黒い食べ物

 ミーナと言い争ったおかげで喉も乾いて頭はヘトヘトだった。こいつとの会話は普通の二倍カロリーを消費するような気がする。俺は手にしていたビニール袋の中身を取り出した。ペットボトル入りの紅茶と板チョコ。コンビニに行く時は毎回と言っていいほどこれを買う。俺の体の半分はこいつで出来ている。

 板チョコの紙包みを外して銀紙を破いた。ミーナは不思議そうにその様子を見ている。俺が口に運ぼうとした時、彼女が目を見開いた。

「ま、真っ黒です!悪魔の食べ物です!」

「だから悪魔じゃねーよ。これはチョコっていう食べ物。この世界には無いのか?」

「ありません…そんな食べ物。そんなもの食べてるから髪の毛とか真っ黒になっちゃうんですね」

「んなわけねーよ…」

「うー…怪しいです…」

 そういえば俺の髪と目の色を初めて見た時も同じ反応だった。この世界では黒い色の物体が少ないらしく、そしてその色はみ嫌われているらしい。ということは、ゴマや胡椒もこの世界に無いんだろうか。どうも俺がいた世界とこの世界の差がよく分からん。

 俺はチョコを一かけら割ってミーナに差し出した。

「ほら、やるよ…」

「毒入り……」

 俺は差し出していない方のチョコをかじってみせた。

「俺が今食べてるだろ。毒盛って仕返しなんかしねーよ。お前を守ることはあっても、傷つけることはないから。お前に何かあったら元いた世界に帰れなくなる」

 ミーナは受け取ったチョコを色んな角度から眺めたり、匂いを嗅いだりしている。この世界にとっての当たり前が俺を驚愕させたように、その逆もあるってことを改めて実感した。何だか原始人に未来の食べ物を与えているようだった。

 自分を炭にしようとした相手に何をやってるんだかって気持ちもあったが、ここまで来ると逆に清々すがすがしい気分になっていた。それに俺の焼却処分の魔法に失敗していたあたり、こいつの魔導士としての攻撃力は恐れるに足らないものだろう。

 それからミーナは手にしたチョコを舌でペロっと舐めた後、リスみたいにカリカリかじり始めた。

 少しかじった所でミーナが口をぐっと抑えて目を見開いた。

「ん゛っ……ん゛っ……ん゛っ……」

「お、おい!大丈夫か!?」

 喉に詰まったか?いやそうじゃない、体に毒だったんだ。チョコの中にこの世界の人間には食べられない成分があったんだ…。くそっ!ちょっと考えれば分かることだったのに。早く救急車を…ってそんなものこの世界にあるのか!?


「んまーーーーーーーーーい!!」

「は?」

 ミーナが空にに向かって叫んだ。そして目を輝かせて鼻と鼻が当たるくらい顔をぐっと近づけてきた。チョコと彼女の甘い匂いが鼻先に届いた。

拓海たくみさん何ですかこの食べ物!私こんなもの初めて食べました!すごいです!おかわりください!!」

「まぎらわしいリアクションすんな!!」

 いまどき小学生でもそんな引っかけやらねえってのに…。あまりに原始的すぎて思いっきり釣られてしまった。それに『初めて食べました』ってそりゃ当たり前だ。

 いや待てよ…。このリアクションの良さ。いいこと思いついた。

 俺は立ち上がって銀紙に包まれた残りのチョコを上に掲げた。ミーナが俺の肩に手を当て、チョコを目で追った。

「交換条件だ!」

「はい!」

 完全に餌付けしてる絵づらになってしまった。思いっきり動物扱いだ。まあ、でもこっちは殺処分されそうになったんだ、おあいこだ。いやこの程度じゃ余裕でお釣りがくる。

「いいか、お前はその魔導書まどうしょとやらを徹底的に調べる。それで、俺を元いた世界に帰す方法を見つけだすこと!OK?」

「らじゃー!」

 ふっ…ちょろいもんだぜ。


 ミーナは早速、鼻息を荒くしながら魔導書まどうしょをパラパラとめくり始めた。まさかこんな物が役に立つとは思わなかった。これだけこいつを魅了してしまったところをみると、悪魔の食べ物という呼び名のもある意味間違っちゃいない。まあ、俺もその黒い板にとりかれた人間の一人なんだが。実はコンビニのビニール袋にもう一枚入っている。それはもしもの時の切り札として取っておくことにした。


 ただじっとしている訳にもいかないので、俺もミーナの隣に座った。二人でチョコをちょっとずつかじりながら、一緒に魔導書まどうしょを見ることにした。彼女と話をしながら少しでも眺めれば中身が読めるようになるかと思った。でも相変わらず書いてある文字は理解不能だった。例えば『火』を意味する文字が、別のページでは『水』を意味していたりと、とにかく法則性が全く無かった。

