第9話
私が隠れていた小部屋には、上層階から打ち込まれた丸太があり、そこに刻み目がつけられて、梯子の代わりになっている。
レマ・サバクタニは、何度もその梯子を往復し、上層階に蓄えていた物資を地下三層に運び込む作業をしていた。予備の火薬、保存食、爆裂矢の部品などだ。
小鬼の巣になっていた『特異点』を破壊したことで、異界生物は目に見えて減っており、小部屋から地底湖へのルートは少なくとも空間変異しなくなり、遭遇戦もなくなっていた。
怖いのは、不意に現れる『死霊』の類だけど、ベースキャンプをぐるりと囲うように『死霊コナーズ』というナフタリンみたいな丸薬が散布されていて、それが一種の結界を作っているので大丈夫らしい。
観察してみたけど、どう見ても衣類の保存に使うナフタリンにしか見えなくて、不安だ。匂いも同じだし。
「これ、大丈夫なんでしょうね?」
レマ・サバクタニに聞いてみたけど、彼は面倒くさそうに「大丈夫だよ」と言っただけだった。
念のため、入手先を聞いてみたのだけど、どこかのありがたい寺院や教会とかの発売ではなくて、やっぱり通販番組『Jネット・タナカ』で買ったらしい。
ヒヒイロカネといいい、どんだけ通販好きなんだよと思ったけど、今のところ『死霊』の類には襲われていない。
潜水士が使うような、鉄製の胴長に長さ二メートルほどの長さで一抱え程もある革製のチューブを二本取り付けたものが、レマ・サバクタニの水上移動装備らしかった。
二本の葉巻状の浮きの間にハーネスがついていて、下半身を水に漬けながら進んでいくようだ。
浅瀬になると、そのまま歩くことが出来るので、座礁はしない。
さすがにハンマーは水中では使い難いらしく、背負子のラックに固定していた。
ハンマーの先端のヒヒイロカネは螺子で固定されていたらしく、外された。
小型の盾に銛を括り付けた様な道具が組み立てられて、その銛の先端にヒヒイロカネが取り付けられる。
銛の根本には何か仕掛けがしてあって、ハンマーの底部に嵌めたカートリッジが収納してあるらしかった。
銛のギミック付の小盾がレマ・サバクタニの右手に装着される。
その他、火薬が仕込んでるらしいパイプが三本浮きの間に固定され、私の席になっている樽が分解されて自転車のペダルと急造のサドルが作られた。
背負子の上辺をハンドル代わりに掴まって、これを漕ぐみたいだった。
「まさか、これって……」
ペダルでギアを回し、プロペラを回転させる仕組みだった。
「いやぁ今までは、左手でペダルを回して、右手で『杭打盾』を構えて、脚で舵をとっていたので、忙しかったんだが、助かるよ。エリ・エリ今から君は『レマ・サバクタニ号』の機関長だ。就任おめでとう」
この野蛮人は、しれっとそんな事を言っている。
要するに、私はまたこき使われるのだ。
「私、インドア派なんで、筋力ないんですけど」
苦情を言いつつ、地底湖を見る。
靄がかかった湖面は静かで、対岸など見えない。ゴールが見えないのは、辛い。
「若いんだから、体を鍛えないといかんよ。うん」
勝手な事をほざきながら、レマ・サバクタニが淡々と準備を進めている。
道具箱から出したのは、魔導結晶の共振作用を利用したソナーだった。
いわゆる『魚群探知機』というやつ。
なんで、年頃の娘である私がこれを知っているかというと、大好きな番組『タツオ・ウッメ世界を釣る』で何度も見たから。魚群を見つけて興奮するタツオ・ウッメが可愛いのだ。
「簡易型なんで精度は悪いが、目安にはなる」
漁をするわけでも、大物を釣るわけでもない。
つまり、敵を探知するということ。
「あ、あ、危ないんですか、ここ」
また怯懦が頭をもたげる。私は泳ぎが得意ではないから。
一応ギリギリ二十五メートルほど泳げるけど、普通に泳いでいるつもりなのに、まるで溺れている様に見える無様な泳ぎっぷりらしい。水泳の授業を監督している体育教師が、慌てて飛び込んでくることもあった。
「水上は『特に』危ないんだよ。お前が機関長を務めてくれれば、その分俺が敵の警戒に注意を向けることが出来て、生存率は上がるがね」
嫌な奴、嫌な奴、こんな言い方されたら断れないじゃない。
「やります。やればいいんでしょ」
