第18話 は理解した
八月、二日間にわたって開催されている夏祭りもたけなわ。
日も落ち気温もそれなりに下がり、背後の山脈から吹き降ろす山谷風が夏であって夏らしくない涼しさを提供してくれている。
最後の最後、ここにきて、人の入りも、その群衆のテンションも、共に最高潮を迎えようとしていた。
既に売り切りラストスパートの時間帯を迎えた焼きそばやフランクフルト、金魚すくいの屋台の売り子も作り手も、作業や呼び込みの合間合間にそわそわとしながら、揃ってもうすぐかと時計を確認しだす。
広い広い芝生の広場には、最前列のロープまで所狭しとレジャーシートが色とりどりのパッチワークを作り上げており、人々はそれぞれカメラ、わたあめ、団扇など思い思いの物を手に携え、そのときをまだかまだかと待ちわびている。
花火大会が始まるまで、あと三十分もない。
そんな彼らだけの光景を尻目に。
新郎新婦の入場が、始まった。
荘厳なクラシックなどではなく、遥か遠くから済んだ山おろしに乗って聞こえてくる祭囃子、人々の喧騒だけが、暗闇の草原を歩く彼らの姿を象っていく。
だだっ広い見渡す限りの草原の中に規則正しそうに置かれた、どこから持ち出してきたのかわからないほど綺麗な丸テーブルたちの間を、それらの周りを囲み座っている来賓の間を、
着慣れていないであろうタキシードに身を包み、それでも堂々として。
そも、この式の招待があったのが五月。そこから三か月の時を経ていても、未だに実感というものが湧いていない。それは他二人の表情を見るに全員同じようではあったが。それでも、いつかはそうなるだろうなとは思っていたし、それが
彼の目には、きっと特別な日になる今日も、この真っ暗であろう空に、大輪の花が咲き誇っているように見えるのだろう。それだけは、変わらないであるはずだった。
早々に故郷を離れた蓮や、こちらでも浮いていた存在の柾樹、柊子とは違い、要はその異常性を抱えたまま、ごく普通そうに生活を送っていた。当然、友人も大勢いるし、良い関係性を保ってもいるはず。元々花火に塗れた人生を歩むことが決まっている彼にとっては、無意味どころかプラスに作用していそうですら感じられたものだ。
勿論、そんな考えはどこまで行っても一人芝居の域を出ないモノなのだが。それでもますます離れて行ってしまいそうに感じる限り、この一方通行の劣等感は影として纏わりつくことを止めないのだろう。
「えェ、それでは、新婦の入場です」
要が式場の一番奥、メインテーブルに着くと、司会を務めている要の祖父が次の人物を誘う。マイクはない。誰もが耳を傾けていれば、風程度など心地の良いBGMだ。
親族だけで神前式は行ってはいるらしいが、結婚式を兼ねた披露宴として開かれている今回は、パーティーというほどにははっちゃけるようなものではない、らしい。
草原の中に建てられたプレハブの控室、その正面の白い幕の向こうから、それ以上にずっと白いドレスに包まれた、
彼女は、変わっていた。
物理的に、ではなく。
あの夏の日から今日に至るまで、一時たりとも忘れることができない
気持ちの整理が、ついたのか。落としどころが見つかったのか。蓮からしてみればそれは推測もできないし、する資格も持ち合わせてはいないが、それでも、よかったな、と。そう思えた。
それはつまり。
蓮と柊子の停滞が、これ以上なく明確に示されているということにもなる。
その違いは些細に見えて絶対的で、絶望的ですらあった。
どうあがいても、過去を変えることなど不可能であり、これまで進んでいなかったことを修正することは出来やしない。
祝福したい気持ちでいっぱいではある、けれど祝福して良いものなのか。そんな気持ちが邪魔をする。
檜奈乃は振り返らない。俯くこともせず、ただ前を向いて足を進めていた。
どこかにあった安心感が、わずかにでも持っていた余裕感が、自分だけは大丈夫だという自信が、このままでも良いという脱力感が。音を立てずに盛大に崩れ落ちてゆく。地に落ちて溶け混ざり、どす黒くその色を変え、牙を剥く。
