第34話

 一見すると華奢に見えるオカマだけど、重い背負い子を背に、レマ・サバクタニを軽々と肩に担いで、歩く。

 松明に照らされて、白い大理石の床に影法師が刻まれるのだけど、一緒に映るレマ・サバクタニのずんぐりした影より、明らかに薄い。

 でも、影が出来るってことは……。

「そう、鋭いわね処女ヴァージンちゃん。私は『半吸血鬼ダンピール』。そうでなけりゃ、こんな何もない場所で十五年も生きてないわよ」

 さすが『不死者ノスフェラトゥ』。

 異様な怪力も納得だ。身体能力の分母が違う。

 三十分程も歩いただろうか。

 この神殿のような回廊のような巨大建造物も、どん詰まりに来たようだ。

 高さ十メートルほどの巨大な門。

 それが、半開きになっている。

 横倒しになっているのは、巨大な玉座。

 何かが、うにうにと蠢いている。この玉座に囚われたまま、苦しみ続ける亡者たちだった。

「あれは、魔王に挑んで破れた何十人という『勇者』たちのなれの果て。魔王を滅ぼさないと、永遠にあのまま」

 悼む目で、オカマが玉座を見る。

 呻き声が聞えた。


「殺して、苦しい、苦しい、いっそ殺して」


「何も見えない、暗い、寒い」


「ああ、嫌だ、許してください、助けてください」


 意味をなさない苦呻に混じって、そんな声。思わず耳を塞いでしまいたくなる、絶望の声だ。

 その玉座の後ろに、半開きの門に駆け込もうとする魔王の姿。

 なんて恐ろしい姿。

 漠然と魔王と呼ばれるのには、訳がある。

 視覚情報として見たものが、あまりにも恐ろしいので、脳が画像を結ぶのを拒否するのだ。

 黒々とした大きな塊。ただただ恐怖ばかりが、胸にせまる。

 吐き気と頭痛に襲われ、よろめく。

 その私を、オカマが支えてくれた。

「まともに見ちゃダメ。後ろ姿だからまだこの程度で済んだけど、真正面から見ると衰弱死しちゃうわよ」

 目の端におさめさながら、改めて『魔王』をチラ見する。

 なんと、あの『魔王』に空中から飛びかかろうとしている姿を捉える。

 まだ少年の面影を残す人物。

 これが、多分『ビシャ』というコードネームで呼ばれる『勇者』だろう。

 勇者適性率九十五パーセントという奇跡の少年を私は見ている。

 案外普通の田舎の少年という感じだった。

 鼻梁を横切る絆創膏。ツンツンに伸びた硬い髪。頬には十字に古傷。恐ろしい『魔王』に肉薄してなお、不敵な笑みを刻んでいる。

 掲げた大剣は伝説の魔剣『魔族殺デモン・キラー』だ。勇者適性率が七十五パーセント以下だと、持てば狂い死にすると言われる、特級の魔剣にして勇者専用の武器。

 『魔王』は仰け反るようにして『魔族殺』をよけていて、手刀を横一文字に振っている。それが、今まさに勇者の胴を薙ぐ瞬間、時間が静止している様だった。

「時間を固定する能力……『ゴッド七人セブン』が一人、ベンテンの魔導だったな」

 壁に寄り掛かったまま、いつの間にかレマ・サバクタニが目を覚ましており、オカマをにらみつけていた。

「あら、術のかかりが浅かったかしら? お早いお目覚めね、ダーリン」

 オカマのセリフに、フンとレマ・サバクタニが鼻で笑う。その野卑な態度が、今は頼もしい。

「力ある言葉が俺の名前でね。先天的に魔導のかかりが悪いのさ。おかげで、魔導は身に着きにくくなったがね」

 ゆっくりと立つ。

 不敵なセリフを吐いた割に、ガクガクと膝が笑っているのが、情けない。しっかりしろ筋肉ダルマ。

「ありゃ『魔王』か? 死んだんじゃねぇんだな」

 オカマが肩をすくめる。

「時間を止めただけ。勇者迎撃に『魔王』の魔導が集中した一瞬、やっと私の魔導『一時停止ポーズ』が徹ったってわけ」

 オカマは十五年間、こんなさびしい場所で、時間を止め続けていたということ?

「見てよ、可愛いでしょ。そして、馬鹿みたいに勇敢なの。魔王を相手に、カケラも怯んでない」

 十メートル頭上の『勇者』に手を伸ばして、オカマが言う。

 眼尻からつぅっと涙があふれ、頬を伝う。

「彼をここまで送り届けるのが、私たちの役目。でも、みんな死んでしまった。もう『一時停止ポーズ』を解けば、ビシャも死ぬ。ビシャが死ねば、世界はおしまい。私は、ひたすらここで、時間を止め続け、エビスヨシカーズの魔導である予知能力『未来視ヴィジョン』を信じるしかなかった」

 懐から出したのは、お世辞にも上手とはいえない絵だった。

 臼らしきモノを背負った巨漢は、レマ・サバクタニに見えなくもない。

 その隣に描いてある女の子は私? 肌が灰色で嘴があるんですけど?

 シュールすぎる。ひょっとしてアンちゃんと混じった?