 ミーナいわく魔導書まどうしょに使われているのは魔法専用の文字で、一般の文字とは全く異なる体系をしているらしい。魔力を持つ者なら意味が頭に直接入ってくるとのこと。読めるようになっておきたいところだが『頭に直接入ってくる』というのが少し恐ろしい気がした。


「ところで拓海たくみさん。このチョコっていう食べ物は超高級なんですか?」

「いや、こんなお菓子、俺のいた世界ならどの店でも売ってたよ」

「素晴らしいですね。確かニホンという国でしたっけ。ニホンは神の国ですね」

「ま、まあ…悪い国じゃねえとは思うよ……」

 まったく調子がいいやつだ。最初は悪魔の国だとか言ってたくせに、この手のひら返しよう。まあ、自分の都合で国を良く言ったり悪く言ったりするのは、俺のいた世界でもよくあることだ。

「ちなみになんですが、この激うまお菓子を売ってるお店の電話番号とかって知ってますか?作ってるお店でもいいです」

「お前電話かけた相手にチョコ持たせて、こっちに拉致しようと考えてるだろ!」

「な、何言ってるんですか!ちょっ…ちょっとチョコの作り方を教えてもらおうと思っただけですよ…チョコだけにちょこっと……ははは」


 得体のしれない相手からの電話はとらない方がいい。それは異世界への招待状かもしれないから。電話の先には十代前半でパッチリまなこをした金髪ツインテールで、チョコと人の人生を天秤にかけてチョコを取るような魔導士まどうしがいるかもしれないから。


 俺は実はかなり危ないものをミーナに与えてしまったのかもしれない。この子は電話番号とおそらく名前のような簡単な情報があれば、この世界に人を引っ張ってくることができる。ミーナがチョコ欲しさに、適当な番号に電話をかけて向こうの世界の人間を拉致する可能性は十分考えられた。被害者をこれ以上増やさない為にもこいつの動向に目を光らせておく必要がありそうだ。

 俺は人知れず、地球の住人を守ることになった。異世界に来たならもっとこう、すごい魔法とか超能力をバンバン使えるようになって、世界レベルで平和を勝ち取るのが王道のはずなのに。年下の女の子がイタズラ電話しないように見張ることが俺の役目だなんて。スケールが小さすぎる…。


 案の定ミーナは魔導書まどうしょをちゃんと全部読んでいなかった。ページを進めながら時折『へー』とか『なにこれ』と口にしていた。雑学本でも立ち読みしているような反応だった。そこにいちいち突っ込んでいては、時間がいくらあっても足りないので、とにかく読み進めることにした。

 でもミーナが魔導書まどうしょの全てを把握していなかったのは不幸中の幸いだった。まだ読んでいないページに俺を元の世界に送り返す魔法があるかもしれないからだ。


 魔導書まどうしょ内の探索を始めて一時間ほど経った。このぐらいの時間が経つとちょっと嫌な予感が頭に浮かんでくる。やっぱりそんな魔法無いんじゃないかと。

「なあ、ミーナ。この本って何ページあるんだ…」

魔導書まどうしょの中身はページではなくて魔法の数で数えるんですが…五千魔法ぐらいです…」

 多すぎる…。完全に予想外だった。一つの魔法の内容を確認するのに大体五分かかるとして…。うん、その先は考えたくない。ひょっとしたら何か月単位を覚悟しないといけないかもしれない。本気でこの世界でしばらく生きていく事を考える必要がありそうだった。それに全部読み終わったとして、結局帰る魔法は書いて無いと分かった時のダメージが半端じゃない。

 ミーナもそのことには薄々勘付いているようだった。読む手を止めてちょっと不安そうな顔をこちらに向けてきた。最初に包みを開けたチョコも丁度全部食べ終わっていた。

「なあ、この本には目次みたいなものは無いのか?もしくは転送するような魔法だけをまとめた章とか…」

「ごめんなさい。魔導書って書かれている順番に法則が無いんです…」

 諦めムードになり二人同時に薄くため息を吐いた。ミーナは眠たそうな目でページを適当にバサバサとめくり始めた。

 『一旦考え直すか』と言おうと思ったその時、ミーナが突然何かを探すようにページをめくり始めた。

「見つけたのか!?」

「ちょっと待ってください!」

 しばらくしてページをめくる手を止めた。そして、ふんふんと言いながら食い入るように内容を読み始めた。そして、俺にぐいっと顔を向けた。目をぱちくりさせて俺の瞳をじっと見つめてくる。俺の求めていた言葉が彼女の口から飛び出した。

「見つけました!」

「でかした!」

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