第26話

 このまま、廃墟に残るという選択肢もあったけど、安全性を考えて再び地上三百五十メートルの展望デッキに戻る事にする。

 レマ・サバクタニは、ガサツな乱暴者に見えるけど、本当は慎重で用心深い。

 鮫のような何かと戦った時の様に、頭がおかしいとしか思えない行動をすることもあるけど。

 塔の脇にある商業ビルにアウトドアグッズの店があり、そこで簡易ストーブと大量の缶詰を入手した。

 それを私の操縦席コクピット……じゃなかった、樽型背負い子に積み、私も小型ナップザックをその店で拝借して、出来る限りの物を詰めた。

 ありがたいのは、登山用の下着類と防寒具。特に下着は速乾、保温、抗菌、防臭というハイテク製品だった。灰色無地の色気がない代物だけどね。いいかげん、くまさんのプリントのパンツは卒業したいと思っていたのだ。これからは、大人の魅力でいきます。

 レマ・サバクタニについて、延々と非常階段を上がる。

 彼が背負う荷物は、多分百キログラムに近いだろう。さすがにそこに乗せてもらうのは気が引けた。

 なので、歩くことにしたのだ。

 私は衣類と寝袋だけなので、十キロ弱。

 だけど、歩くにつれ、それが地味に負担になってくる。

 『キツイ、死ぬ……』

 真夏の日向の犬みたいに、舌を出してゼーゼー喘ぎながら、必死になってレマ・サバクタニの背中を追う。

 灰色の龍は、私の荒呼吸に目が醒めたのか、時々首を伸ばしてチロチロと首を舐めた。

「おかあちゃん、頑張って!」 ……と、応援していると思う事にしているけど、多分、ミネラル分を含んだ私の汗を舐めただけだと思う。

 何度か、踊り場で休憩をする。

 真っ暗なので何の景色も見えないのが、辛い。

 憎ったらしい事に、レマ・サバクタニは、汗一つかかず、涼しい顔をしていた。

 そういえば、前回は休憩なしで一気にここを上がっていったのだっけ。

 フルマラソンを三回連続で走ったみたいな様子なのは、私だけだ。

 水を飲む。体が水分を欲しがっているので、生ぬるい水もまるで甘露だった。

 歩行中は気が付かなかったけど、止まると急に寒さが肌を刺す。

 この気温変化は、一体何が原因なのだろう?

 この定期的に変化する光源の正体は?

 ここを、発掘調査すれば、かなりの科学的な収穫があるだろう。

 レマ・サバクタニが経験したカラフルな幻視を誘発したコンビーフ缶だって、成分を分析できれば、鎮静剤などの開発が出来るかもしれない。

 あ、そうか。今は、便利な魔導結晶という万能触媒があるから、開発なんて死語だったっけ。

 つくづく、魔導結晶は愚民化を促進する仕組みなのだと気付かされる。便利すぎて、思考が停止してしまう。これが、良い事なのか、悪い事なのか、私には分からなくなってきた。

