第9話 あまりにも空虚

「生き生きしてる」と坂木が言った。


「うん、そう思う」と僕は言った。


三田キャンパスの南教室には30名ほどの慶應生と社会人がいた。社会人の大多数は慶應の卒業生だろう。


文明塾。


原田さんは起業家として3回連続の講座を引受け、壇上でスライドを映しながら話している。原田さんはこうして若い人に自分の事業を語る時が一番生き生きとしている。おそらく、仕事をしている時よりも。


「常に全く新しいクリエイティブを考える必要がある。これから来るクリエイティブ、これを僕はクリエイティブ2.0と呼んでいる。モノからコトヘ、コトから物語へ、そしてクリエイティブ2.0とはポスト物語消費の時代だ。テクノロジーの発展と、今後来るブロックチェーンが浸透した世界では、あらゆる限界費用がゼロに近づく。そこで起こるのは、実は膨大かつプリミティブな多様な形態の個人間契約であり、そこにはもはや大きな物語は存在しない。ゆるやかな島宇宙も徐々にその外形を失っていく。来るべき未来とはもはや完全な個の時代であり、個のクリエイティブであり、ストーリーとは個人そのものだ。経済とは個が生み出す価値の個人間の交換作業でしかなくなっていく。この時代におけるクリエイティブが、クリエイティブ2.0なんだ」


原田さんはスライドを回しながらそんな話をしていた。


抽象的な話をする割に、儲けの殆どが一発当てたソシャゲとオンライン広告代理業なんだよな、と坂木は呟いた。


まぁ、いいんじゃないか。と僕は言った。

学生起業して、紆余曲折を経つつも、今では150人が食えるくらいの会社を作った。それは大したことじゃないか。少なくとも4大事務所へ入って威張るやつや、商社に入って人を見下して来る慶應生よりは。


それにしても、原田さんが本気でこういう話をしているのは(おそらく本気だ)、これはこれで何かしら超現実的な空虚さがある。


以前原田さんはブロックチェーン事業で金をひっぱったと言っていたが(そもそもこれはブロックチェーンに関する事業ですらない)、この話で数億決めたのだとしたら、やはり資本主義―――こういう言い方をすると、沓子は大げさすぎると僕を嗜めるが―――というのは、駆け引きとリターンのあるおままごとのようなものなのではないかと思う。


おままごとのルールと、それにうまく勝つコツを覚えることだ。そういう才能、もしくは生まれつきの性格の傾向というべき何かが自分に備わらなかったので、僕はこうして無職である。でも、それにしたってこれはあまりにも空虚じゃないか?


講座が終わった後、お前ら来てたのか、と原田さんが声をかけて来た。


「はい、坂木と」僕は言った


お前は本当に慶應が好きなんだなと原田さんは言った。


「学生時代も三鷹から三田まで毎週来るくらいには」と坂木は言った。


坂木はICU卒だ。栃木県の山奥から上京した純ジャパであるという肩身の狭さと、帰国生特有のコミュニーケーションについて行けず神経衰弱になり、大学時代は慶應によく遊びに来ていた。


「雨宮、慶應は最低だけど、すぐに人を見下してくる帰国子女の連中よりはいくらかマシだ。なぜ帰国生は欧米のマチズムを曲解して輸入した挙げ句、黄禍的個人主義というべき矛盾したアイデンティティまで持ち込む」


と彼は学生時代に僕に話した。


言いたいことは分からないでもないけど、やはり自分には坂木のこう言った類のコンプレックスはあまり理解できない。彼は少々屈折しすぎなのだ。帰国子女らにマチズムを輸入する意図はない、君は単に『彼らにとって』とるに足らない人物と思われただけだ。

坂木もおそらく地元へ帰ったら地元の友人に自身の優位性みたいなものを滔々と語ってそうじゃないか。坂木、深く考える必要はない、それはコンプレックスの問題だ。黄禍論なんて持ち出さなくていいんだ。アイデンティティのコード・スイッチングみたいなものなんだ。


数名の女子大生が、原田さんになにやら質問をしながらメモを取っている。きびきびとした所作で、利発そうな雰囲気だ。原田さんは愉快そうに話している。彼はこの後女の子と連絡先を交換する。やれやれ。そいつじゃないんだよ、君たちが話すべき相手は。


今僕は目を輝かせながら原田さんと喋っている若い女の子を見ている一人の無職だ。そう、僕は彼に嫉妬しているのだ。


雨宮、深く考える必要はない、それはコンプレックスの問題だ。それにしたって、あまりにも空虚じゃないか?

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