27 神 千里の日常 -9-

「……」


 千幸と千秋の様子が気になった俺は、玲子さんを部屋に残したまま二人を探していて…

 その現場を二人の死角で聞いてしまった。


 千秋が知花を好きなのは、もう…うっすらと予測していただけにショックはない。

 それよりも…


 玲子さんも千秋を好きだったという事。

 千幸が玲子さんに頼み込んで結婚したという事。


 その二つが、俺にとっては衝撃だった。



 まるで友達のような、それでいてお互いを支え合い想い合っている事が手に取るように分かる二人。

 勝手に…だが、千幸と玲子さんには憧れを抱いていたのかもしれない。

 それなのに…



「…っ!!」


 背中に触れられて驚いて振り返ると、いつの間にかそこにいた玲子さんが、唇の前で人差し指を立てていた。


「……」


 こっちに。と言わんばかりに手招きされて、部屋に戻る。

 …玲子さん、いつからあそこに…?


「…神兄弟、可愛いわね。」


 玲子さんは腰を下ろすと、目の前の御猪口に自分で酒を注いでクイッと飲み干す。


「…さっきの話…本当に…?」


 玲子さんの前にゆっくりと座って問いかける。

 さすがに何も口にする気分じゃねーけど…それでも玲子さんに釣られて、ビールを一口飲んだ。



「…あのままじゃ、千幸さんが悪者になりそうだから告白するけど…」


「……」


「結婚が決まる前、千幸さんから『千秋と何かあるのか』って聞かれてね。」


「……」


「実際、千秋とは何もなかったんだけど…こっちは両親から『すぐにでも結婚出来る相手を見付けろ』ってけしかけられてた所で、煮え切らない千幸さんにイライラしてたのよね。」


「…え?」


「まあ、千秋があたしを好きだったのは…周りから見ても一目瞭然だったと思うわ。千秋、あの通り分かりやすいし。」



 パクパクと目の前の料理を口にしながら。

 玲子さんは、まるで他人事を語るかのように言葉を進める。



「それでもしばらくは恋人のままでいたいって言う千幸さんに、イライラしたあたしは…」


「……」


「千秋なら、今すぐにあたしをさらってくれそうなのに。って、口走っちゃったのよね。」


 目を見開いた。

 それじゃあ…

 玲子さんは、千秋を好きだったわけじゃなくて…?



「そしたら千幸さん、『千秋は兄弟が好きなものを好きになる傾向にあるだけだから、上手くいくはずがない』って笑い飛ばして。それでカッとなったあたしは、『あらそう。さよなら、千幸さん』って…笑顔でお別れしたの。」


「えっ。別れた?」


「ええ。ほんの数秒。」


「数秒?」


「すぐに千幸さんが追い掛けて来て、結婚しようって。」


「……」


「あたしに必要なのは、世界を股に掛ける研究者じゃなくて、高階宝石を継ぐ男なんだろ?それは千秋には出来ない。って。」


 その言葉は…さっき千幸が口にしたのと同じようで、少し違って思えた。


「千幸さんは…あたしに愛されてないって思ってたのね。ずっと。何だか…ショックだけど納得もいくわ。」


 玲子さんは徳利の酒をガンガン攻めていく。

 止めた方がいいのかもしれないが、止める気にはならなかった。



「…千秋に思わせぶりにしてた?」


 失礼かとは思いつつ、こういう場でしか出来ない質問を投げかけてみる。


「あたしにそんなつもりはなかったけど、恋にも女にも慣れてない千秋には、そう映ったかもしれないわね。実際、千幸さんと結婚する事を報告に行ったら…『俺と結婚してくれ』って迫られて押し倒されたわ。」


「!!!!」


 そ…それじゃあ…

 さっき玲子さんが言ってた、千秋の『初めての相手』は…

 本当に…!?


 近くで入り乱れる人間模様に、酔えないはずの頭が混乱と共に酔い潰れてしまったのか…

 良からぬ妄想が展開していく。



「…玲子さんて、千秋の初めての相手…?」


 煽るようにビール飲みながら問いかけると、玲子さんは小さく笑って。


「そういうの聞く?」


 俺におしぼりを投げつけた。


「お…おお…悪い………です…」


「ふふ。まあ…いいけど。そうねー…千秋、あたしが初めてだったみたい。」


「……」


「そのせいかなあ。帰国した時、ずっと恨んでた風に言われちゃった。」


「え…っ…」


 ずっと恨んでたって…

 千幸と玲子さんが結婚して、もう…七…八年は経ってるぞ…!?


 千秋の根の深さに驚いてると、徳利の酒を一滴も残さず飲み干した玲子さんが。


「はあ……酔ったわ。先にタクシーで帰るって千幸さんに伝えて?」


 バッグを手にすると、酔ってるとは思えない様子で立ち上がった。


「えっ。いやいや…俺達だけ残して帰るとか…」


 腰を浮かせて、少し狼狽えてそう言うと。


「兄弟でしょ。大丈夫。で頑張って。」


 ヒラヒラと手を振りながら、玲子さんは部屋を出て行った。



 少し強調された『他人』という言葉が少し寂し気で。

 当時、千幸と千秋と玲子さんの間で繰り広げられていた感情のバトルに、全く気付けなかった自分を振り返ろうとする。

 が…

 たぶん俺は…バンドに夢中になってた頃だよな…



「はあ…」


 無人になった部屋に、一人仰向けになる。

 天井を眺めながら、千秋の気持ちを考えた。



 …小さな頃から天才と騒がれて。

 思えば…俺とカンナと一緒にかくれんぼや鬼ごっこをする事もなかった。

 そんな遊びはガキがする事だ。なんて言って…

 自分だってガキだったクセに。


 ずっと余裕のある顔しか見てなかった気がする。

 だけど内心はそうじゃなかったのかもしれない。

 勉強や研究が出来ても、苦手な事ぐらい…千秋にもあるはず。


 酒に弱かったり…恋愛下手。

 俺達兄弟にも知られないよう、仮面をつけたまま…。



 そんな千秋が、玲子さんに恋をして…敗れて。

 …日本を拠点にしなかったのは、それが理由なのか…?



 …だが。



 ゆっくりと体を起こす。


 だからって、知花を譲る気はねーぞ。

 いくら千秋が大事な兄貴で、同情の余地があるとしても。



「……」



 俺はスタスタと縁側に向かって。

 未だに睨み合っているような二人に声を掛ける。


「いつまでここにいんだよ。玲子さん、酔っ払ったって先に帰ったぞ。」


「……」


「…そうか。」


 無言の千秋と、反応の薄い千幸。


 俺は…


「三人で飲み直すぞ。早く戻れよな。」


 低い声でそう言って、二人の腕を引いた。

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