 そんな、私たちに見えなくもない人物が、ぐちゃぐちゃに塗りつぶした『魔王』と『勇者』とともに戦っている超へたくそな絵だった。幼稚園児が描いたみたいな。

 頭痛がするほどへたくそなんだけど、もう一度見たくなる絵でもある。奇妙な情念を感じるのだ。

「世界は、因果律の糸で紡がれている。あなたたちがここに到達したのは、必然。運命の導き。私はそう思っているの」

 オカマ(どうやら、本当に『ベンテン』らしい)の魔力は、人間より貯蔵量が多かったけど、もう尽きかけていて『魔王』を封じる『一時停止ポーズ』の持続は難しかったらしい。

 そこに現れたのは、ぼっち喪女の私。彼氏いない歴=年齢というわけで、当然のことながら処女ヴァージンです。

 吸血鬼にとって「処女の血」は最高級食材で、僅かな分量で強大なエネルギーを生むらしい。

 直接首に齧り付かれるのは嫌だなぁと思っていたけど、あれは一種の凌辱行為で、わざと乱暴に扱うことで、吸血鬼は性的興奮を得ているそうだ。

 う~……キモチワルイ。

 本当は、触れるだけで浸透圧を操作して、皮膚に傷をつけることなく血だけを抜き取る事が出来ると、ベンテンは言っていた。

「だいじょうぶ、私、女に性的な興味ないから」

 乱暴に扱われないのは良かったのだけど、なんか屈辱的。

「私たちは、あなたに血液を提供し、『魔王』討伐に協力する。その見返りに、アンちゃんを助けて、私とレマ・サバクタニに『大特異点』を使わせる。これでいい?」

 ベンテンが頷く。レマ・サバクタニも。

 私は毛布を畳だ上にアンちゃんをそっと置いて、その横顔にキスをする。


 ―― おかあちゃん、がんばるからね。


 ベンテンの前に立ち、顔をそむけて首筋を晒す。

 熱気の様にベンテンの飢えを感じた。

 怖い。怖いけど、逃げない。アンちゃんを助けるんだ。


「ごめんね、痛くないけど、気分は悪くなるかも」


 そう言って、ベンテンは右手を、A国領土の絶海の孤島『ワイハ』のあいさつのハンドサインの様に、人差指、中指、薬指を握り込み、小指と親指だけを伸ばして、その小指をそっと私の首筋に触れさせ、そして、親指を真っ赤なルージュが塗られた唇で咥える。

 ちらっと見えたのは、伸びた犬歯。穢れた吸血鬼の牙だ。

 ざわざわと私の産毛が嫌悪に逆立つ。

 魂のレベルで汚された感覚。

 背中に何度も何度も電気が走った。


「あ、あ、あ、あ……」


 思わず声が漏れる。

 体中の血液が一気に沸騰し、視界に金色の星が散る。

 膝から下の力が抜けて、カクンと倒れそうになった。

 ベンテンがガシっと左手で私を支える。

 このオカマが触れたところが、ビクンと体が仰け反るほど触覚が敏感になっている。

 目の端に、鉄槌を構えたレマ・サバクタニが映る。

 見たこともない怖い顔だ。

 そういえば、戦闘中、私は彼の後頭部しか見ていない。

 こんな、怖い顔するんだ。


「だいじょ……あ、あ、今、殺したら、あ、あ、あ、台無し、あ、あ……」


 言葉を紡ぐことすらできない。

 何度もジェットコースターに乗った後みたいに、腰がふわふわしていた。

 変な声が出て、恥ずかしいけど、止められない。

 呼吸しても、酸素が全く肺に入っていかないみたい。

 気が遠くなる。その寸前で、踏みとどまっている。

 意志に反して、ビクンビクンと体が跳ねる。その度に、切ない声が漏れた。

 これが、吸血鬼が犠牲者を魅了する『魅了チャーム』という自動発動型の魔導だ。

 直接喉に牙を突き立てられると、牙を通じて魔導毒素が体に侵入し、被害者は一種の麻薬中毒者のようになる。

 そして、夜な夜な、吸血鬼の侵入を待つようになり、最終的には廃人と化す。


「終わったわ、ごめんね。処女ヴァージンちゃんには、キツかったかしらね」


 心なしか、ベンテンの顔がツヤツヤしている。

 私はその場で蹲り、自分の体を抱きしめる。

 ジンジンと体中が疼いていた。吸血鬼の『魅了』の余波だ。

 頭もクラクラする。

「すごいわ! 体中にガソリンが駆けまわっているみたい! すごく良質な血! 処女最高!」

 口の中の余韻に浸る様に、ベンテンがため息交じりに言う。

 そりゃ、私はタバコも吸わないし、変なお薬もやってない、真面目っ子ですからね。

「早く、アンちゃんを治療してよ!」

 このために、こんな屈辱に耐えたのだ。余韻にひたってんじゃねぇよ、オカマ。

「治療は、無理。解毒剤がないもの」

 ベンテンの言葉にカッと頭に血がのぼる。

「騙したのね!」

 ナイフを腰のベルトから抜いて、ベンテンに向かって突き上げる。

 その切先は、ベンテンの指の間に挟まれただけで、ビクとも動かない。

「あら、意外と狂暴ね。『治す』とは言ってないでしょ。『助ける』って言ったのよ」

 あっという間にナイフは捥ぎ取られて、私は尻餅をついた。

 鉄槌を構えたレマ・サバクタニが、一歩踏み出そうとした瞬間、


 ―― ベン!


 ……と、神器『虚丸うつろまる』が鳴る。

 レマ・サバクタニの脚が固着し、動けなくなってしまった。脚の時間を止めてしまったのだろうか。

「くそっ」

 口汚くレマ・サバクタニが罵る。今、彼に出来るのはそれだけだ。

「魔導力満タン! さあいくわよ」

 撥ばちが、琵琶型の神器『虚丸うつろまる』を掻き鳴らす。

 ベンテンは『神ノ七人』になる前は、ギタリストだったらしいけど、たしかに見事な演奏だった。幽玄の響き。急転して激流のような激しさ。

「この小さな龍の時間は停止したわ。地上に戻ったら、この子に合う解毒剤を見つけてあげて」

 たしかに、受毒による病の進行は止まった。一応『助けた』ことになるのか。

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