10 悪手な布陣
入り口に入り、エルナレスは狭い空間の中にある転移陣の上に立つ。
順番に2人づつダンジョンへ転送される仕組みである。一回の転送に5分を要する仕組みであるため10分待ったあと、エルナレスは陣に立ち、転移紋を光らせて転送システムを起動させた。
彼女にとっては初めての新生ダンジョン‥‥この場所にたどり着くまでに2ヶ月もの期間を要していた。
エルフの森の住人は今も力を失い続け、獣人族の中には言葉を失って野生に還る者もいる位に衰弱していた。この旅の間にも種の存在はさらに脆くなっていくだろう。故郷に残した幼い妹を想い、その名を口にする。
『エリル‥‥どうか無事で』
僅に精霊が住まうエルフの森も魔力の枯渇は訪れ、妖精の成長期を迎えた妹は体組織に必要な
森のマナを取り戻すため、大量の魔力を木々へと供給する必要があった。
それはダンジョンコアである魔核石があれば実現出来ると、旅の賢者から聞いた事により決意した事であった。
『必ず手に入れて帰る』
誰にも聞こえない声で決心の言葉を口にする。
五分待たされて転送された先、最初に見た光景をエルナレスは注意深く観察した。新生ダンジョンは古来のダンジョンと見た目の大差がない自然洞窟型の姿であり、見慣れたものであった。
岩場から滴る地下水が冷たい風を肌に擦り付ける。
そしてその風はエルナレスに多くの情報を伝えてくれていた。
怪奇な気配を香らせる多種多様な存在、この時代に察知したことのない異様で膨大な魔物の数。そしてそれらが内包している、魔力の総量を感じ取り驚いた。
『この世界で失われたハズの魔力。それがこの迷宮ではこんなにも充満しているなんて‥‥』
エルナレスの驚愕に対して人間の反応は冷ややかであった。
「ハッ!なんでえ、やっぱり昔にあったダンジョンと同じ感じじゃねえか」
「新生っつってもやることにはかわりねえな。おい!さっさと探索を始めるぞ」
そう言いながら傭兵達は不用意にバラバラと歩みをめようとしていた。それにエルナレスは急いで忠告をしようとする。
『いけない‥‥!みんな離れてはならないわ!サキ、彼らに私の言葉を伝えて!』
「わかったわ。あなた達、こっちに集まって陣形を固めなさい!」
エルナレスが風から感じ取ったもうひとつの危機。
それはスタート地点の転移陣付近に隠れていた魔物の群集あった。
それは虫型の魔物で数にして20~30体程。隠れていてた者達が身を乗り出すと取り囲むように陣形を取ろうとする。ダンジョン転移してきたばかりの無知な者を襲う迷宮魔物の生態本能からくる行動であった。
傭兵達からすれば決して驚異な相手ではなかったのだがこちらが分散してしまっては不利になる。先行した4人の傭兵はすぐに戦闘を始めるために陣形を組みに集まる。
「しゃらくせえ!陣形を取るぞ。オイ、盾を前衛にして固まれ!」
「よし、後方から弓を放つ。槍は盾の後ろから突いていけ!」
さすがに手馴れていたもので、6体ほどをすぐに倒す。
やはりギルドの推薦は正しいものだったのだとエルナレスは彼らの腕の良さに少しホッとした。
しかし違う見解を持った
『これじゃあダメね。エルナレス、ガイドをするから言う事をよく聞いて』
どうやら苦戦するという見通しのようであった。
その魔物は死んだのちに胸部から気体化現象を起こしていた。
『魔物が死んで心臓から魔石が出て来たでしょ?あれは魔力の結晶のひとつよ。砕くだけで魔力を吸収できるから。それで魔法援助の準備をして』
『あれが‥‥魔力に変換できるアイテムなのね』
『エルフのあなたなら魔法に精通しているのでしょう?それを使って好きに放つといいわ』
地面に落ちて赤く光を放っていた石を手にとってみる。
旧来のモンスターは死んでもただ屍を残すだけであるが、新生ダンジョンの魔物は死ぬと気体化して一粒の石を体から差し出す。
『魔法がどれだけこのダンジョンで有効的なものなのか、エルフのあなたならすぐに理解出来るでしょう。力技だけではすぐ詰んでしまうこともね』
