森の中の女の子

 木漏こもれ日の光で目が覚めた。かすかに吹いた風に乗って生きた木の香りが届く。手に土と草の感触がした。体を起こして見渡しても人工物が見当たらない。木に囲まれた空間に俺はいた。どこかで小鳥が鳴いている。


 記憶を掘り起こしてみた。真夜中にコンビニへ行って、帰る途中で女の子からイタズラ電話がかかってきて…。手にはその時買い物をしたビニール袋がちゃんとある。夢を見ていたわけじゃない。確か倒れて死にそうになったはず…。どうなってるんだ。時間も場所も、紙を真っ二つに引き裂いたみたいに完全に断絶だんぜつしていた。体はむしろ軽いと感じる。風邪が治った時の長い睡眠の後みたいに…。俺は死んだのか?この森は人生が終わった奴が辿り着く場所なんだろうか。


 その時、近くの木の陰に誰かがいるのがチラッと見えた。俺から身を隠すようにして、何やらボソボソつぶやいている。女の子だと気づいた。その瞬間、その子は俺の前に飛び出し、広げた右手を真っ直ぐこちらに向けて叫んだ。

「せい!」

 ボフッ……

 枕をベッドに叩きつけた程度の爆発音と共に、その子の手の平からプスプスと小さな煙が上がった。

 沈黙。

 そのまましばらく見つめ合った。

 透き通るような金髪をツインテールでまとめた女の子だ。緑色の大きな目をパチクリさせている。その高貴なアンティークドールを思わせるガラスのような瞳に意識がすっと吸い込まれた。


 小鳥の鳴き声が聞こえた。


「あっ…」

 小さな声を漏らすと、女の子はまた木の陰にサッと隠れた。

 今、俺に何をした?というか誰?もしかして、気を失う前に電話をかけてきた子なのか?声の印象と背格好は一致している気がする。


 立ち上がって近づいてみると、その子は飛び上がるように俺から離れて口を開いた。

「あ、あ、あなたは…悪魔ですか?」

「何言ってるの?」

「だ、だって…真っ黒な髪に、真っ黒な目。悪魔の色です!」

 いきなり指を差されて悪魔呼ばわりされた。髪と目の色をそんな風に言われたのは生まれて初めてだった。でも不思議と不快感はなかった。そんな見方をする奴が世の中にはいるんだなっていう新鮮さの方がまさっていた。

「だって俺、日本人だし…」

「ニホン…何を二本持っているんですか。…まさか!!」

 女の子が俺の股間を見ながら後ずさった。

「いやいや、日本っていう国の名前」

「悪魔の国……ニホン…」

「だから悪魔じゃないって。世界一安全な国だよ日本は。俺はただの人間。それより君は…俺に電話かけてきた子だよね。名前は確か…ミーナ?」

「はい…そうです…」

 やっぱりそうだった。俺にイタズラ電話してきた子だ。

「そっか。まー、聞きたい事はいろいろあるんだけど。ひとまず、ここが何処か教えてくれる?あと、君はどこの誰?」

 おそらくこの子が俺に何かしたんだろう。それは後で確認するとして。まずは連絡先でも聞いて一旦家に帰ろう。

 多分この子は海外からホームステイでもしている中学生だ。日本のカルチャーに惚れ込んで、どこぞのゲームキャラのコスプレでもしているんだろう。女の子が羽織はおっているコートがそう思わせた。無駄にたくさん付いたベルトや西洋風の凝った装飾、街中じゃまず見ない一品。茶色のブーツや黒いニーソックス、ちょっと短めのスカートなんかは普通っぽく見えるが。


「ここは…ホワホワっていいます…あのー、あなたが居た所とは…別の世界です。わたしは魔導士まどうしです。あっ、正確にはまだ見習いなんですけど…」

 ばつが悪そうにミーナという女の子が答えた。どこまでも自分の設定に忠実な子だ。

「いや、そうじゃなくて。本当の場所を…」

 そこまで言ったところで絶句した。ありえない光景が目に飛び込んできた。猫が通り過ぎた。女の子の頭上を。羽をパタパタさせて空中を駆けていった。さらに色違いのやつが二匹三匹と現れ、後を追いかけていく。あんな動物、俺の知っている世界には存在しない。走り去る猫たちはどんどん小さくなり、やがて木々の向こうに見えなくなった。手品や錯覚じゃない、ごくありふれた日常の一部としての存在感と葉をかき分ける音がした。ここ、本当に別の世界…なのか…。

 ミーナが小首を傾げて、少し困ったような笑顔を浮かべながら言った。

「えーっと、観光でも…していきません?」

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