第十八章 おっさん、眩しさに目を細める
翌週、加護野君はサークル活動を休んだ。
そしてその翌週も加護野君はサークル活動を休んだ。
ポスターを仕上げているんだろうな、そう思っていた私は、今度はあまり慌てずに済んだ。
しかしそれは、そのさらに翌週の出来事だった。
「あ、あの……皆さんに聞いて欲しいことがあるんです!」
加護野君は『会議室A』の中央に立ち、一際大きな声を張り上げて言った。
そして、ぐ、と力を込め、一つ頷くと、続きの科白を口に出した。
「僕、このサークルを辞めることになりました――」
「え……!?」
そんな馬鹿な!
足元の床が急に消え失せてしまったかのような不安感が私に襲いかかってきた。他のメンバーも動揺を隠せない様子で、ただおろおろとするばかりだ。ただ一人、龍ヶ峰さんだけは表情を崩さなかった。じっと加護野君を静かに見つめている。
私は震える声で問う。
「ど、どうしてだい、加護野君!? 何か……嫌な事あったのかな?」
「そうじゃないんです、寺崎さん。違うんです」
私を見つめる加護野君の瞳には、並々ならぬ決意が漲っていた。
「僕、イタリアの学校に通うことに決めたんです。だからなんです」
「イ――イタリア!?」
「僕が通っている美術予備校に、本格的に美術を学ぼうとする高校生の交換留学生がいないか打診が来まして……それに僕が選ばれたからです。是非挑戦してみたい、そう思ったんです」
「そ、そうか……それは良かった……」
我ながら覇気の欠けた気の抜けた返答しかできなかった。もっと喜んであげないといけないのに、そう分かっているのに、その時、私の心に去来したのは喩えようのない虚無感だった。
それを見てしまった加護野君の表情もまた、複雑に歪んだ。
だがそれを、無理矢理笑みの形に変えて言う。
「そ、そんな顔、しないでください、寺崎さん! 僕がこの話を受けることを決めたのは、寺崎さんの、兄弟子の一言があったからなんですから!」
「え………………?」
「他の誰かに僕を心から理解してもらうためには、僕の絵が必要なんだって言ってくれたじゃないですか! それに絵だったら、たとえ言葉の一切通じない、異世界の住人たちにだって僕を分かってもらえるだろって! だから、極めなきゃ、って! だ……から……!」
加護野君は突然声を詰まらせ、子供のように泣きじゃくり始めた。
「僕だって! こんな僕だって、何かができる! それを皆さんが教えてくれたから! 一人じゃない、そう教えてくれたから! だから僕は! イタリアに、異世界に自ら飛び込んでいく道を選んだんです! 皆さんが異世界でも生き残る術を教えてくれたから、もう怖くない! たとえそこが、どんな世界であろうとも! どんなに酷く、苦しい現実であろうとも!」
そうか、あの時の――。
畜生、悔しいくらいに恰好良いじゃないか、私の弟弟子は。
眩しくて、直視ができないくらいに。
「やってやれ。やってやれよ、加護野君! 君ならできる! 絶対にだ!」
「はい!」
私の一言で、メンバー全員が、どっ、と加護野君の下へと寄り集まる。皆の瞳にも涙が見えた。だが、哀しい顔をしている者はもういなかった。皆一様に満面の笑顔で加護野君を叩き、子犬をあやすようにわしゃわしゃと撫で回し、それぞれ思い思いの感情と言葉を手向けた。
一しきりそれが終わると、その光景を微笑ましく静かに見守っていた龍ヶ峰さんが加護野君の瞳をじっと見つめ、こう告げた。
「とうとう私たち『異世界召喚予備軍』から、初の召喚成功者が生まれましたね! 私からも祝福の言葉を述べさせていただきます。加護野君、おめでとう! そして頑張ってください」
「はい! ……あの、最後に一つだけ、お願い、良いでしょうか?」
「何でしょう?」
そこで加護野君は、ずっとその手に握っていた例の黒くて太い筒を差し出した。
「引き受けていたサークルのポスター、完成させてきました! ただ……これを見るのは、僕がイタリアに旅立った後にして欲しいんです」
「それは、何故ですか?」
「僕の決心が鈍らないように、です。これを皆さんと一緒に見てしまうと、僕は……ずっとこのまま、皆さんと一緒にいたいな、って思ってしまうと思うので。なので……済みません」
「分かりました。約束しましょう」
龍ヶ峰さんがそれを受け取る。
そして、代わりに龍ヶ峰さんは一対の木の剣と盾を差し出した。
「これって……?」
「私たちが君に贈れるのはこんな物しかありません。これは、君の剣と盾です。遠く離れようと、我らは同士、同じ志を持った仲間です。貰っていただけますか?」
「もちろんです!」
そうして龍ヶ峰さんは最後にこう言った。
「もし君に、辛いことがあれば、哀しいことがあれば、いつでもここを訪ねてきてください。私たちはきっと、この『会議室A』で、この『異世界召喚予備軍』で変わらず活動を続けていますから。ずっと――ずっと」
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