『わかった、試してみる』
手の上に置いた魔石をナイフの柄で叩き砕いてみた。
見た目から硬いイメージを持っていたがどうやら思ったよりも脆い材質である。割れた面から光る気体を発して周囲へと舞い、エルナレスの体へと少しずつ吸い込まれていった。
『体に‥‥魔力を感じる』
それはこれまで感じた事もない量のMPが体内に貯められていく感覚であった。
『どう?気に入ったかしら?』
『スゴイ!これが‥‥新生迷宮の魔力‥‥』
まるで乾いていた植物に水が注がれたようにエルナレスは妖精としての生命力を高めていく。
さらにいくつもの魔石を拾い上げて砕いていく。
エルナレスが生まれた頃にはすでに世界の大気から魔力が枯渇し始めており、消費したら回復する事のない使いきりの
わずかな魔力は魔法の基礎学習のみに充てられて、それ以来魔法とは無縁の生活を送っていた。それがいま体に大量に注がれた事で、英妖精エルフの体は本来の力を取り戻そうとしていった。
「へへへ、俺たちにかかれば新生なんて大した事ねえな!」
「半分は減らした。もう一息だ。どうだいエルフの嬢ちゃん俺達の実力はよ!」
傭兵達が調子よく討伐していた所である。そこから事態は急変していく事となった。
奥から骸骨の顔をしたローブ姿の魔物が足を浮かせながらユラリユラリと近寄ってくる。
実体を持たない
それは魔法使いタイプであり、強力な氷魔法を放って傭兵達へと遠隔の攻撃を始める。
「な‥‥!こんな序盤で いきなり魔法モンスターかよ!」
「クソ!足に当たった!オイ、この氷を砕いてくれ!!」
そしてさらに、その後方からは虫型よりもふた回り程大きい大昆虫モンスターが数匹、傭兵達の様子を覗いていた。
「オイ‥‥やばいぞ!」
「な‥なんだよこれ」
エルナレスは発動経験のない、知識だけは詰め込んでいた精霊魔法の詠唱に入る。
体に貯められたMPによって、頭の中に叩き込んだいくつもの魔法をこれから実現させられる事に喜びを覚えていた。
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【祠の前の地上】
「‥‥そういえばエルフの冒険家なんて初めて見たな」
司は冒険者達を見送った後、草原の上で空をボーッと見上げながら独り言を口にした。
顔を横に向けてみるとアンナが祠の前で祈りを捧げている。エルフの令嬢、エルナレスの無事を願っているようだ。
司はこれまで多くの人間族をウェスティーノ家領地に自然発生したこのダンジョンに案内している。だがそのほとんどは魔石稼ぎの人間冒険者か貴族の物見遊山くらいであった。
深淵の森の住人であるエルフが人間の街に降りてくることなど滅多にない。そもそも司にとっては初めて見るエルフ族であった。魔力を無くしたエルフは人間に侮蔑されている時代であるため、森に潜んでその姿をくらましている。
なぜ彼女だけはこんな所まで出てきてダンジョンに潜る事を決めたのだろうか?魔力資源を渇望している事は想像していたが、若い彼女一人での冒険には違和感を感じていた。
そんな疑問を浮かべる司であったが、客の事情に踏み込むのはやめようと考え、いつもの定位置に置いていた荷物箱の上に腰を下ろした。
時間制限のあるネオダンジョンは、最深部まで踏破する事が難しく、大抵は入り口付近で魔石を集める程度にとどまり、時間が来ると魔法陣を踏んで地上へと引き返す、往復型の探索スタイルとなっている。
1人5万ジェニの通行証を買った客を転移陣の入り口に通したあとは、ダンジョンの不条理さに根をあげて逃げ出てくるのを待つのが司の仕事である。
そして帰ってきた冒険者に「収穫はどうでしたか?」「無事で何よりです」「次回は頑張りましょう」とそれぞれに声をかけて終業である。
逃げ出てくるまでの退屈な時間は、いつも小妖精サキと雑談をして過ごしていた。だがその相手も今日はいない。
