第8話
炎が上がっていた。
まるで食肉工場の光景の様に、解体され、鉤に吊るされ、血抜きされていた探査隊の屍。
有毒な体液に侵され、完全に狂ってしまった女性隊員の死体。
そういったものが集められ、荼毘に付されているのだ。
レマ・サバクタニは無言で黙々とその作業をしていた。
彼の頬にポツンと一つ血の跡。
小鬼を生む道具に変えられてしまった女性隊員に『慈悲の一撃』を加えた時の返り血だろうか。
「頬に……」
私が指摘すると、レマ・サバクタニは無言のまま、袖で頬を拭った。
悪臭を放つ小鬼の死体は、壁に浮かび上がる鏡面に抛り込んでいた。
これが『特異点』らしい。
この世界と異界の境が最も薄いところ。
ここを潜って、帰還した者はいない。
レマ・サバクタニは、本来、国家の管理に帰するはずの『特異点』に、淡々と古めかしい『爆薬』を仕掛けている。
こんな事が発覚すれば『反逆罪』が適用されてしまうのだけど、全く気に留めていないようだった。
「国が、この『特異点』を独占する理由は、これだよ」
私には見分けがつかないのだけど、この特異点に向かってぶん投げた小鬼はこの世界に対応するために作られた『ベータ』で、地面に並べられているのは異界から侵入した純血種『アルファ』らしい。
レマ・サバクタニは、いきなり『アルファ』の死体の腹部を裂き、まるで獲物を腑分けする熟練の猟師を思わせる手際で、臓器を取り出す。
死ぬと装甲被膜は解除されるらしい。
これも、現場に出ないとわからない知識だった。
「こいつは、人間で言うところの腎臓だ。この中に……」
どろっとした臓器を裂く。
緑色の粘液が滴り、中から半透明の結晶体が転がり出る。
「これって……」
見たことがある。この燐光を放つ美しい結晶体は魔導結晶。
私が大好きな『タツオ・ウッメ世界を釣る』の番組も、この魔導結晶がないと観ることが出来ない。
「人間でいえば『結石』だな。異界生物にとって、この世界の大気は有毒なんだ。だから『アルファ』の寿命はせいぜい三年。ゆえに、生存本能に従って『ベータ』を作って増殖を図るわけだ」
でも、魔導結晶は特殊な鉱山で産出されるって聞かされているけど?
「魔導結晶鉱山? そんなの嘘に決まっているだろうが、この世間知らずのくそ公務員め。捕獲された異界生物は、厚生労働省と製薬会社で作った第三セクターの極秘の実験施設で様々な実験や、体液や魔導結晶の採取を行っているのさ。まるで、地獄の光景らしいぜ」
様々な生活利便品に加工される魔導結晶は、政府の専売。
そこに巨大な利権があるのだろう。
「そうだな。厚生労働省の高級お役人様の『天下り先』がこうした第三セクターや製薬会社だよ。製薬会社は、ポストや役員報酬を用意しなければならねぇが、新薬開発のためのデータの提供や許認可に関して口利きしてもらうことを考えれば、安いモンだと思っているんだろうよ。異界生物なんて、国以外に手に入らんからな。」
そんな事を言いながら、手際よく小鬼の『アルファ』の腹を裂き、レマ・サバクタニが魔導結晶を集める。親指の先程度の粒が七つ。私は魔導結晶の相場なんか知らないけど、かなりの財産になるはず。
レマ・サバクタニは、それをボロ布に拭って、皮袋に仕舞う。
「この特異点から溢れてくる異界生物は『資源』なんだよ。だから塞がない。そして、『事故』で逃亡した異界生物が市民を襲うわけだ。人々が襲われるとどうなるか、見ただろ」
喰われるか、子孫を生み出す道具か。
年間、何人の市民が犠牲になっているのだろう?
資源として採掘するために、逃亡のリスクに目をつぶっているわけ?
