首狩り嬢と心中希望(!?)の求婚者
真山空
プロローグ
大人達が、じろじろと物珍しそうに何かを見ていた。
どこかの貴族が、珍獣でも連れてきたのだろうか?
首をかしげたヴィラローザだったが、隣に立つ父の表情が険しくなったのを見て、あの場の中心にあるのは、決して良い物では無いと察した。
「ヴィラ、帰るよ」
物わかりの良い子供らしく「はい」と返事をする前に、派手な装いの男が親子に近付いてきた。
父は、瞬時に笑顔を浮かべて、挨拶を交わす。
「ヴィラローザ。私は少し、お話がある。お前は、一人でも大丈夫だね?」
「はい、お父様」
着飾ったヴィラローザは、愛らしい外見に見合う、子供らしい笑みを浮かべつつ、行儀良く頷いた。
すると、近付いてきた貴族の男は、大仰にヴィラローザを褒めそやす。そうして、父の機嫌を取ろうという魂胆が見え透いていた。
笑顔を崩さず、謙遜を口にした父は、失礼と男に断ってヴィラローザに向き直った。
そして、身をかがめて子供であるヴィラローザと視線を合わせる。
凝った髪型を崩さないように頭に手を置く仕草は、傍目から見れば良い父だろう。
「では、行ってくるけれど……間違っても、あそこの一団に近付いてはいけないよ」
“良い父親の顔”のまま、我が公爵家の品性が疑われるからね、と父はヴィラローザに小声で告げた。
分かっているなと細められた目を見上げ、ヴィラローザはまた頷いた。
「はい、お父様。いい子にしています」
「すまないね、ヴィラローザ」
そう言って遠ざかっていく父の背中は、たちまち人の波に飲まれた。
ほどなくして、父が近付くなといっていた一団は、まばらに散っていった。
かわりに、子供達が集まっていく。
なんだろうと、つま先立ちでのぞき見たヴィラローザは「あっ」と小さく声を上げた。
子供達が囲んでいるのは、黒い髪の――子供だった。
ただ、周りの子達がニタニタと意地の悪そうな笑みを浮かべているのに対して、黒髪の子供は一人だけ俯いたまま動かない。
逆らわない姿を目にして調子に乗ったのか。一人を取り囲んでいた彼らは、黒髪の子供の手を引っ張ると、大人達の目を盗み庭の方へと連れて行った。
「……」
その様子を目撃したヴィラローザは、きょろきょろと周囲を見回す。
先ほどまで子供を囲んでいた大人達は、誰も見ていなかったのだろうか。
連れて行かれるのを、止めなくても良いのだろうか。
しかし、ヴィラローザの考えとは裏腹に、誰も彼も無関心で華やかな舞踏会の雰囲気に浸っている。
黒い髪の子供。痩せぽっちの小さな子供だった。
囲んでいた少年達は、貴族の子弟達の中でも、とりわけ意地が悪く、新顔や立場の弱い相手には嫌がらせを欠かさない、たちの悪い連中だった。
少しだけ迷ったヴィラローザだったが、意を決したように子供達の後を追いかけた。
――彼らの姿は、さほど労せずに見つけられた。
黒髪の子供を壁に押しつけ、口々にはやし立てては小突いている。
「見てみろ、こいつ。本当に赤い目だ!」
「うわぁ、気持ち悪いっ」
悪意に満ちた笑い声が、ヴィラローザの耳にも届いた。しかし、嘲笑を浴びせられているというの、黒髪の子供が何か言い返す素振りは無い。
「知ってるぞ、お前、侯爵に買われたんだろう? 珍しい、赤い目をした珍獣だから」
あんまりな言葉。それでも、黒髪の子供は何も言わない。微動だにしない。
――人形のような無表情のまま、赤い瞳は虚空を見つめていた。己を取り巻く全てに、一切の興味が無いとでもいうように。
「バカみたい」
ヴィラローザは、思わずそう呟いた。
弾かれたように子供達が、振り返る。
「あなたたち、バカみたいよ」
「なんだと?」
「女のくせに、生意気だぞ」
すごんでくる子供達に、ヴィラローザは馬鹿にした様子を隠しもせず笑った。
「相手にされてないって、気付いていないの? さすが、バカの一つ覚えみたいな悪口しか言えない人達は、違うわね。男って、本当にバカ」
つかつかと、ヴィラローザは子供達に近付いていく。
すると、徐々に彼らの顔が青ざめた。
「うげっ、え、エルメ……!」
「うわぁ、ヴィラローザだ!」
「暴力女……!」
失礼な、とヴィラローザは子供達を睨み付ける。
「あら? 相手にされていないのも分からないで、不毛な行為を続けていたバカは、どんな顔をしているのかと思ったら……、面白味もなにもないわね。いつものバカ面達じゃない」
彼らは、とても意地が悪い。
現にヴィラローザも、一度絡まれた事がある。
大きな蜘蛛をけしかけられた彼女は、それを素手で掴むと相手の顔に返し、気絶させた。
以後もこまごまとした嫌がらせに対し、倍返しを基本にやり返してきたので、最近ではヴィラローザを目にすると、彼らはたちまち顔色を悪くするようになった。
現に、今もだ。
暴力女だの、野蛮だの、ヴィラローザを罵る言葉を口に出しては、精一杯強がっていた少年達だが、徐々にヴィラローザとの距離が近付いていくと、堪えきれなくなったのか顔を真っ青にして、その場に尻もちをついた。
立っていたのは、黒髪に赤い目の、痩せぽっちの子供だけ。
動じた様子も無く――目の前で起こっている事など、見えても聞こえてもいなかのように、ただ立っている。
(人形みたい)
人形集めが好きな、知り合いを思い出す。
今日の夜会には出席していないが、大陸中の人形を収集しているあの友人が、好みそうな――精巧で無機質な、生きた人形だった。