ひとつ、この仕事が長引く要因があった事を思い出す。
入場者が戻ってこないケースだ。そうなるととても厄介である。5時間が過ぎるまで外で待ち続ける事になり、領主とギルドにその結果を報告する業務まで重なってしまう。
いわゆる遭難報告。実質の死亡報告だ。
司は今日通した一組のパーティの職業構成を思い返した。
エルフの仲間の4人の人間族は、
「呆れるくらい超攻撃主体のパーティ構成だな」
魔王支配時代のダンジョンタイプならばそれも有効な攻略布陣になりえたのだろう。だが近代の新生ダンジョンにおいては悪手の極みである。その理由を挙げるならば両手の指では足りない程の数を司は経験から言い出せた。
「あれじゃあ魔石を得ても探索サイクルが回らないだろうな。まあ深くまで潜らなければ死にはしないだろうけど‥‥」
・・・・・。
司はエルフの女性、エルナネスの美しかった姿を思い返す。
それはまさにファンタジーそのものを体現したような清廉さで見ていて心を潤してくれる存在であった。言葉がたどたどしかったのは、まだ人間国に慣れていないからだろう。それでもこの街に来なければならない事情があったということだ。エルフ語が分かればもっといろんなことを話してみたかったと思えた。
「生きて地上に戻ってこれるかな‥‥」
入り口の前でずっと祈りを捧げている付き人の女性を見つめる。
ガイド役のサキを貸しているのでヘタを打つ事はないはずだ。だが気になる情報もあったので心配した。他のダンジョンでも起きているというカオス異変の噂だ。
司は袋から魔石をいくつか選別し、それを砕いた。
石から魔力が溢れだす。
【50魔石を50MP変換】
人差し指で宙に字を描く。光の線が沿うようにして軌跡が描かれていった。
それは魔法の詠唱のかわりに魔術紋章の描画で呪文を成立させる
魔力を伴う紋が正しく陣形化したことでさらに光を放ち、そして詠唱を自動で走らせる魔法起動文を発言した。
【20MP使用 小妖精 召喚】
ルーン紋章は周転し、小さな陣形をから小妖精を顕在させる。先ほどとは別の、新たな
小さな身丈の少女が光の粉を舞わせながら姿を現し、手のひらの上に着地した。司の専属としていた小妖精サキとは違い、身長はひとまわり小さく、素朴な服に身を包んで羽で飛ぶ個体であった。
その小妖精は軽口を叩きながら状況を把握しようとしていた。
「‥‥あら?珍しい。サキじゃなくて私みたいな低位の小妖精を呼び出すなんて。彼女とケンカでもしたのかしら?」
「ケンカなんかしてないよ。っていうか君とは初めましてのはずだよね?僕の事を知っているのかい?」
「私達の間であなたは達は有名人なのよ?」
「へえ‥‥なるべく目立たないで過ごしていたのに。パートナーの小妖精には出張してもらっていてそのサキの状況が知りたいんだ。頼めるかな?」
「フフフ。なるほど、相変わらず熱愛真っ最中だったのね。妬けちゃうわ。ええ、もちろん魔力と引き換えならお安い御用よ」
召喚された小妖精はビジネスライクに司からの交渉を受諾した。
「じゃあサキのダンジョン内での位置がわかる相対座標、それからサキからの言葉、あとサキが見ているビジョンの三つを頼む」
「そんなに?高くつくわよ?」
「構わないよ」
「さすがネオダンジョンの冒険者!気前がいいのね。他の皆にも大口の依頼者だと宣伝してあげるわ」
「いや、僕はただの受付係だから。これ以上ヘンな噂は流さないでくれ」
フフフ、と笑みを見せながら小妖精は司の手から離れ、宙でゆっくりと円を描いて飛び回る。噂好きの精霊ピクシーは魔力を利用する事で遠隔の同種と
そしてしばらくすと小妖精が降りてきた。
「繋がったわ。まずはサキの言葉からよ。『現在までに人間が一人負傷して行動不能』だって」
「うーん、早速か‥‥」
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