第13話 恋の引導
「ヴィラローザ……!」
集まっていた魔獣を全滅させたギルドフォードは、臭いと言い放ったはずの女の元へ、いそいそと駆け寄ってきた。
そして真剣な顔で、口を開く。
「脱げ」
「…………は?」
「はやく脱げ、今すぐ脱げ」
言いながら、ヴィラローザの肩……ではなく、服に手をかけてぐいぐい引っ張ろうとするから、たまらず彼女はギルフォードの頬を平手で張り飛ばした。
「何をするんですか!」
いきなり他人の服を脱がせにかかるという暴挙に出た男は、相変わらず手を服にかけたままだったが、動きを止めた。そして、なぜか不思議そうにヴィラローザを見下ろす。
「何って……この服を脱がそうとしているんだ。臭いから」
「また貴方は……! なんですか、さっきから臭い臭いと……! そんなに臭いのならば、私になんて近付かなければいいでしょう……!」
助けに来てくれた――はずだ。だが、わざわざ悪態をつくのならば、こんな所になど来ないで欲しかった。気持ちを自覚している分だけ、ヴィラローザはみじめだった。
「ヴィラローザ……? 泣いているのか?」
「泣……!? はぁ!? 貴方の目は節穴ですか!? この私が、どうして泣く必要があるんですか!」
「……だが、涙目だぞ」
「涙がこぼれなければ、泣いているとは言わないのです! そして、そういう事をいちいち指摘しないでください、このお馬鹿!」
理解したのかしないのか、いまいち判別がつかな無表情男は、こくりと頭を上下させた。
そして、何を思ったのか腰をかがめると、ぺろりとヴィラローザの眦を舐めた。
「ひゃっ!? あ、貴方、一体何を……!」
「こぼれそうだったから、舐めた。こぼれなければ、泣いていないのだろう? そしてお前は、泣いていると言われるのが嫌だ。だから、俺が舐めれば全部解決だ」
常と変わらぬ無表情のはずだ。しかし、褒めろ、といわんばかりのどや顔に見えるのはなぜだろう。口調がどことなく誇らしげだからだろうか。
だが、今の行動に褒めるべき要素は一切無い。――斜め上に向いている、気遣いくらいは、感謝しても良いかもしれないが。
「普通は舐めません!」
なんにせよ、これだけは言っておかなくてはいけないとヴィラローザがきつい口調で断じると、ギルフォードは驚いたといいたげに目をぱちぱちと瞬く。
「……そうか……そうなのか……。すまん、以後気をつける」
素直に謝ると、再び腕に力がこもった。
「気をつけるから、はやく脱げ。臭い」
「また……! 何度も何度も連呼して……! だから、私が嫌いなもう放っておいてと言っているんです……!」
「誰が嫌いだと? 俺はお前を愛している」
「――……え?」
ヴィラローザの抵抗が薄れた。
その隙をつくように、ギルフォードは返り血と泥にまみれたヴィラローザの上着の前を、力任せに開いた。
そして、何を言う暇も与えず、腕から抜き取ると、ぽいっとぬかるんだ地面に投げ捨てる。
あまりの暴挙と、一枚剥ぎ取られた事による寒さに、ヴィラローザの顔は青くなった。
「これを着ろ」
しかし、とんでもない行動をしでかした本人は、顔色一つ変えず、自分の上着を脱ぐとヴィラローザに着せた。
脈絡の無い行動に、ヴィラローザはやはり戸惑った。
「……一体、何がしたいんですか?」
「あの上着はよくない。臭い」
「…………たしかに、汚れてはいます。ですが、こんな扱いをうけるいわれは……――」
「魔獣が好む匂いが付いている」
反論しかけたヴィラローザは、口を半開きにさせたままギルフォードを見上げた。
彼は、仇でもそこにいるかのように、自分が引っぺがし、無残な状況に追い込んだ上着を睨み付けている。
「だから、お前はあの獣共に群がられたんだ」
「……まさか……」
「嘘じゃない。俺は上の様子を見てから来たが……向こうの死体は食われた様子すらない、綺麗に胴と首が寸断された状態のままだ。……この魔獣共は、最初から死体に目もくれずお前の元へ来た」
「狂躁病……」
先ほど、脳裏に浮かんだ言葉が、今度はそのまま声に出る。
ギルフォードは、自分が着せた上着の上からヴィラローザの両肩に手を置くと、頷いた。
「俺は幸か不幸か、人より鼻が利く。お前の上着に付いていた匂いが、魔獣達を引き寄せた。つまり、こいつらはここに現れる前に、どこかで中毒になっている」
「……国全体で規制されている代物ですよ? 近隣諸国も同じ事。南方の島国では、民間医療で独自に利用しているという話も聞きますが――あくまで人体治療のためで、人里の中で厳重に管理されているはず」
「だが、事実だ。そして――」
言葉を切って、ギルフォードはひょいっとヴィラローザを担ぎ上げた。
「ちょっと!? 何をするんですか……! お、下ろしなさい!」
