第12話 疑惑のにおい
「……これは、しくじりました……」
ヴィラローザは現在、崖の下にいた。
興奮状態にある魔獣を街道に近づける訳にはいかないと、斬り続けたのはいい。
しかし、途中で雨が降ってきた。生い茂る草木と魔獣の亡骸で斜面に気付かず、滑落してしまったのは失態だった。
足をひねった上に、血と雨を吸ったせいで服は重みが増している。
踏んだり蹴ったりだと、草の上に座り込んだままヴィラローザは空を見上げる。
どんよりとした灰色の雲は厚く、太陽を完全に隠していた。これでは、しばらく雨は止みそうにない。
体が冷えてしまう前に、雨をしのげる場所を探し移動しなければ――そう思い、痛む片足に負担をかけないように立ち上がろうとした。
ガサリ……。
草木の動く音が雨音に混じる。
ヴィラローザは、表情を引き締めた。立ち上がるための杖代わりにしていた剣を構え、本来の使用用途へと戻し、油断なく揺れる草木の間を見つめた。
(……血の匂いに誘われた、新手……のようですね)
魔獣と一口に言っても、様々な種類がいる。
あの迂闊な三馬鹿が縄張りに踏み入ったせいで興奮させた魔獣は、猪に外見が近い。
ただ、普通の猪と違うのは群れを作る事、そして雄も雌も牙が異常に発達しており、強い毒性を持っているという点だ。
牙から受けた傷は、たとえ致命傷を避けられても、適切な処置をしなければ数時間ほどで爛れていく。
運が悪いことに、それが群れをなし、一斉に突撃してきたため、何人かの騎士が負傷した。さらに、事の原因である三人のうち一人が、背中をやられた。
他の二人も動揺し、大きな悲鳴を上げたため、猪型の魔獣達がさらに興奮する結果になったのだ。
(まぁ、無事にあの場を離脱できたんですから、すみやかに適切な処置がなされるでしょう)
命の危機はないだろう。
――少なくとも、今の自分よりは。
ヴィラローザは、揺れる前方を見る。
猪型の魔獣の動きではない。
獲物の様子を探るような、誘うような、この動き。
(――狼型……)
素早く、爪も牙も鋭い。突進力は猪型に劣るが、跳躍力や持久力はこちらに軍配があがり、なおかつ――好戦的だ。
厄介なものが、血の匂いに誘われたとヴィラローザは細い眉をひそめる。
死肉を食らえばいいだろうに、もっと新鮮な獲物を見つけたと、追ってきたのだろうか。
「……私を食べられるなんて、思わないことですね。――何体来ようが、同じ事。全て、首を切り落としてやります」
切っ先を前に向け、ヴィラローザが宣言したと同時、草木の中から狼より一回り大きく毛が短い魔獣が飛び出してきた。
飛びかかってくるそれを、ヴィラローザは迷いなく切り捨てる。
しかし、厄介なことにそこかしこからうなり声が聞こえて止まない。
(一体な訳がなかったですね。……群れとはまた、厄介な……)
大規模な群れではないようだが、雨降りのぬかるんだ地面と負傷した足では、いささか分が悪い。
もっとも、ヴィラローザ・デ・エルメは国一番の騎士になるのだから、こんな所で魔獣の餌になって終わるつもりなど、毛頭ない。
(……でも……変ですね。――狼型がこの近辺に生息しているなんて情報、いままで聞いた事も無いですし……大規模な移動があったという報告も……)
ならば、この群れは一体いつ現れたのだろう。
(そもそも、血の匂いに惹かれて来たのならば、まず……上の死体に釣られるでしょうし……)
自分の血は、全て返り血。それも、ほとんど雨で薄まっている。より濃いのは、群れの亡骸のはずだ。
それなのに、この魔獣達はなぜ、上の獲物に目もくれない?
