09 森出の若きエルフ/少年時代
新帝紀第14年。
最先端の産業機関を誇る街、カルザスト王国。
外壁の外からその街を眺めると、工場からの蒸気と煙が昇る景色が見える。
辺りからは大きな音が鳴り響くが、それは教会の鐘の音ではない。
大きく重い金属を機械で持ち上げ、それよりもさらに大きな金属をぶつけて加工している音である。
今日も機械動力である蒸気機関エンジンが音をたてて、朝から夜まで稼働し続ける。
暗黒時代を乗り越え人間の都市での生活は年々豊かになっていく。蒸気機関の研究は工業革命へと至り、それは社会に急速な文明発展をもたらす。
手から火を出すまでもなく、石炭から大量の熱エネルギーを得て大規模に鉄を加工する。人間の瞬間移動よりも、大量の物資を運べる列車が大規模な流通を実現させる。製鉄技術で作りだした部品でさらに製鉄機械の性能が高まる、技術の革新サイクルの進化が続いていった。
魔物のいないこの世界に魔法の需要はなく、その美しく神秘的だった力は工業技術の発展と巨大な市場を前に衰退の道を辿る。魔物侵略のない世界で武器の需要は減り、ドワーフ族は鍛冶職を手放して、工場員か生活工務員に属した。自然を愛するエルフ族は、人間との共闘を終えて元いた森の深くへとその身を霞ませていった。
そして、救世主であったはずの勇者達も月日の経過と共にその存在を薄くしていく。
そんな時代に、一人の少女が【エルフの森】を抜け出て人間の敷地を旅していた。
エルナレス・ウィズトリア
エルフ族の高純血種であるハイエルフの彼女は憂いの表情で芝生で広がる大地の上で佇む。
金色の髪はその一本一本が絹のように細く滑らかな質感で、吹き抜ける風に乱される事なく
彼女の隣に一人の老婆が横に立って話しかける。
『エルナレス嬢、寒くはございませんか?』
『アンナ、ありがとう。私は大丈夫よ』
そうですか、と答えながら侍女は後ろで待機させている人間達に目を向けた。
『コートが必要ならいつでも言ってください。どうやらそのお姿は人間の目を惑わしてしまうようです‥‥』
風の妖精と親和するエルナレスはその身を風に委ねるために薄い生地の軽装で旅をするスタイルであった。険者であるにも関わらず防具は左半身のみ、無いに等しい。上着は袖無しで肩から先は素肌を出しており、下半身の方も長く白い脚を露にしている。
16歳であるため、人間族から見ても成人に近い年齢と高身長な見た目。
しかし長寿のエルフ族基準からすれば生まれて間もない未熟な少女である。
人間族の男はそれにお構い無く、舐め回すように彼女の肢体を見てはニヤついてくる者が多い。
今も目の前を歩く四人の男達はチラチラとエルナレスの事を見ている。
侍女としてエルナレスに付いている背の低い女性のアンナは我慢がならず彼らに口を出した。
「傭兵として雇ったのだからお嬢ではなく周囲の襲撃に気を配れぬか?」
その言葉に傭兵達は笑って言葉を返す。
「今時こんな広い草原にモンスターなんていねえっての。これだから森の田舎者は」
「たとえ出てきたって片手間で退治できらぁ。俺たちレベルの戦士なんて貴重なんだからもっと優しくしてくれていいんだぜ?エルフちゃん」
人間族四人の傭兵は、エルナレス達が雇ったのだが、雇い主が妖精族である事に対して横柄な態度でいた。
アンナはエルフと同じ森に住んでいるグラスランナー族であり、エルフの令嬢の面倒を見るためお供している。
「お嬢に対してなんと無礼な!その下卑た態度は許されませんよ!」
「うるせえよ!お前は黙ってろ!」
グラスランナー族はホビット族のように背の低い種族でありアンナも小さい体格であった。
諜報に適しているが決して高い戦闘力を持つ種族ではない。
エルナレスよりも少し年齢は高いが、生まれたばかりの彼女と年が近いため気の合う侍女として長く従事していた。
『‥‥ねえアンナ、彼らはなんと言っているの?』
『我々妖精種の権威を侮っているようです‥‥』
『そう、相変わらずなのね。気にしないで聞き流してくれていいわ』
エルナレスは生まれてからほとんど森の外に出た事がなく人間語がまだ不自由である。
妖精は種全体で力が衰えているため人間に強く出るために森の秘宝を売った大金を利用しているが、人間族とは金銭契約を介しても大きな溝が両者にはあった。
しかしガサツで横暴な戦士職の四人だが実力は確かだという噂の男達。
魔法は使えないが過去の暗黒時代では腕にモノを言わせていた勲章持ちらしい。
エルナレスはこの旅を始めて2ヶ月、いろんな人間族を見てきた。
人間の驚異的な技術発展も目にした。
魔法を必要としない社会、魔法に変わる産業技術の進化。
その発展スピードには畏怖すら感じた。
対してエルフは古来より自然と魔力と共に森の中で精霊と調和して生きる種族。
