第32話
まるで、地震のようにビル全体が揺れている。
赤龍が爪でビルの壁面の強化ガラスを砕きながら登ってきているのだ。
この東塔の高さはおよそ百五十メートルの高層ビル。
その屋上から、私たちはよじ登ってくる赤龍を見ている。
「そんじゃまぁ『人間ナイアガラ作戦』いくぜ」
レマ・サバクタニの分際で、気取ったフィンガースナップなんかしている。
気障な動作は似合わないわよ。筋肉ダルマ。
その瞬間、一斉に私たちがいる屋上から三フロア下の窓ガラスが一斉に割れた。
ガラスの比重がニ.五とすると、ガラス厚十ミリ、横幅一メートル、高さ二メートルのガラス板だと重量は五十キログラムになる。
それが、次々と割れ爆ぜて、赤龍に降り注いでいるのだ。
ガラスは割れると尖った方を下に落下する。
ガラスに小さな穴を空け、そこに火薬を仕込む。それを、延々レマ・サバクタニは繰り返していたのだろう。
私がアンちゃんと射撃訓練をしている間、DIYを使った工作、水・食料の調達から、こうした爆破準備まで、コツコツとやっていた。
眠っている時以外は延々働き続けていたわけで、この飽くなき勤勉さ……いや、強迫観念的な情熱は、尊敬に値する。
キラキラ輝く滝の様に、赤龍にガラスが降り注ぐ。
赤龍が登ってきたのは五十メートルほど。
百メートルもの距離を落下して重力加速がついた無数のガラスが、赤龍の体に弓兵の一斉射撃の様に突き刺さる。
彼奴はたまらず翅を広げて逃げようとしたが、その翅も、更にワンフロア下のガラスの列が破裂して、再び降り注いだ時に、損傷を受けてしまっていた。
ドスンと地面に赤龍が落ちる。
体中に切り傷があり、同情を覚えるほどだ。
仰向けに落下したのも、悲劇的だ。
最後のガラス列が爆発したのだけど、それが、柔らかい腹部にドスドスと突き刺さってしまっていた。
まさに、ナイアガラ。
レマ・サバクタニが助走をつけて屋上から身を投げる。当然、私も落ちる。
「いくぜ! ダメ押し!」
赤龍には『再起動リセット』ほどではないけど、修復機能がある。
畳み込んで、修復能力を上回るダメージを短時間で与えるのが、龍狩りには必要らしい。
レマ・サバクタニの背負い子から、しゅるしゅると紐が伸び、落下の空気圧でバッとパラシュートが開く。
高層ビルから、ジャンパーがパラシュートで飛び降りるという犯罪行為が、『ニヤニヤ動画』とかでアップされることがあるけど、私たちが今やっているのがそれだ。
これが、レマ・サバクタニ考案の『人間ナイアガラ作戦』。やっぱり『人間』いらないわよね?
身じろぎして、赤龍が起き上がろうとしている。
ショック状態から醒めたらしい。
「させないよ!」
樽から身を乗り出して『
これは、直射で仰向けの赤龍の腹部に三発とも着弾した。
内臓が傷ついたか、赤龍の猛禽類の嘴のような口から、血が溢れた。
この世界の大気は、異界生物には毒。
表皮を突き破って、食い込んだガラスと『
パキンと音を立てて、パラシュートが外れる。
レマ・サバクタニの『パチパチ君』が、火薬を燃焼させて、パラコードを焼き切ったのだ。
赤龍の上に、レマ・サバクタニが着地する。
着地した時は、既に鉄槌を大きく振りかぶっていた。
「一撃必殺!」
『鉄槌』が、思い切り龍の頭に降り下ろされる。
そして、閃光。まるで大砲でも撃ったかのような、爆発音。
レマ・サバクタニの必殺技『
赤龍の装甲被膜を、鉄槌の先端に装着されたヒヒイロガネが突き破る。
内圧の膨張に、赤龍の眼球が突出し、鼻と耳から血が噴き出た。
レマ・サバクタニは勢い余ってその場で一回転し、転倒した。
彼の体は地面に散乱したガラスでザクザクに裂け、例によって両肘があり得ない方向に曲がっている。
当然の結果だ。大砲を腕で支えて撃っているようなものなのだ。タダではすまない。
私は、アンちゃんを庇って、また樽の中でシェイクされていた。
顔面を打ったかも。どばっと鼻血が出た。またかよ、美少女(自称)台無しだよ。
袖で血を拭いながら、レマ・サバクタニの首筋をチョップする。『
「いて」っと筋肉ダルマが言った瞬間には、もう「受傷なんてなかった」という状態に巻き戻っている。
見れば、赤龍は死の痙攣におそわれており、頭部は無残に爆ぜ割れてしまっていた。
赤龍の自己修復能力も頭部を潰されてしまって、回復が追いつかないまま停止してしまったようだ。
レマ・サバクタニの『