「あまり休むと、体が動かなくなる。いくぞ、エリ・エリ。あと二百メートルだ」

「ぎゃい」

 レマ・サバクタニが言う。合いの手を入れたっぽいのは、灰色の龍だ。


 二百メートル……二百メートルかぁ……



 へたり込みながら、やっと展望デッキについた。

 目はまわるし、足はガクガクと震えている。頭の先からご飯が炊けるような匂いがする様な気がする。

「意外と頑張ったなぁ。感心、感心」

 へらへらと笑いながら言ったのはレマ・サバクタニ。

「ぎゃぎゅ……」

 と、心配そう(という事にしておく)な声を出したのは、灰色の龍だった。

「エリ・エリ様、なめんな、こんなの、平気なん、だから」

 せっかく強がったのに、声が震えてしまった。く……悔しい……。

「わかった、わかった、おめぇはすげぇよ。風邪ひくから、着替えて、ついでにテントで清拭してこい」

 棒読みで私の事をほめたたえて、レマ・サバクタニは重い背負い子を床に下ろして、回収した物資を整理しはじめた。

 野蛮人のくせに、案外働き者なのよね。

 一歩踏み出す度に、がくがくと膝が笑う。これは、明日は確実に筋肉痛だ。

 目隠し用に作ってくれたテントに入る。

 さっきまで体が発熱していたのに、今は汗と気温でかなり寒い。

 汗みずくの服を脱ぎ、テントからチラッと顔を覗かせて、レマ・サバクタニが背を向けてストーブを組み立てているのを確認し、全裸になった。

 そこで、タオルで汗をぬぐう。

 お風呂に入れない代わりに、登山用具店で見つけた、デオドラントシートで体を清拭した。アレルギー反応は、レマ・サバクタニで試してあるから、安心。

 これで、肌の殺菌も出来る。

 真新しい、下着をつけた。うん、すっきり! 清々しい気分。

 ばいばい、くまちゃんパンツ。エーリカは大人の女に変身なのです。

 今度は、ドライシャンプーを使う。

 アルコールで揮発する液体で出来たシャンプーで、水無しで頭皮と髪を洗える、優れもの。

 これも、登山用品店に置いてあったものだ。これも、レマ・サバクタニで実験済み。

 髪に噴霧する。そのうえで、頭皮と髪に馴染ませるように揉み込んだ。

 皮脂でぺったりだった髪と、痒かった頭皮がすっとする。

 タオルでごしごしこすると、本当のシャワーには勝てないけど、かなりすっきりした。

 微かなミントの香りもいい。

 タオルをそのままマフラー代わりにして、破れた窓に向かう。

 ここで、乙女らしからぬ「くちゃい」下着を投擲して無きモノにしなければならない。

 改めて嗅ぐと、ほんとうに「くちゃい」のが、地味に落ち込む。

 今までありがとう、くまさんパンツ。お役目、ご苦労様です。

 丸めた下着を思い切り投げる。

 ひらひらとそれは舞い、何処から来て何処に流れるのかわからない風に消えてゆく。敬礼。


 商品棚と登山用具店で見つけたグランドシートで簡単な小屋掛けをして、その中で簡易ストーブを点火すると、かなり温かくなった。なんだか、河川敷で見かけるホームレスの家みたいだけど、テントと違って「家」という感じがする。

 小部屋の代わりに、小型ツェルトがあって、プライバシーも保てるように配慮してくれているのが、地味に嬉しい。重大犯罪者のくせに、意外とレマ・サバクタニは紳士なのだ。

 寝袋も床用のウレタンマットもあるので、かなり住居に関しては改善されたと思う。食料事情も改善し、今や蜜柑と桃のデザートまである。

 ランプの明かりで、灰色の龍の飼育書を読む。

 文字は、私たちの世界と同じものだった。

 レマ、サバクタニは、壁面を兼ねている商品棚に、物資を整理して並べる作業をしている。

 彼は休むことなく、いつも何か作業している。真面目で勤勉。犯罪者だけど。

 理系女子としては、新しい知識はバッチコイなのです。

 お勉強に飢えていたこともあり、飼育書をじっくりと読む。

 この本によると、この灰色の龍は生命工学兵器……通称BWバイオ・ウエッポン……と呼ばれ、レマ・サバクタニの目撃例の通り人工的に造られた生命体らしい(所持者は『龍吐銃』って呼んでいたみたい)。

 数あるBWのうち『ドラグーン』という正式商品名の龍の形態をしているそれは、龍吐息ドラゴンブレスを疑似的に発生させる。

 龍をモデルにデザインされているのはそれが理由。

 用途によって体色が異なり、電撃を放ったり、火炎を放射したり、冷気で攻撃したりするらしい。

 灰色は『汎用性が高く、生命エネルギーを破壊エネルギーに変換して高速で撃ち出す』とされていた。

 他の『ドラグーン』と違って灰色だけ、子供向け『怪獣図鑑』みたいな記述で、意味がわからないんですけど。

 生命エネルギーって何?

 破壊エネルギーって何?

 高速って時速何キロ?

 体内で腐蝕ガスを生成して噴出する(そういう虫が実在します)とか、生体電気を直通につなげて放電する(デンキウナギなどと同じ)とか、けっこう他の体色の『ドラグーン』は仕組みが詳しく記述されているのに、灰色だけ曖昧だ。何らかのエネルギーを放出するということしか、判明していないのかも。

 いつの間にか、灰色の龍が私の顔に頭を擦りつけてきていた。甘えているの?

「あんた、何者なの?」

 顎の下を指でくすぐってやりながら、話しかける。

 飼育書には、愛情を持って話しかけてあげましょうと書いてある。

 犬程度の知能もあり、人に懐くそうだ。

「あんぎゃりぎゃ」

 何かしゃべろうとした様でもあり、自ら名乗った様でもあった。

「そう、あんた『あんぎゃりぎゃ』っていうの」

「あんぎゃりぎゃ」

 飼育書にはこうも書かれてあった。

 『名前をつけてあげましょう。それで、絆が深まります』

「あんたの名前、『アンギャリギャ』にしようか」

「ぎゅい」

 まるで「御意」と言ったみたいで、思わず笑ってしまった。

「あんたも、私も、命冥加の生き残り。似た者同士だね」

 首をかしげて、アンギャリギャが、私の声を聴いている。ああ、可愛いなぁ。爬虫類苦手だったけど、この子は可愛い。

「私の『銃』になってくれるの? 一緒に戦ってくれるのね?」

「ぎゅい」

 やっぱり「御意」に聞こえる。


 これが、無力だった私が、この神に見捨てられた地下迷宮で、戦う武器を得た瞬間だった。

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