しかし魔力を失った今の世界では昔ほどの立場ではいられず、迫害される事が多い。
『私は気にしない。迷宮魔晶核を手にして森に持って帰れさえすればいいのだから』
『そうなのですが、あの者達で本当にダンジョンを攻略できるのか疑わしく思えてきました』
『冒険者ギルドの推薦は信じられるものでは?』
『人間族のギルドでしたから‥‥せめて噂に出ていた大型モンスターと出会わない事を祈ります。何かあれば彼らは追加料金を請求してきそうです』
彼女らの旅の目的は新生ダンジョンの深くに眠る魔力の結晶【迷宮魔晶核】だ。それがあればエルフ族だけではなく近隣の妖精族も、長く存続していく事が出来ると推測されていた。
この街に到着して5日目、彼女達は探索のための入場条件を整える事に努めてきた。
西領地にあるダンジョンへの入場申請、その入場料の支払いと登録、腕の立つ傭兵の雇用。どちらも対亜人価格に吊り上げられて、手持ちの資金袋は底を見せていた。
しかしそのダンジョンの入り口がやっと目の前に見えてくる。
ウェスティーノ貴族屋敷の敷地内の一角。
そこに最近突如生まれた地下迷宮、
旧来のダンジョンとは違い、多くの魔力資源が収集出来ると言われている。
貴族所有の広大な芝生の大地の中にあるひとつの小ぶりな丘、そこに大型の
さらに近づいていくと黒髪の少年が座っていたのが見えてくる。
彼はこちらに気づいたようで、スっと立ち上がってエルナレス一行に挨拶をした。
「エルナレス=フェストリアさんとアンナ・バルトンさんの一行様ですね。話は伺ってます。ウェスティーノ家のダンジョンへようこそ。ここの入り口は私共が管理をしております、ご案内致しましょう」
少年はダンジョンの門番であった。
このダンジョンは貴族私有地で発掘されたため、保有者が明確に存在している私有ダンジョンだ。そのため出入りに関して高額な入場料を設けており、このように監視役が配備されている。
だがさすがに有料だけあって、探索のためのガイド役も彼は担ってくれているようだ。
初心者には手助けになるシステムである。
「私達は新しく生まれた近代ダンジョンの仕組みにはまだ疎い。説明を頼めるか?」
アンナ達にとってダンジョンに潜る事自体は慣れているのだが、新生した近代ダンジョンは今日が初めての挑戦である。
なので彼の説明に深く聞き入ろうとしていた。
「勿論です、新生ダンジョンは旧型と違う特徴がありますのでまずは大事な注意事項をお伝えします」
旧型とは洞窟型や魔塔型といった従来の魔物の巣窟であり魔王由来の産物である。
レアアイテム取得やレベルアップを目的に通年で探索がされたいた。
しかし新生は時間的条件が大きく違っている。
「まず入り口に入ると魔方陣があり、自動転移魔法によって地下深くまで転移します。そして最も大きな特徴として、このダンジョンは時限式であります。今から五時間の間だけ、このダンジョンの転移陣が活動し出入りが可能となります」
「その時間を越えるとどうなるの?」
「次の転移可能周期が訪れるまで出る事が一切出来ません。外から入ることも出来ません。次のインターバルまでは7日後の同時刻までです」
「時間を過ぎてしまうと中で一週間過ごさなければならないのね?」
「はい、このダンジョンは地下深くに存在しているため物理的な脱出は不可能です」
ガイドの少年はその年端の割にとても落ち着いた言葉遣いで説明してくる。
繰り返しの文言であるのだろうが、こちらが理解しやすくなるようにとても丁寧で端的な言葉を選んでいる。エルナレスへの通訳もしやすい。その事から少年の地頭の良さをアンナは感じ取った。
おそらくエルナレスと近い年齢、人間族としては普通の身長のごく普通の体格だ。
だが無視できない特徴がある。
闇のように漆黒な黒髪だ。
そしてそれは瞳の色にも宿っていた。
この世界では忌み色である黒色がゆえに、彼の言動の清廉さを払拭する程に、その姿は人間である傭兵らにも嫌悪感を抱かせていた。説明の途中で横から言葉が差し込まれる。
「おめえのツラ見てるとよお、なーんかイライラしてくるわ。もういいから勝手に入らせてもらうぞ」
傭兵達も同じ気分のようで、説明を最後まで聞かずに乗り込もうとしていた。
「最低限の注意事項は以上ですが、まだ大事なガイドは終わってませんよ?」
「ああ!? こちとら魔王時代にいくつもの難関ダンジョンを探索してきたんだぞ。こんな観光向けダンジョンにいる忌み黒のガキが偉そうに教鞭振るってくんじゃねえよ!」
そう言って男は腰ベルトに付けていた勲章のようなものを見せてきた。
どうやら昔は魔王討伐隊の一員だったらしいと司は察した。
