第19話 僕は
僕は臆病者だ。
自分の中の勝手な妄想に怯えて、在りもしないことを怖がって、いつも行動しない理由ばかりを探して大切に抱えている。
もしも、もしもと悪いようにだけ考えても、事態は好転することはないのに。そんなことも、自分でもわかっているのに。
一歩踏み出すことが恐ろしくてたまらないんだ。
変わることが、何よりも。
僕は卑怯者だ。
皆の努力に付け込んで。その熱意を、その想いを利用して、自分だけは何もしなくても良いようにしようとしていた。いや、している。
実際に僕の力なんてなくても、彼らは彼らだけでもきっと満足のいく結果を、未来を掴み取ることだろう。この前の春の日には、神藤花菜に辿り着けそうにすらなった。きっとあれは、偶然なんかじゃあないはずだ。
どうすれば何もしなくて良いままでいられるか、そんなことばかり考えている。
それすらも、他人の
僕は裏切り者だ。
小学六年生の夏休み。
まだ小規模な夏祭り。
ささやかな花火大会。
皆をそこに縛り付けてしまったのは、僕だ。
あんなことを、『ずっと、このままでいられたら、いいのに』なんてことをぶしつけにも言い放ったのは、他でもない、紛れもない僕だった。
それが全ての元凶であることは、自分でも痛いほど理解していた。
何がどう作用したのかは知らないが、その瞬間以来、僕らは夜空に花火が弾けている光景を、延々と現実の空に投影してしまっている。
柾樹ほど音が響くわけでもないし、柊子ほど連続でバリエーション豊かであるわけでもない、特筆するようなことは何もないただの幻覚だけど、邪魔だとか鬱陶しいと思ったことはない。
どころか、何故もっと激しくしてくれていないのかと、疑問にすら感じるまである。
僕があんなことを言わなければ、きっと今も皆は苦しんだりはしていないはずだ。その原因を作った僕には、それ相応、それ以上の報いがあって然るべきなのに。
そう思っていても
僕は最低だ。
わかっている。
本当は分かっているんだ。
いつまでも、そのままでいられる人間はいない。
努力も無しには、現状維持すら叶いはしない。
前に進むには、
だから。
本当に負い目に感じるのであれば。皆を幻覚の中に閉じ込めてしまうことになったことを後悔しているのならば、きっと今すぐにでも、動き出さなければならない。
夜空に輝く花火を背景に、
思えば、花火を見ているときにした発言そのものを
その程度で、事実そのものが消えてなくなるわけでもないというのに。
高校一年生の夏、その檜奈乃が倒れ、実際に発言の所在が自分であると打ち明けたと本人から伝えられたとき。もう二度と戻れないことを覚悟した。一生、それこそ墓まで持っていくのだと他人事のようにぼんやりと思っていたものだ。
元から、彼らとは一緒にいてはいけないと思っていた。だから高校からして遠い所へ行って、もう二度と戻ってこないつもりで、中学二年の初詣で、柾樹に伝えたんだ。あの日だって、直前までそもそも行くかどうかすら迷っていた。
異性として意識したことなど一度たりとも無い。馬鹿馬鹿しい妄想に身を浸したことも、焦がしたこともあるものか。
そういって、外に出ていけば。皆納得してくれるだろうと思ったから。この世は下らない恋愛至上主義が幅を利かせている、それっぽいことさえ言っておけば、誰もが信じてくれるだろう、と。
この胸に在るのは、今も昔も。罪悪感以外の何でもない。
そもそも花菜が生きているかなんてこと自体が定かではなかった、寿命が残り幾ばくも残されていないと宣告されている人物が、何の因果かその五年後十年後もまだ生き永らえていて、子供の頃に友達だったというだけの
だから偽った。
ならば偶然にも、見付けることが不可能だと、心の底から理解したままでその道を選んだ。もし何かの奇跡で相まみえることが叶うことがあったならば、この想いの丈を、誰も望まない懺悔を告白し、一方的な罪滅ぼしを、償いを彼女に行うことを前提として。
まず有り得ないとは思うが、思うからこそ、花菜の病が治るまで、そして治ってからもの生活に必要な時間と財産の確保を人生の目標に掲げ、そう思い込んできた。
そういう意味では、自分に指針を与えてくれた花菜のことが、好きだった。かもしれない。
幼少より、いまひとつ何にも興味を持つことも、熱中することも執着することも、将来を想起させることも見つけられなかった僕にとっては、それは希望の光でもあった。限りなく後ろ向きの。
きっと、そういうことではないのだろうけれども。
歪んだままの想いでも、僕にとってはそれが全てだった。
花火は揚がった。成功だ。要が作り上げたであろうその一発は、距離や演出などでは左右されない、絶対的な美しさを花開かせた。それは、僕がこれまで見た花火の中で、冗談も世辞も抜きで最も感情を揺さぶる代物だった。
けれど。
神藤花菜は生きている。
確証を得たわけではなく、その姿をこの目で捉えたわけでもないけれど。
そういうことになった。なってしまった。
あれは完全に偶然だ。
暇だったから。他にすることもなかったから。論文抄読の練習でもするかと。図書館のpcでテキトーにPubMedでも開いて、何度も書き慣れた病名で検索を掛けたところで。
見慣れない論文があった、から。
読んでみた。
確信してしまった。
直後はただ信じられなかった。
その論文なのだから当然、神藤花菜が患っていたものと同じ疾患。丁度六年と数か月、神藤花菜が僕たちの故郷を出ていった時期と合致する時期から付けられている記録。本来ならば考えられない長さの寿命、生存継続。
勘違いであってくれと願った。身勝手な、至極都合の良い妄想だと唾棄してほしかった。
何に? 現実に。
いずれその論文を柾樹が、否、柊子が見つけ出すことを確信した。ならばそれより先に、確かめようと思った。
その日は、それまでの人生の中で一番頑張った日かも知れない。
突き動かされるように、実際衝動に任せて、まずそこに記載してある研究者に片っ端からコンタクトを試みた。例の病名も出した、架空の友人を重ね合わせて訴えかけた。でも結局大したことは開陳してもらえなかったし、もらえるはずもないことなどわかっていた。必死に集めたほんの少しの情報の切れ端から、可能性がある病院を一つ一つ挙げていった。しかしそれも、所詮素人の部外者に過ぎない僕には簡単に限界に突き当たることとなった。普通に考えれば、まず不可能だということがわかるだろう。
決め手になったのは、僕たちの故郷に住む、神藤の父方の実家。
即座に連絡をとってもらい、事情を話し、なんとか。
答え合わせをしてもらった。
呆気ないほど、それは上手くいった。
六年もの間、何もしていなかったにも関わらず。探すと言ってまともに行動をとってすらいなかったというのに。
その日だけで、限りなく求めるものに近付けてしまった。
親族の言及という、生存の証拠も一緒に。
あとは簡単だ。
日が暮れる前に病院に訪れ、受付を突破する術を考える段階に入ることもなく、足が引けて退却。
次の日になって、柊子から連絡がきたときは、この世の終わりかと思った。
花火は一瞬だけ輝き、夜闇に散っていく。
次いで、息もつかせぬ勢いで第二、第三の火の玉が打ち揚げられた。
視界の背景として映る花火と重なり合って、色彩の暴力と化したそれは、ちっぽけな僕の自信を打ち崩す。
詰まるところ。
今からでも、僕が、するべきは。
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