45 神 千里の日常 -12-

「とーしゃん、アキちゃんとかーしゃん、おにわにいゆよ~。」


 広縁から聞こえる咲華の声に、複雑な気持ちになりながら中の間に寝転ぶ。


 今朝…千秋から電話があった。

 明日、日本を発つ。

 だからその前に…知花と二人で話をしたい、と。


 今日は俺も知花もオフで。

 ばーさんはお弟子さん達と何かの芝居を観に行って、義母さんは健康診断?どこかのメンテナンスをして来るとか何とか言って出かけた。



「午後からの数分だけなら。」


 そう言ったものの…その数分がすげー長かった。

 華音と咲華を連れて公園に行って。

 わけもなくダッシュをかました。

 おかげで…俺も華音もクタクタだ。


 …どういうわけか、咲華だけがピンピンしてやがる。



「え~?アキちゃんいゆの?」


「あしょこ。」


 咲華の声を聞いて、俺の隣に寝転んでいた華音が起き上がった。

 …二人がどんな顔して話してるかなんて…見たくねー。

 完全に惚れてはなかった。って言ったクセに、何なんだよ…ちくしょー。


 バカ正直に『二人で話したい』って言われたら…

 断れねーだろーが。



「アキちゃーん!!」


 ふいに、華音と咲華が大声で千秋を呼んだ。

 …ふっ。

 いいぞ。

 邪魔してやれ。


 そう思う俺と…


 もし…もし、知花が困ってるなら。

 …許せ、知花。


 そう思う俺もいる。


 ガキの頃から周りに期待しかされてなかった千秋。

 出来て当然と思われてた千秋。

 頭が良くて不器用な千秋。

 俺の…自慢の、大事な兄貴。


 その千秋が、少しでも…夢を見たいのなら。

 …許せ…知花。

 俺が、少しだけ目を瞑る事。

 許してくれ。



「とーしゃん、アキちゃんとかーしゃん、おててちゅないでゆよ?」


 わざわざ二人が中の間まで報告に来る。


 …くそっ。

 千秋め。


 そう思う反面。


 玄関までだ…しっかり夢見ろ。

 …なんて、矛盾だらけだ。



「…母さんは、ゆっくり歩かなきゃいけねーからな。アキちゃんが助けてくれてるんだろ。」


 目の上に腕を置いたまま、そうつぶやくと。


「かあしゃんあかちゃんいゆもんね~!!」


「ろんもたしゃけてくゆよ!!」


 二人は大声でそう言って、駆け出しそうになった。


「待て待て待て待て。」


 飛び起きて二人の腕を掴む。


「アキちゃんと母さんは、どこ歩いてた?」


「んっと…しゃんだんめぐやい…」


「…なら、もうすぐ帰って来るから。大部屋に行って、お茶でも入れて待っててやろーぜ。」


「おちゃ、あしょこあゆよ?」


 華音が指差した方に目を向けると、まさに広縁に…湯呑が二つ。

 それを見て、俺は数分だけのつもりだったのに…かなりの時間を千秋に与えてしまってた事に気付いた。


「……それなら、もういいな。」


「いいよ~。」


 何の事か分からないはずなのに、そう答えた咲華に笑って立ち上がる。

 そして、小さく溜息をついて…前髪をかきあげた。


「迎えに行くぞ。」


「いくよ~。」


「いくじょ~。」


 華音と咲華を従えて、玄関を出る。

 すると…


「ああ、おかえり。」


 目の前に、千秋がいた。


「…おう。」


 手は…繋いでない。


 俺が手元に視線を向けたからか、知花が少し困った顔をした。


「知花。」


 名前を呼びながら手を差し出すと、知花はハッと顔を上げて…千秋の顔を見てから、俺の手を取った。

 千秋は、そんな知花の様子を…優しい目で見てる。



「…まだ庭を見たいな。良かったら一緒に池を見に行かないか?」


 俺と知花が並んでるのを見たくないのか、千秋が華音と咲華にそう言ったが…


「…いけ、こあいよ…?」


「しょうよ…アキちゃん、いけいったら、たべあえゆよ…」


 二人は俺の足元で泣きそうな顔になった。



 もらった瞬間から超絶嫌われてた、カンナの言う『幸せの神様』は。

 二人が好奇心から覗き込んでしまう池の岩に置いた。

 その力たるや、相当な物で。

 毎日遠巻きに池を眺める事はあっても、覗き込むほど近くには行かなくなった。


 万が一、俺がそれを手にしようものなら…


「やだああああ~!!ぎだい~~!!」


「とーしゃん!!なんでもってゆの~~!!」


 二人は大泣き(笑)



「ふっ…」


 俺が思い出して笑うと、千秋が首を傾げた。

 そんな千秋を見た知花は。


「実は…好奇心旺盛過ぎて、池を覗き込んじゃうんで…苦手な人形を置いてるんです…」


 肩をすくめて言った。


「人形?」


「ああ。カンナにもらったやつ。ローマでは有名な神様の人形らしいけど、華音と咲華にとっては地獄の番人ってとこだな。」


「……」


 そんなものには興味を持たないはずの千秋は、わざとらしく視線を池の方に向けた。

 そして一歩足を踏み出す…フリをした。


「らめよ~!!」


「アキちゃ~ん!!」


 二人に手を掴まれて、必死に止められた千秋は…


「…そっか。ダメか。」


 ほんのり嬉しそうな顔で二人を見下ろした。



「…茶でも飲もうぜ。」


 知花の肩に手を掛ける。


「あ…うん。」


「アキちゃん、おちゃしゅゆよ~。」


「おうちはいりましゅよ~。」


 子供達の声を背中に受けながら、俺は知花と大部屋に向かった。

 見下ろすと、知花も遠慮がちに俺を見上げてて。

 目が合った瞬間、鼻で笑ってしまった。

 そんな俺を見た知花は少しホッとしたようで…ゆっくりと髪の毛に唇を落とす。


 …千秋の夢は、今日…ここで終わりだ。

 もう、これ以上引っ張らせたくない。

 だとしたら…



「千秋。」


 振り返ると、千秋は玄関先に立ったままだった。


「…帰るよ。」


「あ?」


「このまま…じーさんちに帰って、明日の朝一番に発つ。」


「…そっか。」


「ああ。」


「…どこに?」


「さあ。空港で決めるかな。」


「何だそれ。」


「俺はいつもそんなもんさ。」


「……」


 次は…いつ会える?

 そう聞きたい気もしたが…飲み込んだ。

 約束出来るほど、簡単な事じゃない。


「居場所が決まったら、連絡する。」


「…分かった。」


「……じゃ。」


「待ってる。」


「……」


「連絡、待ってるから。」


「……」


 俺の言葉に、千秋は小さく笑って…手を軽く上げた。



「え…見送らないの?」


「いいさ。」


「でも…」


「しんみりしそうだから。」


 知花が俺を見上げる。

 俺はそんな知花をギュッと抱きしめて…言った。



「あのさ。」


「ん?」


「…おまえの誕生日ばっか派手だから、俺の誕生日も派手にしてくれ。」



千秋。




忘れろ。

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