第10話
立ち漕ぎで必死にペダルを踏んでいるのに、じれったいほど遅い。
光を反射していた何モノかの眼は、今やすごい速さで左右に走っていて、そっちを見るのが恐ろしかった。
私たちは、微妙に方向転換しているみたいだけど、脚でレマ・サバクタニが舵をとっているのだろうか。
「くそ! 水中の動きも、激しくなったな。面白くなってきた」
魚探を見ながら、レマ・サバクタニが言う。
お、お、お、面白いですって? この状況で、この男は何言ってるの!
馬鹿じゃないの! 馬鹿じゃないの! 馬鹿じゃないの!
レマ・サバクタニが、何か鼻歌を歌いながら、左手の金属筒を手から零こぼす。
でもそれは、水面に落ちることなく空中で止まった。
紐がその金属の円筒についているのだ。
それを、レマ・サバクタニが振り回しはじめる。
重そうな金属筒が、ブンブンと音を立てて回転し、その遠心力に耐えて彼の腕の筋肉が膨れた。
雄叫びをあげて、レマ・サバクタニその金属筒を投げる。
普通に投げるより、遠心力が加算された分、遠くまで飛ぶのだろう。
五十メートルほど飛んで金属筒は着水し、その二秒後ドンとくぐもった爆発音がして、水柱が立った。
あ、これは、『爆雷』だ。
昔、U-ボートを狩るために駆逐艦が使った兵器のミニチュア版なのだと気が付いた。
爆雷の役割は、爆圧を水中に伝播させること。
なるほど、異界生物には装甲被膜があって外皮を破る事は出来ないけれど、圧力の影響はモロに受けるのだから、これは小鬼を殲滅した地雷とおなじく有効だ。
フロートに付帯したパウチから、次の爆雷を取り出している。
空中に吹き上げられた水が狭霧になって私たちに降りかかってきた。
白い腹を見せて浮かんでいるのは、水棲の異界生物『蜥蜴人』だ。
人間とトカゲの奇妙な融合体で、手足のバランスは人間で、皮膚や頭部はトカゲという女子的には鳥肌モノのキモい異界生物だった。
しかも、トカゲ風の尻尾まであって、もう生理的に無理。
「群れでいたのは、コイツらだな」
右腕に装着した銛付の盾を、気絶しているらしい蜥蜴人の頭部に合わせる。
バンとカートリッジが爆発して、先端がヒヒイロカネになっている銛が一メートル程飛び出した。足場がなくて踏ん張れない代わりに、火薬の爆発を使っているのだろう。
銛が、バネで巻き戻る。
燃焼ガスでブローバックした機構部分が使用済みの薬莢を排出し、マガジンから新しいカートリッジが自動装填された。これが、水上での武器『杭打盾』らしい。
射程一メートルとか、接近しないと効果ないけど。
いつの間にか浮上していた蜥蜴人が、ボウガンを構えて、それを放ってくる。
「くそ! トカゲ野郎」
口汚くののしりながら、脚を掻いてレマ・サバクタニが方向転換をした。
蜥蜴人に正面を向けて、盾と甲冑でボウガンの矢を弾く。
ピュンという風切音がして、わたしの肩をかすめ、髪を何本か引き千切って矢が走った。
「身を低くしてろ!」
ガチンと盾で矢を弾きながら、レマ・サバクタニが叫ぶ。
私は自転車競技の選手の様に、ハンドル代わりに掴んでいる背負子のフレームに頭を寄せる。
何かが私の鉄兜に当たって、そのフレームに顔面をぶつけた。
ボタボタとレマ・サバクタニの首の落ちたのは血。
私は鼻血を出していた。
乙女が鼻血とか、もうやだ地下迷宮!
「どこか、撃たれたか! エリ・エリ!」
ボウガンを射かけてきた集団の方向に、爆雷を投げながら珍しいことに心配そうな声でレマ・サバクタニが言う。
「フレームに鼻をぶつけて、鼻血が……。血で汚してごめんなさい」
また、謝ってしまった。
この『謝罪癖』なんとかならないかと、泣きたくなる。
「謝らなくていい。撃たれなくてよかったな。コイツらの矢は毒矢だ。かなり強力だぞ」
潜航しようとした蜥蜴人が、水中で爆発した爆雷に気絶したのか、また二匹水面に浮かぶ。
「なんで、毒矢だと分かったんです?」
「俺に刺さったからだよ。痺れて左手が動かん。神経毒だな」
見れば、肩の装甲板の隙間に、魚の骨で造ったらしい矢が突き立っていた。
ひえっ! 痛そう! さっき鉄兜で矢を弾いたけど、私もこれで撃たれたんだよね……こ、怖い。
「心臓とまりかけてるんだけど、『再起動』かけてもらえませんかね?」
そうだった、そうだった。
動揺して自分の役割を忘れていた。
「ご、ごめんなさい!」
あ、あ、また、謝ってしまった。でも、今回は謝る場面。
「リ、リ、リぺッタ!」
落ち着け、私!
能力名叫ぶとか、週刊少年チャンプのバトルマンガじゃあるまいし!