(よかったわ。あの人が、今日参加してなくて。きっと、目を付けられて、あの人のお人形にされてたもの)
生きている匂いが全くしない、人形のような子供。それは、人嫌いを自称する友人にとっては、理想だろう。
いなくて本当によかった、と思いながら、ヴィラローザは突っ立ったままの子供の手を掴んだ。
「行くわよ」
「…………え」
ぎゅっと握り、手を引く。
そこで初めて、反応があった。
びくっと体が震えたかと思うと、それまでどこも見ていなかった赤い目が、ゆるゆると見開かれ――心底驚いたように、ヴィラローザを映したのだ。
「こんなおバカさん達を見てても、退屈でしょう? 行くわよ」
「……ど、こへ?」
たどたどしい問いかけに、ヴィラローザは「ふふん」と小生意気な子供らしく、笑って見せた。
「どこに行きたい? 中に戻って、ご馳走を食べる? あなた、痩せぽっちだから、たくさん食べた方がいいもの」
「…………でも、あの人が、たべるなって」
「? どうして」
「き、たない、から」
ずんずん歩くヴィラローザに手を引かれたまま、聞かれたことに素直に答える子供。
しかし、困惑したように視線を泳がせている。
「汚い? ……もしかして、食事の作法の事? だから、食べられないの?」
こくり、と子供が頷いた。
「でも、お腹が空かない?」
「――」
くぅ、と思い出したかのように子供のお腹が小さくなった。
ヴィラローザは吹き出すと、こうしましょうと、一つ提案した。
「わたしと、ここで一緒に食べましょう? そうすれば、作法に自信が無くても大丈夫よ。怒る人だっていないわ」
庭園の隅ならば、誰も気にしないだろう。
我ながら名案だと思ったヴィラローザは、早速思いつきを実行しようとした。
「待っててね! 持ってくるから!」
そう言って、一度屋敷の中へ戻ろうとしたヴィラローザは、くいっと手を引かれて振り向いた。
「い、いかない、で」
「え? でも、ご馳走は中に入らないと――」
「いらない、……がまん、できるから……だから、いかないで、いっしょに、いて?」
「我慢しちゃダメよ。欲しいものは欲しいって言わないと、あなた損するわよ」
「…………」
ぎゅうっと、両手でヴィラローザの手を握りしめ、上目遣いで見上げてくる子供。その必死さに、ヴィラローザは姉のような気分になり、笑った。
「もっと良いことを思いついたわ! ねぇ、二人で一緒に行きましょうよ。そうすれば、一緒にいられるし、お腹も満たされるわ」
「……いっしょ」
「そう」
いっしょ、と繰り返した子供は、最初の無表情が嘘のように、赤い瞳を輝かせて、笑った。
「――うん、いっしょ、いい」
ヴィラローザも嬉しくなった。
さっそく戻ろうと、二人で歩き出す。
「ね、なまえ」
その最中、子供の方から初めて質問してきた。
「なまえ、おしえて?」
きらきらした赤い瞳。
あの意地の悪い子供達は気持ち悪いなんて言っていたけれど、宝石をちりばめたみたいに、綺麗だった。
宝物を見つけた。
――高揚した気分で、そんなことを考えながら、ヴィラローザは胸を張って自分の名前を口にした。
「ヴィラローザ・デ・エルメ。――いずれ、この国一番の騎士になる名前だから、忘れないで覚えていてね!」
「うん、わすれない、ぜったい」
こくりと素直に頷いた子供に「あなたの名前は?」と問い返そうとしたところで、終わりが来た。
庭と屋敷を繋ぐ扉。そこに近付くなり、怖い顔の大人が飛び出してきた。
「なにをしている! 勝手に動くなとあれほど言っただろう!」
怒鳴る大人は、ぱっと背後を振り返った。
後ろには、悠然と腕を組むヴィラローザの父が控えている。
大人の男は、機嫌をうかがうように父に向き直り頭を下げた。
「エルメ公、申し訳ありません……!」
「私の娘も楽し気な様子だし、悪意はなかったのだろう。気に病む事は無い」
ヴィラローザは、首をかしげる。なにを騒ぐことがあるのだろうかと。
反対に、子供は繋いでいた手にぎゅっと力を込める。気付いた大人は、ぎょっと目をむき、強引に引き剥がした。
「エルメ公、ご息女に対して、この者が大変な失礼を――」
「構わない。このような場は不得手だったろうし、私も娘にさみしい思いをさせてしまったからね。……ただ、娘もそろそろ疲れてきたようだし、これで失礼させて貰うよ」
父は、笑顔で言うと、ヴィラローザを抱き上げた。
「お父様?」
「帰るよ、ヴィラ」
でも、と振り返れば、痩せぽっちのあの子が、大人の大きな手に押さえつけられ、無理矢理に頭を下げさせられていた。
「お前がここにいる事で、あの子供の立場が余計危うくなるんだ。帰るよ」
低く耳打ちされた言葉に、ヴィラローザは眉を下げた。
赤い瞳。
先ほどまでは、きらきらときらめいていた瞳は、もう見えない。
「名前……」
ぽつりと呟いた声は、あの子に届いたのだろうか。
大人の手を振り払い顔を上げた、黒髪の子供。
彼が扉が閉まる直前、大きく口を開いたように見えた。
「まって! なまえ! おれのなまえ――!」
声の続きは、扉に閉ざされ永久に聞こえなかったけれど。
それが、最初で最後。
ヴィラローザは、名も知らぬ子供に、以後一度も会うことは無かった。
――そして月日は流れ、そんな出会いの事などすっかり忘れてしまったヴィラローザ・デ・エルメは、トルサス王国の騎士になっていた。
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