「見ろ、門が開く」
赤龍が、内側に折りたたまれる様に小さくなってゆく。
赤銅色の鱗は、黒く煤けて、骨が砕ける音、バリバリと鱗が粉砕される音とともに、黒い虚ろな穴に変わってゆく。
「これは、どういった仕組み?」
空樹の塔の基部に隠した物資袋を引きずり出しているレマ・サバクタニに問う。
「龍自体が『要』だったんだろうよ。俺は、学者様じゃねぇから、仕組みなんざ知らんよ。こうすればこうなるという経験則しかわからん」
もう、赤龍は跡形もなく、そこには直径三メートルほどの穴が開いているばかり。
「多分、次が最深部だ。覚悟はいいか?」
ブルッと震えが走る。精鋭部隊ですら到達しえなかった場所に、私は立っているのだ。
「今や、おめぇもれっきとした『
あ、そういえばそうだ。
数少ない、龍と戦った者になったのだった。
そして勝利した者だけが『
「さて、閉じちまう前に、行くぜ。経験上、もうじきこの空間も消える」
私たちは穴に身を投げた。
強い眩暈を感じた後、私たちは巨大な神殿のような場所に立っていた。
「ビンゴ! ここは『入口のない神殿』ってぇ場所だ。『大特異点』の前兆だよ」
天井が高い。およそ十メートル程。横幅は五十メートル程。コリント様式らしい柱が、並木のようにずっと奥まで続いている。
至る所にランプが煌々と。これだけあると、交換だけでも数日かかりそう。
人の気配はない。大理石らしい床を歩く私たちの足音だけが、カツーン・コツーンと響く。
「噂には聞いていたが、初めて見たぜ」
備蓄品に場所を譲って、私は樽を出て、レマ・サバクタニの斜め後方三メートルの所を歩いている。
行軍中は、一直線に並ばず、死角をフォローする位置に就くのが定石。
背負い子の爆薬ケースで、レマ・サバクタニの死角出来ている。それに真後ろは、爆発反応装甲の爆風が走る。巻き添えは御免だ。
もっとも、もう火薬は『鉄槌』の基部に収まった四つの薬莢と、『雲曳クラウドレッカー』一発分しかないけど。
風を感じる。私たちの後方から、進行方向にかけて。
レマ・サバクタニの情報によれば、『大特異点』は換気扇みたいに空気を吸い込んでいるそうで、その吸引力が変わらない唯一の特異点なのだという。どっかの掃除機みたい。
私は、アンちゃんを左腕に掴らせたまま、無意識にその背中を撫でていたけど、彼女が妙に大人しいのに気が付いた。
赤龍戦の時は、私の音声を真似たり、元気だったのに。
「アンちゃん?」
小さな灰色の可愛い龍を見る。
私の腕に巻きつけていた尻尾がするりと解けて、枯葉が散る様に地面に落ちてゆく。
「アンちゃん!」
運動音痴の私が、体を投げ出して奇跡的に空中で彼女をキャッチする。
左肩と肘がメリッと嫌な音を立てて激痛が走ったけど、そんなことどうでもいい。
輝くようだった、彼女の灰色の鱗は、錆が浮いたようにくすみ、開いた口からコポっと血が流れる。
アンちゃんは、赤龍と同じく異界生物。この世界の大気の組成に影響を受けないわかがなかったのだ。
ましてや、未成熟な幼龍。にも、関わらず、『
異変に気が付いたレマ・サバクタニが、背負い子を投げ捨て、こっちに走ってくる。
「どうした!?」
「アンちゃんが! アンちゃんが!」
彼女は、私に気が付くと、必死に左腕によじ登ろうとして、またズルリと落ちてしまった。
今度は、レマ・サバクタニが両手で受け止めてくれた。
「もういい、もういいから、戦闘は終わりだから」
レマ・サバクタニの手の中で、もう一度立ち上がろうとして、アンちゃんが横倒しになる。
「まずい、呼吸してねぇぞ」
レマ、サバクタニが、アンちゃん口を咥える。
そして、脇を向いてペッと血塊を吐き出す。
彼女の気管に血が詰まって、呼吸が阻害されていたのだ。
「このチビの胸骨のここ、指で押せ。一秒間に三回のペースを保て。泣くな! 早くしろ!」
ごめんね、ごめんね、アンちゃんごめんね。
私は根拠の無い思い込みで、アンちゃんは平気なのだと思っていた。
いや、違う。「平気なのだ」と思った方が都合がいいから、そういうことにしていただけ。
アンちゃんは私の為に戦ってくれたのに、私はそれを利用していた。
私は、最低だ。最低の最低だ。
なにが『
ああ、神様、神様、アンちゃんをお助け下さい。
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