第33話
レマ・サバクタニが、アンちゃんの気管に詰まった血塊を吸い出して、気道を確保した。
私は心臓マッサージをし、レマ・サバクタニは、そのまま人工呼吸をつづける。
自発呼吸も始まり、浅く、早く、弱いけど、アンちゃんの小さな心臓は再びビートを刻んだ。
アンちゃんを救助した時のような、抱っこ紐を、レマ・サバクタニは手拭いを作ってくれて、私はそでアンちゃんを包み、首から下げていた。
「……だから、あんまり感情移入すんなって、言ったんだぜ」
私の前を歩きながら、レマ・サバクタニが言う。
「うるさい」
それで慰めているつもり? バカじゃないの?
「死を待つばかりだったのを、わずかな間とはいえ、救ったんだ。あとは、ゆっくり眠らせてやれ」
もうアンちゃんが死んだような言い方に、カチンとくる。
「うるさい! うるさい! うるさい! いつもみたいに、何か便利道具出して、なんとかしなさいよ!」
後ろからレマ・サバクタニを蹴る。
まるで、分厚いゴムに包まれた岩を蹴ったみたいで、足が痛い。
「アンちゃんを助けなさいよっ! 馬鹿! 役立たず!」
あとから、あとから、涙があふれてくる。
このまま、私は溶けてしまうのかもしれない。
レマ・サバクタニが振り返り、私の両肩にごつい掌を乗せてくる。
「辛いのは、判る。だが、もう、どうしようもない。俺がやる。チビを渡せ、楽にしてやろう」
アンちゃんを抱きしめ、身を振りほどく。
「嫌! なんて酷い事言うの? あんたなんか、大嫌い!」
何度も、空いた右手でレマ・サバクタニを殴る。私が殴っても、岩を叩いているようなものだ。
でも、拳よりも、私の胸の奥の方が痛かった。
「長く、苦しませるな。いいから、貸せ」
アンちゃんは異界生物。だから、ヒヒイロガネしか通用しない。あの『鉄槌』でアンちゃんを砕くというの?
そんなの、嫌。絶対に嫌。
「ああ、神様! 神様! アンちゃんを助けて」
でも、知ってる。神様なんていない。
五十三年前、異界生物が突如現れ、人間が激減したときに『神様』とやらは、何もしてくれなかった。十五年前の『大凶津波』の時も、体を張って異界生物の大攻勢を食い止めたのは『神様』とやらではく、人間の意志だ。
それでも、私は祈っていた。
「いいわよ」
どこからか、声が聞こえる。
バッと私から離れて、レマ・サバクタニが『鉄槌』を構える。
そして、その場で独楽の様に一回転した。
いつの間に抜いたのか、レマ・サバクタニの左手にはスローイング・ナイフが握りこまれていて、それを、膂力と遠心力を使って投げたのだ。警告は無し。無言で。
一直線に飛んだナイフは、柱の陰に吸い込まれてゆく。
ベン……と、何かの弦楽器の音がした。琵琶の音?
すると、不可視の壁に刺さったように、ナイフが空中でビタっと静止する。
「危ないわね」
柱の陰からゆらりと現れたのは、ケバい女だった。いや、女か?
