂入れるの?掃除大変じゃん」

「そうじゃなくて、お湯の代わりに砂に入るの」

「一緒じゃん」

「ちがーう!海で入るんだよ確か」

「裸で海水浴ってこと?」

「うーん、なんか違う気がする・・・」

「一緒じゃん・・・いやぁ!!いきなり波がこっちまで来た〜!!」

「うわうわうわ・・・つめたーっ!!」

 足元ばかり見ていて全然気づかなかった。まだまだ安全だと思っていたのに勢いよく流れてきた波があっという間に私たちの足元の砂をさらっていく。逃げる間もなくて足首まですっかり海水に浸かってしまう。


 ミユときゃーきゃー叫びながら、こんな風に大声をあげてはしゃぐのはすごく久しぶりだなと思った。

 

 VRで見た海や海を模したドーム型のアトラクションプールとは全然違う。

 空の色や砂の感じも同じように作ってあったのに、今まで知っていると思っていた景色とは何かが全然違っていた。


 足元で動く砂は身体中にまとわりつくし、潮風はくさくて、髪はごわつく、海は冷たくて泳ぐ気にはなれない。でも。気だるい暑さも体にまとわりつく砂もVRとは違う質感を持っている。

 それに。

 どこまでも広がるこの空と海はすっごく魅力的だった。「領域」と言われるこの場所で初めて遮るもののない景色を見た。大学はやっぱりエリア外に行ってみたいと思った。移住区以外を訪問できるチャンスなんてそれぐらいしかないんだから。

 ひとしきり騒いだミユと私は、濡れた靴と靴下を乾かすために堤防の上でごろりと転がった。背中からじんわりと伝わる暑さが心地よい。空調がコントロールされていない空間に出るときは熱量に気をつけないといけないとは聞いているけど、日焼け防止にタオルで顔を覆っていると直射日光も和らいでなんだかこのまま眠れそうだ。

 さっきまで轟音にしか聞こえなかった波も風もいつしか体に馴染んでいた。

「向こう側にもいつか行けるのかな」

 夢見ごごちの気分で思わず呟いた。

 すでに寝落ちしているよう見えたミユがふりむいて、

「『領域』を無事に卒業できたら、どこかには行けるんじゃない」

 そう言ってスマフォをひろげる。

「ほら。去年卒業した先輩のSNS。他のエリアの領域にある大学に行ったんだって。本物の山があるらしいよ」

「大学があるところもあるんだ」

「有名だったんでしょ。昔は」

 先輩が投稿した画像が浮かび上がる。いく通りもの木々の色が重なって、道の向こうは霞みがかったように空にとけて見える。どんな匂いがするんだろうか。寒いんだろうか暑いのだろうか。快適な状態にコントロールされたドームの中の人口マウンテンとはどんな風に違うのだろう。さっきまでは違いなんてないと思っていたのに、その土地の空気の違いを感じてみたいと思った。

 ミユが次の画像を表示させる。映画に出てくる怪物のようなものが写っている。

「ねぇ、これ何?」

「蛾だって。超キモいんだよね」

「あぁ、これが」

 奇妙な形態のその昆虫は、すごく小さな頃に見たことがあった。まだ比較的自然へのアクセスが許容されていて、都市間の移動も自由にできた頃のことだった。富士山が見える湖の近くのコテージで夏を過ごした。お母さんは肩に止まったその虫を見て、びっくりするくらい大声で叫んで、それを見たお父さんが笑いながら虫を外に逃がしていた。「家族旅行」というものだったのだろう。

 

 それからすぐに全世界的な「エリア制度」が導入された。

 少しだけ昔の人はずるいなと思った。

「ひまりはなんだかんだ変な虫とか食べてそう。ちょっと、ヤダ、その臭い靴下こっちに投げないでよー。ごめんって」

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