柾樹の拍手が、そんな妄想を打ち砕いた。
気付けば、手を打っていないのは蓮、だけだった。
そこら中に、花火の音かと聞き紛うほど大きな、手を打つ音が響いている。屋外、それに壁もなく、土の上であるというのに。
蓮は周囲を慌てて見回すなど愚かなことはせず、迅速に普通であることを装う。花火の音に集中しすぎていて聞こえなかった、など、冗談だとしても馬鹿馬鹿しくて笑えない。
普通であることを、普通に振舞うことを止めなかった二人を、どうして普通を諦めた者が笑えるのだろう。差異はどちら側からしても同じである以上、そこに優劣は存在しない。けれど、優劣などを意識した者だけが、ただ自ら落ちぶれていくのみなのだ。
……いやいや。難しいことは今は考えるまい。
だって、小学生からの友人たちの、人生に一度の晴れ舞台だ。友人として招待されたからには、素直に喜ぶのが一番で、それ以外にはないはずだ。
檜奈乃がメインテーブル、要の隣に立つ。目線を合わせることもなく、二人が揃って一礼すると拍手が更に大きく激しくなり、二人が席に着くと途端に止む。
「本日は。お忙しいところ、私たち要と、檜奈乃の結婚披露宴にご出席いただき、ありがとうございます」
静まり返った会場には、徹底して言葉遣いを矯正した要の声は、彼の祖父のそれと同じように、いや、それ以上に広がっていく。遠く離れているはずの花火大会の観客席の方にも、届いているのではないかと思うほどに。
昔から、声が良く通る、活発で明るく、元気な奴だった、と。思う。
蓮の記憶の中の、蓮の印象だけですべてが形成された春日要は。
「私たちはつい
それとは違う、妄想に巣食うだけの虚構ではない確かな彼は、それでも、いくら考えようとも彼そのものだ。
そんなことをわざわざ、こんな場所でまで考えている自分は、一体何がしたかったのだろうか?
「本日は、私たちの学生時代の友人、私の職場の皆様にお越しいただいています。この大事な時期にお集まりいただいたこと、大変、うれしく思っております」
爽やかな笑顔と共に会場中を見渡しながら、滑らかにウェルカムスピーチを
結婚披露宴に出席すること自体が初めての蓮でもわかる。彼は十分に余裕を持って、落ち着いて話せているし、そしてそれも当たり前だと言わんばかりに真面目な表情で新郎新婦を見つめる、小中(高もなのだろうがそれは知らない)の同級生、屈強な男たち。
いや、何か違う。
うずうずしているのだ。明らかに。
春日家が運営している会社は、製造や企画、打ち上げ等の花火に携わる業務だけでなく、建設や工事等も承っている。並行して長期的に花火職人を育て、企業として生き残るため、そして田舎にて働き口を増やすための手段として、要の祖父が整えた、らしい。
そんな会社に所属している、厳しい肉体労働で鍛えられた
「皆様への感謝も込めて。本日は、このような場を設けさせていただきました」
彼らの様子に、要も当然ながら気付いている。そちらの方に顔を向けては苦笑し、少しばかりの咳払いを一つ。
まあ、何となく予想はつく。
彼らが今日を指定した理由。
彼が彼であることの証明。
誰しもが待っているコト。
「――まァ、待ちきれないヤツもいるみたいなので?」
風が、強くなる。
檜奈乃が被っているヴェールが靡き、真っ白なドレスが空気を孕んで大胆に踊り狂う。
前面が開けられている要のタキシードのジャケットがはためき、夜の暗闇に溶けていく。
白と黒のコントラスト。
彼らの色は、出会い混じり合って、一つへ。
モノクロームへと変わってゆく。
要は上半身だけで振り返り、遠くに見える光を確認すると、司会席に立っている祖父と目線を合わせ、何やら合図を受け取った。
檜奈乃と要、二人の手が重ねられる。
左手で檜奈乃を繋いだまま、要は右手を天へと掲げ。
「短い間だけども、楽しんでってくれや」
直後。
彼らの背後、遠くの打ち上げ場所から巨大な火の塊が空へ落ちてゆき。
花となって夜に咲いた。
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