髭の剃り跡あるけど? でも、少なくとも服装は女性のものだ。
手にしているは、古い琵琶。やっぱりさっきの音はこれ。
彼女(彼?)の服装は、古代ギリシャの貫頭衣みたいな質素なデザインだけど、モノは上等で、多分シルク製。
パレオ風の腰巻。それを、金糸銀糸で刺繍された派手な帯で留めている。パレオの合わせ目から覗く脚は、意外と長くて形がきれいだけど、すね毛が濃い。
長い髪は結い上げてあって、五本ほどの簪で留めてある。装飾の意味合いが大きいみたいだけど。
やっぱり男なのか女なのか、よくわからない人物だった。
「警告なしとか、乱暴者だわね。でも、情熱的な男は嫌いじゃないけど」
声も甲高い男の声とも低い女の声ともとれる声。
レマ・サバクタニの眼がすぅっと細まり、やや腰が落ちる。間合にはいったら、殺す気だ。
「この子を助けてくれるの?」
脳筋の馬鹿に、殺されてしまう前に、これだけは聞いておかなければならない。
「ええ、助ける事が出来るわよ。だって私は『
十五年前、人類滅亡の危機『大凶津波』。
幾万、いや数千万もの魔導生物の軍勢が、巨大な津波の様に各地を飲み込んだ巨大災厄。
唯一の希望は、勇者適性率九十五%という奇跡の少年の存在。
この『大凶津波』の元凶である『魔王』に対抗できる因子をもつ唯一の人間。
神話クラスの英雄でも勇者適性率は八十%がいいところで、欧州を席巻した砲兵士官からフランス皇帝まで登りつめたオフランス(現・F国)の英雄ナポレオン・ソロ・ボナパルトさんでも遺髪のDNA鑑定の結果、勇者適性率は五十八%だったという(一般人は、多くて十%。平均三%)。
その奇跡の少年を補佐するため、世界各地から選りすぐりの魔導研究者や対魔導戦闘の専門家が六人集められた。
彼ら彼女らは、エビスヨシカーズ、ダイコク、フクロク、ジュードロゥ、ベンテン、ホテイトモヤースというコードネームで呼ばれ、勇者の少年はビシャと呼ばれていた。
J国の縁起が良いとされた『七福神』の名称のもじりであり、「幸運を」の願いがこめられていた。
この特別編成のタスクフォース・チームこそ『神ゴッドノ七人セブン』。
首尾はわからないまま、魔導生物の無限湧きは止まり、相変わらず危機的状況だが、世界は辛うじて生き残っている。そして『神ノ七人』は誰一人として戻ってこなかった……。
多分、魔王と刺し違えたのだろうと言われている。
昔の報道映像で『神ノ七人』結成の記者会見を見た事があるけど、たしかに一人、ドラッグクィーンみたいな人がいたような気がする。
その人は神器『
さっき爪弾いた弦楽器がそれだろうか?
「探したぜ。なんでも『大特異点』を守り続けているそうじゃねぇか。俺ぁそいつに用があんのよ」
そう言って、じりっとレマ・サバクタニが距離を詰める。
派手なオカマっぽい性別不明のベンテン(多分そう)が、ゆらりとその分間合いを広げた。
レマ・サバクタニの有効射程距離を瞬時に見抜いたというの?
―― ベン……。
J国の伝統料理、円盤状の無発酵パンに似たオコノーミをひっくり返すコテに似た『
胸に染み入るような、美しい音色。ふっと眠気が襲う。
レマ・サバクタニが膝をつき、うつ伏せに倒れた。そして、ぐぅぐぅと寝息をたてはじめる。
私はよろめいたけど、踏みとどまった。
アンちゃんを助けなくてはいけない。その一念だ。
「怖い子はお眠にしてもらっちゃった。集中している人ほどかかりやすいのよね」
ケバいオカマが、肩をすくめて、ペロっと舌を出す。
いやいやいや……可愛くないんですけど。
身長百八十センチ越えてるし、妙に顔がゴツいし。
「アンちゃん……この小さな龍を助けることが出来るって言いましたよね」
「うん」
「では、助けてください。私に出来ることは何でもします」
「ふぅうん、なんでもぉ~?」
自称『神ノ七人』の一人であるキモいオカマが、クネクネした腰つきで、こっちに歩いてくる。……こ、怖い。
でも、私はぐっと肚を据えてまっすぐオカマを睨みつけていた。
何度も、死ぬような目にあった。今更なんだってんだ。
オカマがぬっと私に顔を近づけてくる。
そして、くんくんと私の首筋の匂いを嗅いでいる。
さぁっと、鳥肌が立つ。魂が穢されたような、嫌な感覚。
息絶え絶えだったアンちゃんがもぞもぞと動いて、小さく「ぎう」と鳴いた。
私を守ろうとしているらしい。
「戦わなくていいの、大丈夫、大丈夫よ」
指でアンちゃん顎の下をこりこりと撫でてあげる。アンちゃんは、ここを撫でられるのが大好き。
「あんた、
オカマがのけ反って笑う。何か、屈辱的。
純潔は愛する人に捧げるもの――(個人的意見です、第三者に強要するものではありません。タジーマ先生怒らないでください)――。私はまだ、出合ってないだけだ。ぼっち喪女なめんな。
「やりかけの仕事を、この筋肉ちゃんと手伝う事。そして、六十ミリリットルでいいから、アンタの血を頂戴」
オカマの眼が、爛と赤光を放つ。
ああ、最悪だ、このオカマは『吸血鬼』だ。
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