「旧型を経験されているならばガイドの重要性も知ってますよね?入場料は既に頂いているので止める権利はこちらにありませんが、観光ではなく探索目的なら聞いておいた方がいいですよ?」
「そうだ、お前達はダンジョンの危険度を分かっておらんのか?」
「うるせえ、新型も旧型もねえ!どんなだって一緒だ、もういくぞ!」
「そうですか、わかりました。‥‥では最後にひとつだけガイドさせてください」
少年は目を細めて、とても冷たい目を傭兵達に投げ掛けた。
「ダンジョン内では、どんな目に遭っても我々管理側は関与しません。救護、援助は絶対にありえませんので自己責任の上で入場していく事をご承知ください」
諦めと憐れみを含んだ声色。その声を聞いてエルナレスの体には悪寒が走った。
黒髪の雰囲気に圧されたのではなく、彼の目の奥にあるとても冷たい感情を感じた。
「ふん‥‥わかったから早く通せ!無駄にモタモタしやがって」
言うべき事を伝えた案内係は元の営業スマイルへと表情を戻す。
「はい、ではこちらへどうぞ。ドアの向こうに転移陣の敷かれた空間があります。あと五分後にインターバルが明けて新生ダンジョンへの転移が始まるでしょう。必ず五時間以内にダンジョン内の転移陣に戻ってください」
少年は重い円盤のドアを押し込み、その入り口を開けた。
「五分後かよ、すぐじゃねえか。おい急いで中へ入るぞ」
「なんだ、中は転移部屋だけか?やけに狭い部屋だな」
「ヘッ。久々に血が騒いできやがったぜ。現役の頃の感覚が蘇ってくるな」
「おい、嬢ちゃん!早く入ってこい。へへへ、狭いから密着しても文句言うんじゃねえぞ?」
エレナレスの選んだ傭兵は一流だと言われてギルドから勧められた人材だ。
相場よりも高値の依頼料を提示された事がそれを証明してくれている。
しかし黒髪の少年の確固たる姿勢と比べると、彼らへの信頼度を相対的に押し下げる印象に繋がった。
「お前達勝手にいくんじゃない!」
傭兵の四人を止めようとするアンナであったが、小さく細い身体では止める事が出来なかった。
『アンナ、仕方ないわ。行ってくる』
『お嬢様、どうかご無事で』
妖精語の言葉で二人は会話をする。
エルナレスは人間語をまだ片言でしかしゃべれないのでこれから傭兵とはジェスチャーをメインにやりとりをする事となる。アンナはその知識からあらゆる言語に精通していたが、探索装備を整えていたないため、外で帰りを待つ。
見送られる形で歩くエルナレス、目を伏せている黒髪のガイドとすれ違う時、突然少年が言葉を交わしてきた。
「
『‥‥??』
「呼び出して、連れて行くと良いです」
少年はエルナレスに対してジェスチャーと一緒にシンプルな単語で言葉を伝える。
アンナが間に入ってきたので通訳を頼んだ。
「それは必須の事なのですね?」
「はい。
それは旧代では別の手段で代替していた行為であった。
しかし魔力が枯渇した新生時代においてはその行為は実現出来ず、近代の迷宮探索におけるノウハウとして有効な手段となっている。
「なるほど、荷物持ちに兼任でガイドさせていた我々の時代と大きく変わっているのですね」
「小妖精も転移前に呼び込む事で転移陣で同行させられます。不足した説明は彼らから補てんしてください。このあたりの小妖精は新生ダンジョンの事に詳しいです。通訳も担ってくれるでしょう」
「助言、誠に助かります」
『残念だけど‥‥小妖精を召喚するほどの魔力は私にはないわ』
「そう、ですね。お嬢様の魔力はすでに足りていません。その戦略は残念ですが‥‥」
「そうですか‥‥わかりました、では貸し出しましょう。コイツを使役して行ってください。サキ、来い」
そういって少年は離れた場所に置いていた箱の上に座っている手のひらサイズの妖精を呼び出し、エルナレスの肩にそっと乗せた。
その妖精は羽を必要としていない上位種であった。
服の意匠は先進的で、ワンピースを直線的に形どった鋭利的なデザイン。未来的な雰囲気を感じさせる見た目の妖精であった。声は小さいが聞こえる声量で言葉を話す。
「ふーん‥‥私のことを他の人に使役させるのね」
「一時的なものだよ。彼女に協力してやってくれないか?」
「ツカサってエルフも守備範囲内なのね」
「むしろファンタジー界においては最たる要素だと思ってる所はあるよ」
人間と妖精の間には似つかわない親密な関係が二人の会話から伺えた。
小妖精がツカサと呼んだ少年。
人間族でここまで妖精と信頼を築くのは難しくエルナレスは驚いていた。
「まあいいわ‥‥。じゃあ、『よろしくねエルフの冒険者』」
1人のエルフが小妖精を連れて4人の人間と共に
このエルフとの出会いで黒髪の少年の世界はさらに広がっていく事となる。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます