他人志向思考の試行

来る祭典の日、

自ら歩くことをやめた人間が、自ら歩いていく人間を蹂躙し、

破綻したレッドカーペットが宙を舞う。


 - 自神管理教 きょうそ -











結局のところ、安全とは、

前提条件が守られていないと成り立たないものなのだ。


いくら安全を並べたところで、機能しなかったら意味がない。


ハサミがおいてあるとしよう。

近くに子供がいる。これはあぶない。

引き出しに入れて見えないようにしておこう。


これが基本的な安全の確保である。

子供が引き出しを開けてハサミを手にすることは考慮しない。


では、引き出しに鍵をかけたらどうか。


鍵をつけるというのは、最も簡単な安全の確保の方法である。

それは、物理的な鍵であったり、電子的なパスワードだったりする。


しかし、鍵を盗まれるということは考慮しない。

容易に考えられることだが、考慮せずに安全とされている。


子供というのは好奇心旺盛であり、

勝手に鍵を持ち出すこともあるだろう。


また、子供は知らない間に友達を見つけてくるものであり、

鍵開けの技術を持った友達がいたり、

斧を持ってきて引き出しを叩き割る友達がいたりする。


悪意に対抗できる安全について考えることは、実は稀である。

鍵穴をつけたら、鍵を使って開けることが暗黙のルールとなってしまう。

何とかこじ開けようとする人間がいるなんて考えない。


そう考えると、頑丈な金庫に入れたところで

子供はハサミを持ち出してしまうのだ。


そのような視点に立って世の中を見渡せば安全なんてものは存在しない。

家に引きこもっていても死ぬことはあるのだ。


では、究極の安全を追求するとどうなるか。


なんと人間が一番安全ということになる。


結局のところ、安全が破綻する原因は、

設計者の想定の範囲外の出来事に対応できないところにある。

現在、想定外の出来事に対応できるのは、人間以外存在しない。


人間にハサミを持たせておけば、子供は容易に持ち出すことができない。

持ち出したければ交渉力が必要となる。

ハサミを持たせた人間が信頼できる人物ならば、

いかなる交渉も断ってくれるだろう。


何とか奪い取ろうと子供が組み付いて来たら、

撃退することもできるし、

一目散に逃げ出すこともできる。


信頼と安全が比例するが、戸棚にしまっておくよりはよい。


しかし、人間を24時間ハサミの監視をさせておくわけにはいかない。

時間も費用も無駄である。


方法は二つある。


機械的に活動してくれる人間を用意する。

あるいは、人間的に活動してくれる機械を用意する。


機械的に活動してくれる人間を用意するのは難しい。

奴隷だって逃げ出すのだ。

いつでもどこでも言われたことを言われたとおりできる人間なんて、

簡単に作れるはずがない。


今の時代、そんなことをしたら非難されるのは常識である。

この方針はあきらめざるを得ない。


では、人間的に活動してくれる機械はどうだろうか。


こちらは、機能を制限するのであれば、既に実現されている。

炊飯器、洗濯機、パソコンなど家電と呼ばれるものがそれにあたる。

なんでもはできないが、何かを人間の代わりにやってくれる。


最近はAIの進歩もあり、素人の人間では太刀打ちできないレベルで、

すばらしい仕事をやってのける。

人間よりも長期的なコストが安いこともあり、なくてはならない存在だろう。


だが、いくら仕事ができても人間ではなく「もの」である。

誰かに使役されないと動かない。


「誰か」は、誰でもいい。


これは安全だろうか。

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