第十九章 おっさん、男泣きする
その数日後。
私たちサークルメンバー一同は、成田空港のターミナルビルの展望デッキに集まっていた。
「いよいよ行っちまうんだなあ、加護野君――」
「ですね」
私の隣には北島さん。
早くも感極まったのか、しきりに鼻をすすっている。
当初は出国手続きのカウンターのあたりまで行こうという話も出たのだが、こんな素性の分からない見ず知らずのおっさん連中が大挙して押しかけてしまうと、事情の分からない加護野君のご両親は相当戸惑ってしまうだろう、そういう意見も出たのでここからにしよう、ということになったのだった。
「寺崎さんは寂しくないんですか?」
「そりゃ寂しくないなんて嘘は言えないよ。でもさ――」
尋ねる林さんに私は答えた。
「私が鍛えた弟弟子が決めた一世一代の挑戦なんだから、笑って見送る、そう決めたんだ」
「確かにそれはそうですね。うん、そうだ」
弟のように可愛がってくれていた林さんとて、寂しくない訳はない。でも、笑う。
「で、さ。加護野君がどの飛行機に乗るんだか、誰か分かってるのかねえ? どうなの?」
「龍ヶ峰さんが調べてある、ってさっき言ってたんだけど、見当たらないね」
「肝心な時に、何処行っちゃったんだ、ウチの会長は。もう」
チビ・デブ・ノッポの鈴広さん・駒井さん・大木さんが、さっきから困ったような顔であちこち見回している。周りには他にも見送りに来ている人が大勢いるものの、確かに龍ヶ峰さんの姿だけ見当たらない。これだと単なる飛行機マニアの集団になってしまう。
「あ! いた! いましたよ! おーい、会長ー!」
見つけたのは山城さんだ。子供っぽい仕草で跳ねるようにして大きく手を振ると、龍ヶ峰さんは微笑みで応え、我々の方へとゆっくり歩み寄ってくる。辿り着くなり龍ヶ峰さんは、右手に見える駐機中の飛行機を迷わず指さした。
「加護野君の乗る便はあれですね。今、搭乗中の頃合いです」
それから龍ヶ峰さんは、言い訳するように手の中に握った黒い筒を一同の前に差し出した。
「肝心なこれを、駐車中の車の中に忘れてきてしまったので取りに戻っていました。遅くなって申し訳ありませんでした」
「それ、例のポスターですよね? ここで見るんですか?」
そう言った岡田さんに龍ヶ峰さんは頷き返した。
「加護野君に何度も念を押されましてね。絶対に旅立つ前には見て欲しくないと。しかし、皆さん楽しみにされていてもう待ちきれないでしょう? せっかく全員揃っていることですし」
誰も声には出さなかったが、それには皆賛成だった。本来であれば、加護野君がいる前でこの中身を見て、直接自分たちの口から感想を伝え、喜びを分かち合いたかった。だが、本人が断固拒否するものをこちらの感情だけで強行する訳にもいかない。
(僕の決心が鈍らないように――)
加護野君はそう言った。
一体、このポスターには何が描かれているというのだろう?
「ああ。いよいよ動き出しましたね――」
そうこうするうちに、加護野君の乗った飛行機は定刻どおりに滑走路へとゆっくり進んで行く。我々はその様を固唾を呑んで静かに見守ることしかできない。
と――。
「さて、もう開けてしまいましょうか。私たちの声が届くうちに、ね?」
そうこともなげに言って、龍ヶ峰さんが、きゅぽん、と音を立てて黒い筒の蓋を引き抜く。少しばかり性急な行動に、他のメンバーはぎょっとしたのだが、たちまちその視線は丸められたポスターを喰い入るように見つめた。
「あ――」
誰の口から出たのか。ごくり、と唾を呑み込む音も聞こえた。
鈍く鱗を輝かせる一匹の巨大な黒い竜。しかし、蹲り、横たわるその姿は既に息絶えたもののようだった。でろり、と舌を出した頭部のあたりでガッツポーズを取っているのは――。
「ははは、こりゃ俺だな」
北島さんが、すん、と鼻を鳴らして笑った。
そこからさらに長い首の方へ辿ると、アンバランスな背丈で仲良く肩を組み、勝鬨を上げている三人の姿がある。
「こりゃ私たちだね」「よく似てる」「へへへ」
鈴広さん・駒井さん・大木さんの三人はお互いを小突き合い、嬉しそうに笑っていた。
さらに辿り、力なく地に伏せられた赤黒い被膜を張った翼の脇には、剣を担いで胴体の上に腰かける者と、その前で大地に剣を突き立て、がっちりと握手を交わす者たちが。
「何だか見晴らしの良い場所貰っちゃったな、特等席だ」
「岡田さん、恰好良いっす」
「林君こそ。それにしてもよく似てるなあ。でも、ここまでしゃくれてないぜ。ったく」
山城さん・林さん・岡田さんも目を細めて笑っている。
そして、皆を優しく見守りながら、まだ見ぬ敵に狙いを定めるのは。
「ここで私ですか。ふふ。ここまで二枚目に描かれると案外照れるものですね」
龍ヶ峰さんはそう言い、最後の一巻を広げる。
そこには――。
「何だよ、ちゃんと書いてくれてるじゃないか、私の弟弟子は」
私と。
肩を組んで喜び合っている少年の姿が。
懐かしい満面の笑みがそこにあった。
「何だよ……ちゃんといるじゃないか、ここに。ほら……加護野君はここにいます」
言葉が舌にまとわりついて思うように出なくなる。
なのに――勝手に涙が溢れて止まらなくなる。
笑って見送る――そう決めたのに。
できなかった。
もうできなかった。
「加護野君!」
震える声で私は叫びを上げた。
「私はずっと君と一緒にいたかった! ずっと一緒にいたかったんだ! 楽しかったんだ! ただ……毎日が楽しくて……! でも!」
皆の手が私の肩に優しく触れる。
暖かくて力強い仲間たちの手が。
「もう君は一人じゃない! たとえ異世界だろうが、君は一人で歩いて行ける! 私たちがいるから……ずっと一緒だから! がんばれえええええ!」
絞り出した叫びが、加護野君の乗る飛行機をどこまでも天高く押し上げていく。
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