本来は警戒心が強いはずの魔獣が、縄張りに踏み入ったわけでもないのに、このように複数体で人間に襲い掛かるのは、おかしい。
吠えかかってくるのをいなし、切り捨てながら、ヴィラローザは舌打ちした。
「……あぁもう、きな臭い……!」
何かが、引っかかる。
魚を食べた時、うっかり喉に小骨をひっかけてしまったような不快さだ。
しかし、熟考している暇はない。
狼型の魔獣たちが、唸り声を上げながら、次々と生い茂った草木の間から姿を現す。
低い不気味な唸り声に囲まれたが、ヴィラローザは怯まなかった。
人も魔獣も、みんな同じだ。
少しでも弱いところを見せると、漬け込まれると、子供時代から嫌というくらい学んできた。
(私は、国一番の騎士になるんです)
誰にも頼らず、自分だけの力で、エルメ家の名は廃れていない、終わっていないと、示すのだ。――そうすれば……母はもう、誰にも侮られたりしない。
ヴィラローザ・デ・エルメの名を轟かせれば、きっと母は――。
「……っ」
ずきっと足が痛んだ。
僅かに体勢が崩れる。
そこへ、魔獣たちが跳びかかって来た。
ヴィラローザは、すぐさま剣を振る。
いっそ芸術的といっていいほどに、すぱっと獲物の首を切り落とし、次々と迫ってくる獣相手に一人奮戦した。
「……え……」
何体目かの魔獣を斬り伏せた時、ヴィラローザは魔獣たちが、異常なまでの興奮状態にある事に気が付いた。
血の匂いで興奮しているのとは違う。
こうまで執拗に襲い掛かってくる理由は、空腹だからではない。縄張りだからでもない。いわば、狂乱状態にあるのだ。
(狂躁病にかかった魔獣だなんて……!)
一時期、魔獣除けとして広まった粉がある。人間には分からない程度の香りで、魔獣が忌避するという触れ込みで流行ったそれは、ある毒草からつくられていた。
その毒草を、魔獣たちは決して食べない。毒草が生えている場所には群れが形成されない。有益な忌避剤だと思われていたが、実は大きな落とし穴があった。
一度でもその草にふれた魔獣たちは、たちまち狂暴化してしまうのだ。
そして、執拗にその毒草を求める。――当時、実験用に捕獲していた魔獣が狂ったように暴れまわり逃走し、護身用として身にまとっていた人々が大勢犠牲になった。
毒草による魔獣の中毒症状、それは狂躁病と名付けられ、魔獣除けだったはずの粉は、国が禁制とし、現在では製造すらされていないはずだったが――。
「――っ!」
有り得ない状態の魔獣に気を取られたのが、失敗だった。
ヴィラローザは、次いで襲い掛かって来た魔獣の爪を避けるための判断が遅れたため、ぬかるみに足を取られ倒れ込んだ。
好機を得た魔獣の追撃を目にし、ヴィラローザは次いで感じるだろう痛みを覚悟した。
だが――。
「ヴィラローザ!!」
ざざざっと斜面を何かが滑り落ちてくるような、やたら勢いのいい音と、威勢のいい声が響いた。
そして、黒い塊がヴィラローザの頭上を飛び越え、追撃しようとしていた魔獣を思い切り踏みつけた。
ぐぎゃっという潰れたような鳴き声と、ごきっという鈍い音が聞こえ、一体は二度と起き上がらなくなる。
「…………」
ヴィラローザは、呆気にとられて目の前の黒い塊を見上げた。
「……ギルフォード……?」
「――殺す、絶対に殺してやる、あぁそうだ、皆殺しがいい、そうしよう」
聞いたこともない大きな声で自分の名前を呼び、窮地を救ってくれた相手は間違いなくギルフォードだ。
だが、彼のいつもの茫洋とした様はなりを潜め、殺気に満ち、ぶちぶちと不穏な言葉を吐いていた。
ぐるぐると唸る魔獣を不愉快そうに睨み据えると、本当に珍しい事に――。
「今すぐこの場で、腸ぶちまけて息絶えろっ!!」
ギルフォードが、吠えた。
そのまま、獣のような俊敏さで突っ込んでいく。
「ちょ、ちょっと……! 貴方は一体何を……!」
まさかとは思うが、あれは頭に血が上っているというのではないだろうか。
剣を振りながら「殺す!」だの「潰れろ!」だのといった罵声が止まない。
(これは、え……援軍、なんですよね……きっと、多分……一応……)
ならば、自分が寝てなどいられない。
ヴィラローザも体勢を立て直し、剣を握った。
しかし、それを目ざとく見つけたギルフォードが魔獣を蹴り飛ばしながら叫ぶ。
「動くな、ヴィラローザ!」
「見くびらないでください、私だってまだやれます!」
「違う! ――お前は、臭いんだ!!」
「は?」
臭いんだ。
ギルフォードは、いつになく切羽詰まった声で言った。普段はもそもそ、のそのそしているくせに、今はいやにきっぱりと断言した。
虚をつく言葉に目を見開いたヴィラローザ。硬直した様子を見て、ギルフォードは自分の意見が通ったと思ったのか「うん」と満足そうに頷いて、残りの魔獣をせん滅にかかる。
(……は? はぁ? はぁぁぁぁあっ!?)
しかし、とつぜん侮辱されたヴィラローザは、怒りにこめかみをひくつかせた。
今なら、虚勢でもなんでもなく、誰にも負ける気がしなかった。
――生憎、負傷中のヴィラローザが出る幕は、もうなさそうだったが。
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