自転車通学で鍛えた帰宅部の脚力をみせてあげる。
出港準備が整うと、たっぷりの食事をレマ・サバクタニは用意した。
水に浸かっていると、体が冷える。
体が冷えるということは、体力を使うということ。
私は、水には浸からないけど、ひたすらペダルを漕ぐことになる。
やはり、体力を使うのだ。
地下迷宮探索の訓練を受けた魔導師が居れば、『空中浮遊』やら『水上歩行』などの補助魔法を使うことが出来るのだろうけど、こっちの魔導は『再起動』と『パチパチ君』しかない。
だから、原始的なヤリ方でいくしかないのだ。
料理は乾燥野菜とジャーキーを煮たスープに乾パンを砕いて加えた『サバクタニ汁』で、飢餓状態だった時は美味しいと思ったのだけど、こう何度も食べていると、いい加減飽きた。
それでも、体力をつけないと乗り切れないので、無理して食べる。
ああ、せめて『タッチャン漬け』が一切れあればいいのにと思う。
『タッチャン漬け』は、タツオ・ウッメが立ち上げたブランドの漬物のこと。ちょっとピリ辛で美味しい。
タツオ・ウッメは、五分ほどのミニコーナー『タツオ・ウッメの食いしん坊ハラショー』を毎日十年ほども続けていて、全国各地のおいしいモノを知り尽くしている。
『タッチャン漬け』は、そのノウハウが生かされているのだ。
ああ……思い出したら、無性に食べたくなってきて困る。
実は、瓶詰を私物で持ち込んでいたのだけれど、あの撤退戦のどさくさで失くしてしまっていた。小鬼どもに食べられてしまったのだろうか?
「出発は六時間後。少し眠っておけ。あと、背中に小便かけられたら臭せぇから、絞り出しとけよ」
そんなことを宣言して、レマ・サバクタニは『死霊コナーズ』の結界内に作った焚火の脇でごろっと横になってしまった。
すぐに鼾いびきを書きはじめる。
たっぷり食って、ゆっくり休むとか、本当に獣みたいだ。
乙女に向かって、デリカシーの無い事言うし。
じわっと涙が滲みそうになって、慌てて自分の頬を叩く。
『早くこの地下迷宮の探索を終えて、地上に帰るんだ』
『ビュッフェのスィーツコーナーでかぼちゃのプリンを食べるんだ』
呪文のようにそう唱えて、私は物陰でしゃがんだ。
「それ、オリーブオイル使い過ぎだから!」
そんな自分の叫び声で目が醒める。
レマ・サバクタニの鼾がうるさくて、なかなか眠れなかったのだけど、トロトロと少し眠ったみたいだった。
眠りが浅かったのか、夢を見ていた。
くだらないと、馬鹿にしていた朝の情報番組の一コーナーで、イケメン俳優のモコミッチが料理を作る『ミッチ・キッチン』というのがあるのだけど、その夢を見ていたのだ。
このモコミッチは、いちいちキザなポーズで料理をするので、イラッとくるのだ。それに、コイツはオリーブオイルを使い過ぎの傾向がある。そこもイラつくポイントだ。撮影ガン無視で、普通に料理を作るタツオ・ウッメの方が、私は好感が持てる。
魔導ヴィジョン的にはモコミッチが正しいのかもしれないけれど。
命が枯葉一つの重さもない地下迷宮にいると、灰色で味気ないと思っていた宿舎生活が懐かしいのか、こんな風によくダラダラと過ごしていた時の夢を見る。モコミッチに突っ込みを入れながら身支度していた頃が懐かしい。まさか、あの生活を懐かしく思う日が来るとは……。
「オリーブオイルなんざねぇぞ」
すでに起きて、暖かいお茶の用意をしていたレマ・サバクタニが言う。
ああ、最低だ。寝言を聞かれるなんて。
「ななな、なんでもありませんっ」
簡単な朝食をとり、密閉できるポットに温かいお茶を詰めると、レマ・サバクタニはよっこらしょと、潜水服のようなズボンを穿く。
両脇にチューブ状の『浮き』を抱えて、背負子を負う。
私は背負子によじ登って、硬いサドルに腰かけた。股擦にならなければいいけど……。
私がしっかりと座ったのを確認して、レマ・サバクタニが立ち上がる。
さすがに、少し重いのか、少しよたつきながら、ざぶざぶと地底湖に入ってゆく。
「地形がわからん。対岸までどれだけあるかもわからん。とにかく、行けるとこまでいってみようか」
そう宣言して、歩いてゆく。
この地底湖はすぐに水深が深くなる『ドン深』の地形らしく、すぐにレマ・サバクタニの足は湖底から離れた。