「駄目だ。一時の脅威は去ったが、長居は無用。ここを移動して、手当てできる場所を探そう」
「手当……? そんなもの、必要ありません」
「馬鹿を言うな。足を痛めているだろう? 体重のかけ方が、少し変だった」
「――え、どうして……」
軽々とヴィラローザを横抱きにした男は、赤い目に彼女を映し、至極当然のように言った。
「俺は、お前のことを何時も見ている。分からないはずがない」
「――……っ」
「? どうした、顔が赤い。……もしかして、怒ったか?」
ヴィラローザの顔色の変化に目敏く気が付いたギルフォードは、不安そうに言葉を揺らした。
大人しく横抱きにされながら、ヴィラローザは無言で首を左右に振る。
すると、ほっとしたようなため息が頭上からこぼれる。
「……貴方」
「ん?」
「……こんなにたくさん、話せるんですね」
「話せと言われれば、話せる。――ただ、俺の話し方は、人を不愉快にさせるらしい。家の主から、お前はみっともないから、外ではあまり口を開くなと言われたんだ。……すまない、不快にさせたか?」
「いいえ。いつもの、むっつり押し黙っている貴方より、今の方が、ずっといいです」
「本当か……!?」
少しだけ、赤い目が輝いた気がした。
気恥ずかしくて、ヴィラローザはふいと視線をそらす。
「私は、くだらない嘘は好みません。……というか、下ろしなさい。足を痛めたことは認めますが、歩けないほどではありませんから」
「……俺に抱かれるのは嫌か?」
この男は、どうしてこう言葉選びが残念なのだろう。第三者が聞けば、別の意味に受け取られかねないような言葉を平然と吐く。
「じゃあ、背中をかそう。それなら、いいだろう」
「なんですか、妥協点を見つけたとでもいいたげな態度は」
「……背中が嫌なら、やはり抱く」
「……その言い方も、やめてください――と、思いましたが……まぁ、今だけは許してあげます」
面白おかしく噂する外野もいない。
それなら、自分も肩肘張らず、助けに来てくれた恩人と静かに会話しても良いだろう。
久方ぶりにそんな穏やかな気分になったヴィラローザは、率直で子供のような男の態度に、唇をほころばせた。
ギルフォードの赤い目が、ハッと大きく見開かれる。
「……笑った……」
「え? なんですって?」
「……ヴィラローザが、笑った。――俺を見て、笑ってくれた」
気のせいではなく、声が震えていた。
ギルフォードは、なぜか非常に感激していた。ヴィラローザを抱えている両手すらも、ぶるぶる震えている。
「ちょ、ちょっと……! やっぱりおろして下さい……! 落とされるなんて、絶対に嫌ですから!」
「落とすはずがない。俺がお前を抱いている限り、そんな事は有り得ない」
「……そうですか」
「また顔が赤い。……もしかして……照れているのか?」
「!!」
今度は、ヴィラローザが目を瞠る番だった。
手応えのある反応を前に、ギルフォードは数回瞬きを繰り返した後――笑った。
子供のような険の無い笑みを見て、ヴィラローザは彼の片頬を軽くつねる。
無表情男と呼ばれているギルフォードだが、その頬はとても柔らかい。
「なんだ?」
「……貴方は、人が笑っているのを見て驚いていましたが、私にしてみれば、今貴方が笑っている瞬間の方が、ずっと貴重だと思いますよ」
「……笑っている? 俺が?」
自覚が無いのかと、ヴィラローザは頬から手を離すと、何とはなしにツンツンとつついた。
「はい。私が見て、分かる程に。……もっとそういう顔を見せればいいのに」
最後は、半ば独り言だった。しかし、予想外にギルフォードが食いついた。
「笑った方が良いのか? 俺が笑っている方が、好きか? 気持ち悪くないか?」
「え? 気持ち悪いなんて、そんな事ありませんよ」
「……そうか。じゃあ……お前の前では、もっと笑う」
気合いを入れるように頷いたギルフォードの顔は、やっぱりいつもの無表情だったが――どこか、普段よりも柔らかい気がした。
「……別に、私の前で笑う必要なんてありません」
「ある。お前が、俺の笑った顔の方が好ましいというなら、そうしたい。……お前に、好かれたいからな」
真面目な声で決意を語る男に、ヴィラローザの胸かチクリと痛んだ。
「――……ギルフォード、その話なんですが……」
「……邪魔が入らなければ、今頃お前と二人、ちゃんと話をしているはずだった」
「…………」
答えないヴィラローザをどう思ったのか――ギルフォードはいつもの平坦な声にもどり、言った。
「あぁ、丁度良い洞穴がある。そこで休もう」
――とうとう、全てが終わるときが来た。少なくとも、恋を自覚したばかりのヴィラローザ・デ・エルメは、こう思っていた。
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