「そういうこった。生活利便のための道具や、新しい薬という形で市民には還元されるが、リスクや情報は隠蔽されている。隠蔽されているから、ブラック・マーケットが成立する。その末端に俺らがいるわけよ」
レマ・サバクタニが背負子を担ぐ。
私はそこによじ登った。
彼が立ち上がると、私の視点が上がって、少し気分が晴れた。
「異界とこの世界を繋ぐ『特異点』は偶然から生まれる。たまたま転がった石の配列、壁を伝う蔓が描く紋様、苔の生え方、動物の死骸、倒木…… そういった人為が全く介在しない自然現象だ。その完璧なバランスを崩してやれば、塞がる」
歩きながら、レマ・サバクタニが説明してくれる。ぶっきらぼうな口調だけど。
「こんな風に……な」
マジシャンの様に指をパチンと鳴らす。
ドンと爆発音が、特異点の近辺から聞こえた。
空気がビリビリと振動し、塵灰が塊となって我々を追い越して吹き抜ける。
ゲホンゲホンと咽ながら、
「私も一つ、学習しましたよ」
と言った。
肩ごしにレマ・サバクタニが振り返る。
「何を――― だ?」
私は口の中のジャリジャリを唾と一緒にぺっと吐き出して続ける。
「あなたの能力。あなたの魔導である静電気『パチパチ君』の射程距離は五十メートル以上。任意の場所に複数発生させることが出来る。そして、今や見向きもされない火薬。つまり『パチパチ君』は火薬を発火させる『
衝撃で発火する化学物質ジアジゾフェノールの精製技術は失われてしまった。
火薬の作成方法は辛うじて残っているが、魔導の方が威力も大きく取扱いも簡単となれば、化学式同様にパズルとかおもちゃの立ち位置だ。
レマ・サバクタニは、この失われた技術と、静電気がパチッと弾けるだけという魔導を組み合わせて、甲種魔導並みの破壊力を生み出すことに成功していた。
事実、常識なら単独で到達できない場所まで、彼は生きたまま存在している。
「俺の電撃魔導に勝手なニックネームをつけるんじゃねぇよ。でもまぁ少しは、したたかになってきたか、クソガキ。観察することはいいことだ。この調子で、生きるために俺をせいぜい利用しろ。俺も、お前を利用する」
これは、地下迷宮を生き抜くための学習なのだ。
レマ・サバクタニは、ぶっきらぼうで、乱暴で、平気で他人を囮にするような野蛮人だが、利用価値があれば私の様な小娘でも組む。
さっきは、私も彼の戦略に組み込まれたのだ。
「装備が減りすぎた。ベースキャンプに戻って、陣容を整えるぞ」
そういって、元来た道を戻り始めた。
私が隠れていた小部屋に向かって。
私がキャンプで命じられた作業は、爆裂矢の作成だった。
刻み目がついた金属製のキャップがあり、そこに火薬を詰める作業だ。
キャップは火打石が仕込んであり、着弾の衝撃で発火。油をしみこませた火口が燃えて火薬が爆発する仕組みだった。
火薬は予想通り黒色火薬。
木炭と硫黄と硝石を混ぜて出来る物質で、昔はこれを金属製の筒に鉄球を詰め、発射させる『大砲』で、異界生物と戦っていたのだ。
木炭と硫黄は比較的簡単に入手できるが、問題は硝石。
窒素化合物の一種である硝酸カリウムという物資の結晶体で、これがないと黒色火薬にはならない。
今は工業用の爆破装置に火薬が使われることがあるが、硝石の代わりに魔導結晶の粉末が使わるのが常識で、わざわざ不安定な黒色火薬など使う者はいない。
レマ・サバクタニは、火薬同士の摩擦を避けるため、チップ状に松脂で黒色火薬を固めており、このチップを組み合わせることで、火薬の分量を調節しているらしい。
一体、誰がこの火薬を作っているのか、爆裂矢の細工を作っているのか、興味がある。
それに、常に何かを考えていないと、小鬼に囚われていた女性隊員の姿が脳裏にチラついてしまう。
なので、私にしては、作業をしながら饒舌にしゃべっていた。なるべく意識の外にあの光景を押しやっていないと、精神がもたない。
彼女らが可哀想だし、自分がああなってしまったらと思うと、怖い。怖くてたまらない。
「魔導技術が発達して、職を失ったのが『科学者』だよ。特に、物理学と化学の分野が全く通用しなくなっちまった。多くの科学者が『魔導科学』に移って行ったが、世の中には頑なで不器用な野郎がいるんだ」
魔導の仕組みを拒否し、自然の法則に従うべきだという学派はある。
科学大好きっ娘の理系女子である私は、旧科学学派が発行している雑誌を定期購読している。
その雑誌の人気コーナーが『デンジロー先生の科学実験』だ。
いろんな実験を紹介してくれているデンジロー先生は、私の憧れの人。
先生と一緒にキサントプロテイン反応実験をしてみたい。
「生きてここを出られたら、俺の相棒を紹介してやるよ。案外、おめぇとは気が合うかもな」
約束は重要だ。
この絶望の地では希望になる。
悪夢にうなされながら、一夜を過ごした。
安全な場所を確保して、そこをベースキャンプとし、そこを起点に探索の範囲を広げてゆく。
ランダムで地形が変わることがある『反転型地下迷宮』は、地図の作成が必須。
何度も何度も地図を作製し、それを重ね合わせると、変化しない場所が出てくる。
そこが『要』と呼ばれる場所で、私が隠れていたクロムウェル師の結界がそれだった。
じれったいほどの時間をかけて『要』から次の『要』に移るのが『反転型地下迷宮』探索の基本。
レマ・サバクタニは偏執的ともいえる忍耐強さで、地図を描き続ける。
探索に出かけては戻り、出かけては戻ることを繰り返すこと一週間、私たちは地底湖の畔に到達していた。
ここが、もう一つの『要』らしい。
「いかにも厄介だな。水棲の異界生物は、戦い難い」
どこまで深い湖に丸太を打ち込むわけにもいかず、対岸に渡ってみないことには第四階層への道筋が分からないそうだ。
補助型や召還型の魔導師がいれば水上を歩いて移動したり、召喚獣に乗って湖を飛び越えたり出来るのだが、私たちは『パチパチ君』と『リセット』しかない。
「面倒くせえが仕方ねェ。水上戦闘仕様に変えるか」
この湖の畔にベースキャンプを移し、我々はまだ誰も足を住みいれていない湖の渡渉作戦に着手したのだった。
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