「よし、微速前進。エリ・エリ、漕げ」
非力な私でもペダルを漕げる様に、ギア比を調整してあったので、重い船体(?)であるにもかかわらず、簡単にペダルは回転した。
ギアに繋がったスクリューがクリスタルの様に澄んだ水を撹拌する。
ゆっくりと、私たちは水上を移動しはじめた。
「いいぞ、そのペースを保て」
船長(?)のレマ・サバクタニは、魚群探知機の端末を水中に沈め、作動を開始する。
魔導モニターには、いくつかの光点が現れ、何かが水中に存在していることを示している。
これが、流木とかならいいのだけれど。
「こんな地底湖があるなんて、おかしくないですか?」
ペダルを漕ぎながら、レマ・サバクタニの後頭部に話しかける。
彼は魚群探知機を見たり、首から下げた望遠鏡を覗いたりして忙しいらしく、無視されてしまった。
魔導結晶によって光量を強化した探照灯があるけど、燐光を放つ地衣類が生えていた岸から離れると、かなり暗い。
「思ったより、暗いな。よし、ヘッドライトを点けろ」
私たちの頭にはへッドギア状のライトが巻かれていて、そのスイッチを入れる。
これで、多少手元は明るくなった。
浮きに固定した探照灯を、左右に振って探索しながら、私はペダルを漕ぐ。
チャプチャプと水を打つ
速度と時間と方位をレマ・サバクタニは計っていて、これで簡単な海図を頭に描いていらしい。
「そろそろ疲れただろう。小休止しようか」
小一時間、ペダルを漕いだだろうか。
湖面を渡る風が冷たいにもかかわらず、私はうっすらと汗をかいていて、だいぶ足に疲労がたまっていた。
急造のサドルのせいで、やっぱりお尻が痛い。
「降りてもいいですか?」
そう断って、浮きの上に立つ。
足の筋を伸ばし、ストレッチをした。
蜂蜜を溶かした暖かいお茶がありがたい。
「まるで、星空みたいですね。何です、あれ」
遠くで、光が瞬いていた。
レマ・サバクタニは何も答えない。
―― 何よ無視して!
と、彼を睨んだが、その横顔の厳しさに言葉を飲み込む。
「エリ・エリ。座席に戻れ。俺が、必死で漕げといったら、死にもの狂いで漕げよ。いいな」
ぼそりと、そんな事を言う。
光が瞬き、左右に動き始めた。
レマ・サナクタニは、右手の小盾に付帯したレバーを引いて戻す。
『シャコン』という作動音がして、カートリッジが装填されたのがわかった。
「何? 何?」
不安で張り裂けそうになりながら、囁く。大きな声を出すのが怖い。
「光が見えたな? あれは、何かの眼だ」
「何かって、何?」
ふんと、レマ・サバクタニが鼻で笑う。
「知るかよ。だが、敵であることは確かだ」
笑う? 笑うってどういうこと? この人頭がおかしいんじゃないの?
「確認するぞ。お前の『再起動リセット』は、三百六十五秒以内なら『なかった事』に出来る。ただし、死人には適用されない。そして、自分自身にも適用されない。対象に触れなければ発動しない……と、ここまではいいな?」
こくこくと私は頷いた。
もう、光点から目を離すことが出来なかった。
――怖い、怖い、怖いよぅ……。
「連続で使用は出来るのか?」
「じ……じ、実験では間髪入れずに十回『
カチカチと歯が鳴る。寒いからではない。
「くそっ! 気合いを入れろエリ・エリ! 俺たち二人で切り抜けるしかねぇんだ。俺はお前を護る。お前が生命線だからだ。俺を信頼して、必死で漕げ! 俺の声だけ聞くんだ。いいな? チンチクリンのクソガキ」
また、チンチクリンって言った! 確かに私はこの年になって、出るところ出ていないし、へっこむところもへっこんで居ない。だからって、酷い! オブラートに包むのが紳士でしょ!
「この野蛮人の、ノンデリカシーの、乱暴者!」
「その調子で頑張れエリ・エリ。来たぞ! 総員、戦闘準備! 機関、全速前進!」
総員って言ったって私しかいないじゃない。馬鹿じゃないの!
ペダルを思い切り踏む。立ち漕ぎだ。おりゃー!
『あ……今、私怖くない』
加速してゆく船(?)
左手で金属の筒を握り、右手の小盾を構えているレマ・サバクタニを見る。
『まさか、私を勇気づけるために?』
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