しかも『リペッタ』って、脂肪のつきにくいサラダ油の商品名じゃないの。
能力名を叫んで、しかもそれを噛みながら、思わずレマ・サバクタニの後頭部をぶん殴る。
触れるだけでいいんだけど、つい……。
「痛ぇなぁ」
紫色の顔になっているレマ・サバクタニがあまり切迫していない声で言う。
私の魔導『
血流に乗って全身に回った毒が元来た血管を戻っていき、毒素に死滅した細胞が、蘇生してゆく。
矢は再生する筋肉組織や皮膚に押し戻され、血流を伝った毒は矢尻に収まる。
一瞬でポトリと矢が下に落ち、矢で撃たれた痕跡は穴のあいた甲冑の隙間だけ。
私の『再起動』は無機物には通用しない。「生命あるもの」だけが、時間を遡れるのだ。
あるべきものが、きっちりとあるべき場所に収まった感覚。
探していたジグゾーパズルの最後のピースがはまる感覚。
適当に投げた鼻紙が偶然ゴミ箱にすぽっと入る感覚。
『再起動』を発動させると、私は少しテンションが上がる。
研究者は、脳内麻薬の分泌が影響しているのではないか? と、言っていたっけ。
「お、お、お、治った……いや、受毒がなかった事になったわけか。すげぇな、エリ・エリ。見直したぜ。単なる地味めの貧相なガキじゃなかったんだな」
もう一回、後頭部をぶん殴る。
「いてて、もう毒は消えたって」
普通にぶん殴ったんだよ、野蛮人。
爆雷と杭打盾に勝手が違うと思ったのか、蜥蜴人が距離を置き始めた。
そして、甲高い笛のような音を合唱している。
祈るような、歌うような、奇妙な旋律の音だった。
嫌な予感しかしないいですけど……。
「水中を何かくるな……でかいぞ」
魚群を探知して喜ぶタツオ・ウッメの言い回しに似ていたけど、レマ・サバクタニが言うと何かムカつく。
「何かって何ですかっ!」
「知らねェよ、何かだ。とにかく、漕げ。止まるな」
魚群探知機を見ながら、レマ・サバクタニが言う。
簡易型なので、大まかな方位と、だいたいの大きさと、ざっくりとした距離しかわからないらしい。
「うおっ! 真下から上がってくるぞ。あのトカゲ野郎ども、コイツを召還しやがったんだな」
「こ、こ、こ、こ……コイツって何ですかっ!」
いつも不遜な態度であるレマ・サバクタニが焦ると、本当に怖い。
彼の恐怖が伝わってしまう。
「知らねェよ、とにかくデカい! 仕方ない、奥の手を使うぞ! 振り落とされないようにしっかりとつかまれ、エリ・エリ」
背負子のフレームを握る手に力が籠る。
何? 何? 何? 何が起こるの?
「いけぇ! 火薬推進疾走ロケットダッシュ!」
ドドドンとフロートの間に設置された三本のパイプの一つが爆発して火を噴く。
花火の様に、バチバチと火花を撥ね散らかしつつ、炎が噴出していた。
何の装置かと思ったら、固形燃料ロケットだったわけね。
水上を、私たちは跳ね飛ぶように進んでいた。
きゅうっと視野が狭窄する。
すごい加速で、耳元で轟々と風が鳴った。
「ぎぃやあぁあああああ!」
私は乙女らしからぬ絶叫を上げて、J国の五月の風物詩『コイノボーリ』という魚を模した布製の吹き流しの様に、背負子に両手で真横にぶら下がる。「下がる」という言い方は、少し語弊があるけど。
女子が可愛らしく「きゃあ」とか言うの、あれ演技だから。
本当に怖いと、私みたいな絶叫をするから。
レマ・サバクタニが、ゲラゲラ笑いながら、水中で足を踏ん張って制動をかける。
私はそれで偶然ストンとサドルに座り、殺人的な速度で回転するペダルに踵を強打した。
「痛い、痛い、痛い」
水上をバウンドしながら、右へ右へと廻ってゆく。
ペダルはうなりを上げて回転し、私の脚を親の仇でもあるように乱打している。
跳ねる度に固いサドルにお尻を打ちつけられて、これも痛い。
水中では、圧倒的な水流を、レマ・サバクタニが筋力で押さえつけて、方向のベクトルを変えているのだろう。
「馬鹿、脚を広げて上に上げろ。折れるぞ」
言われた通りのカッコウをする。
脚は助かったけど、この格好は年頃の娘としてどうなのだろう?
膝当て付の官給品地下迷宮装備であるカーゴパンツだけど、恥ずかしい。
「見ないで! こっち見ないで!」
羞恥のあまり叫ぶ。
手で隠そうにも、両手で掴んでいないと、転げ落ちてしまう。
「やかましい!」
騒ぐ私に苛立ったレマ・サバクタニが怒鳴った瞬間、さっきまで我々がいた水面を破って巨大な鮫が空中に飛び出る。
かなりの大きさだ。
多分、十メートルはある。
平らな頭部の下に、大きく裂けた口があって、ナイフのような歯がびっしりと並んでいるのが見えた。
それが、バクンと噛み合わさって、金属みたいな音を立てた。
あんなのに噛まれたら、胴体は簡単に喰い千切られてしまうだろう。
サメの鰓に近い部分に無念そうに握り拳を作った手。
尾びれの下には、びっしりとすね毛が生えた妙にすらっと長い足が、空中でバタ足をしている。
「くそっ! ホオジロサメじゃねぇか!」
爆雷を振り回し遠心力を加速させながら、レマ・サバクタニが叫ぶ。
巨体にくっついているすね毛の足には何のリアクションもない。
―― え? あれ? 鮫って手足あったっけ?
旋回を終えたレマ・サバクタニが、鮫(?)に向かって突進する。
固形燃料は燃焼が終わるまで止まらない。
脚をおっ広げた私と、盾を構えて爆雷を振り回すレマ・サバクタニが水上を疾走していた。
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