第22話
その衝撃は、突然だった。
弛緩しきった私の筋肉が、一気に不随意筋肉収縮を起こして、地面から跳ねる。
呼吸が突然始まった。
止まってしまって、痙攣だけしていた心臓も、ビートを刻み始める。
私の服ははだけられていて、薄い胸がむき出しになっていた。……って、誰が薄い胸ですか!
レマ・サバクタニの両手が、私の素肌に触れている。
むつけき筋肉ダルマの腕の無駄毛は、ハリネズミのようにピンと立っていて、その殆どが焦げて燃え落ちていた。
これでわかった。レマ・サバクタニは、あの『パチパチ君』を両手に集めて、止まってしまった私の心臓に流したのだ。
旧世界の医療では、電気ショックを心臓に与えることで、蘇生を試みることがあったらしい。
今では、回復魔導師がいるから、そんな道具は廃れてしまったけど。
「息をしろ! エリ・エリ!」
ビクンビクンと体が動く。
指一つ動かせなかったのに、今では自分の意志で動かすことが出来た。
急に吐き気が込み上げてくる。これは、
「吐きそう……」
それだけを言った。
「待ってろ」
レマ・サバクタニが、巨体に似合わぬ繊細さで、そっと私を抱き上げ、仰向けにしてくれた。
げぇげぇと吐く。
吐いたそれは、血塊だった。
「魔導回復ポーションを使った。こいつは、その副作用だ。消費期限がほんのちょっと過ぎていたから、効くかどうかわからんかったが、破裂した内臓は修復出来たようだ」
えずく私の背中を、分厚い掌がさすってくれていた。
なにが「ちょっと」だ。消費期限を一年ぶっちぎっていたでしょうが。
でも、背中が気持ちいいので、文句は言わないでおく。
薄荷を溶かした水が差しだされる。
それで口を濯いだ。金属くさい口内を洗う事が出来た。
―― 死ぬかと思った……。
いや、ちょっと幽明の境を異にしかけていた。
今になって、恐怖が胴震いとなって、体を駆けあがってくる。
「どうした? どこか痛むか?」
レマ・サバクタニが私の顔を覗き込んで来る。
思わず、私はその首っ玉にしがみついていた。
ぎゅっと抱きしめる。
それでも、震えは止まらなかった。
まるで、子供みたいに泣く。わんわんと泣く。一度、泣きはじめたら止まらなくなってしまった。
「無理させ過ぎた、悪かったよ」
ポンポンと、あやすように背中が優しく叩かれる。
気持ちいい。もっと叩け。馬鹿筋肉。
鼻水も涙も全部、レマ・サバクタニのシャツに擦りつけてやる。
気が付いていたのだろうけど、彼は文句ひとつ言わなかった。
久しぶりに大声を上げて泣いた。
なんだか、胸の奥でくすぶっていた黒い何かが、吐きだした血塊とともに消えた気分だ。
それは、ずっと私を押しつぶしていた『抑圧』なのかも知れない。
ほんの目の前に『死』があった。
そこから生還したことで、私は再生されたということなのだろう。
―― もっと、思うままに生きてやる!
そんな決意の炎が、体の中に灯っていた。
せっかく生き延びたのだ。 今更、死んでたまるか! もう、我慢も遠慮もしないんだから!
「がるるる」
思わず唸る。
「どうした?」
心配そうなレマ・サバクタニの声。
しがみついたままの私を引き剥がそうとしたが、私は一層強く抱きついてやった。
レマ・サバクタニは、温かくて気持ちいい。私は、あやしげなポーションの副作用で、体が冷え切っているのだ。このままがいい。
ふと気が付く。
働き者だった父は、いつもいつも疲れていて、不機嫌で、子供の頃こうして抱いてもらった事が無い。
甘えたいのに、私は忖度して『手のかからない良い子』を演じていた。
抑圧のはじまりだ。
この頃から、他人の顔を窺う癖がついていたような気がする。
そして父は、私が『特種魔導師』として上級国家公務員になると、俸給をアテにして堕落してしまった。
甘えたい時に甘える事が出来ず、今は足手まといになっている。
―― 私は、父性に飢えていたのか……。
好きになるのは、おっさんばかり。
私のウッメ好きは、彼に理想の父親像を見ていたから。
なんのことはない、私はファザコンの一種だったのだ。
そして、危険な旅を続けるうちに、私はレマ・サバクタニを保護者と無意識下で認識してしまった。
私は人質ではないけど、『ストックホルム症候群』にも似ている。
―― よりによって、こんな男に……。
と、思わないでもないが、そうなってしまったのだから、仕方ない。
レマ・サバクタニの分厚い胸に顔をうずめる。
「なんなんだよ、全く……」
唸る様に筋肉ダルマがつぶやく。
この、鈍感野郎。美少女(自称)が抱きついているんだから、喜べ、馬鹿。
ポーションによる肉体再生は、かなり体力を使うらしかった。
私は疲労困憊の有様で、レマ・サバクタニにしがみついたまま眠ってしまっていた。
展望回廊の天井をぶち破って、内部に侵入する。
私は、レマ・サバクタニの背負い子の中。
呆然としていた。
九死に一生を得た。
生命の危険を感じると、種を残そうと発情するっていうけど、まるでハーレィ・ダビッドソン・クイン・ロマンス文庫じゃあるまいし『逞しい胸に抱かれる女』を素で演じてしまうとは、エリエッタ・エーリカ一生の不覚!
でもまぁ、なんだか、色々と吹っ切れたよ。
互いに命を預ける関係だと、疑似恋愛になるのはよくあることだし、私の気持ちに気づくほど筋肉ダルマは繊細じゃないし、そもそも異性として見ているかどうかもわからないし。
「ここまで大きな変異は、『大特異点』がある証拠だぜ。だが、大物もここにはいるかもしれん。まずは、地上に降りて偵察だな」
なんてこと、言ってる。
看病していた時は、ちょっと優しかったけど、もう探索者モードに入ってしまった。
「はい」
あ、あ、ちくしょう。従順な声を出してしまった。悔しい。
かぁっと、頬が染まる。
背中合わせなので、赤面したのを見られる心配はないけど。
延々と、メンテナンス用の非常階段を下りる。
この高さだ。ちょっとした登山みたいなもの。レマ・サバクタニは、背負い子と私の荷重をモノともせず、のしのしと階段を下りてゆく。
景色は絶景。だが、眼下に広がるのは、無人の廃墟だ。
全くと言ってよいほど、人の気配がない。
ついでに、小型・中型の魔導生物の存在を示す兆候もない。
「あまり、いい傾向じゃないな」
と、レマ・サバクタニがつぶやく。
一眼巨人の時の様に、大物がここにいるという証拠だから。
建物が一直線に倒壊して、通路っぽくなっているのも、不吉だ。
何か大きなモノが、ここを通過したように見える。
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