榊原蓮

第17話 は見出した


 間も無く正午。空は青く晴れ渡り、太陽はこれでもかと力の限り光り輝く。

 僅かに汗ばむ程度の気温、見上げれば雄大な積乱雲、耳をすませば蝉の乱れ鳴き、生暖かい風はむせかえるような自然を運んでくる。


 きっと、多分。おそらくは、そんな感じ、なんだろうな。


 ホームに降り立った榊原蓮さかきばられんは、半笑いでくだらない比較を思い描いた。


 これが小説だったなら。こんな風に故郷に戻ってくるときの描写は、どんなものになるだろうか。

 昔と同じような景色に「変わってないな」とでも呟いてカッコつけてみるとか。もしくは様変わりした駅前に「変わっちまったな」と言ってみるとか。独特の空気、匂いに懐かしさを感じてもいいだろう。新しくできたラーメン屋の香りに胸を躍らせてもいいかもしれない。駅のアナウンスが変わってないことに気付いても良いし、想像以上の人の多さ、弾む話し声に変化を聞き取っても良いだろう。


 もっとも。それはその場面の一人称を担うキャラクターが、幻覚を患っていない場合に限るけども。

 空は真っ暗闇に包まれていて積乱雲なんて見えっこない。爆発音がなにもかもを薄れさせる。火薬の匂いを錯覚する。花火の存在が変化も無変化も等しく塗りつぶしてしまう。


「どう? 四ヶ月ぶりの地元はさ」


 蓮は自分と同じように荷物を抱えて降りてきた、ここまで電車旅を共にしてきた二人に問いかける。


「いや……特には、何も」


 長時間の乗車でかなり体力を削られたのか、普通に酔ったのか、眉間にしわを寄せる草刈柊子くさかりしゅうこは不機嫌そうに眼下のロータリーから目を背けた。


「どこに行っても同じ空模様だから、帰ってきた、って感じはしないね」


 そんな彼女とは対照的に、吉野柾樹よしのまさきは一通り周囲を見渡し、苦笑いを浮かべながら応える。彼は割と大丈夫らしい。

 二人の感想は、まったくもってその通りだ。

 毎日毎日毎日毎日、ただただひたすら同じ空ばかり目にしているから、どこに行ったとしてもまるで代わり映えがしない。今に例えると、昔と同じかどうか、違うかどうかさえも、わからない。


「だよな。そう言うと思った」


 そう思って。持ってきたものがある。

 懐から取り出したるは、小さめのデジタルカメラ。

 電車も既に走り去ってしまい、人もすっかりはけた状態では、遮るものは何もない。この世界に余計なフィルターなどは、最初からかかっていないんだ。

 覗き込むことはしない。手で固定し、目の前、見える景色そのままを被写体にして、パシャリと一枚。


「じゃあ、これならどうだ?」


 撮った写真のプレビューを表示し、画面を上に向けて怪訝な顔をしている二人に見せる。


「な……」

「えっ」


 目を丸くして言葉を失う彼らの姿に、蓮は自分の仮説が間違っていないことを確信した。

 そこに写っているのは、今見える範囲の、何の変哲も無い普通の写真。彼らが驚くような奇妙なもの、ことはその長方形の中には存在しない。

 しかし、この場合に限っては、普通の写真であるということが異常なのであって。


「なんで……あっ」


 画像を注視したまま柾樹が疑問を呈し、瞬きをした途端に動揺を見せる。


「見えたか?」


 顔を上げた二人の目を順繰りに見つめ、口元をわずかに緩めながら、蓮は訊く。

 いつ、どこで空を見上げても。いかなる状況においても、そこには暗闇と、花火が見える。それは彼らの七年間を通して作り上げられた「普通」であった。


「うん、……でも」

「すぐいつもの光景に戻った、だな」

「……どういう、いや、そういうこと、ね」


 突如として蘇った水色に戸惑いを隠せない柾樹と、それを受けて即座に現象の把握に努める柊子。


 彼らは、一時的に空が見えていた。

 他の何物でもない、青空が。


「私たちが、空を空と認識して夜空と花火のテクスチャを被せていた?」

「まあ、前々からなんとなくはわかっていたことだけどね。僕たちは、自ら望んで花火を見続けていた、ってことだ」


 こうあってほしいという願望が、自分の目を通じて空に投射されていただけ。心因性の幻覚であることが、尚更明らかになる。

 しかし。今、この二人にその仕組みについて共有を行なったのは。


「これで、ようやく分かったな」


 電車は来ない。一時間に三本のダイヤだ、あと十数分はホームは揺れない。当然駅のアナウンスも流れないし、乗車客も現れない。今日は訪れる人はいれど出ていく人は皆無に近い、今この瞬間を断ち切る刺激は、無い。

 現実は。都合良く暗転したり邪魔が入るような必然は起こらない。


「僕たちが見ている夜空、花火は。誰かの怨恨でも呪いでもなく、存在証明でもない。わかるか?」

「……ああ……」



 わざわざ自分を苦しめることも、責めることも、貶めることも。ただの願望を可視化し続けているだけなんだ、それ以上の意味なんて無いんだ。これが消えたとしても花菜の生死には関わらないし、お前のしたことに連動するわけじゃあないんだ。

 そう、言えたらどんなにいいか。

 それを言う資格は、榊原蓮には無い。今は、こうしてメッセージを送るのが限界だ。

 言わずともその意味を理解しているであろう柾樹は、目を伏せたまま。代わりに柊子が顔を上げる。


「でも、どうしてこんな単純なことに、七年も気付けなかったの……?」

「だって二人とも、娯楽に全然触れてこなかっただろう? テレビとか動画とか、多分写真を撮ることさえもさ」


 世界の歪みを一人で背負いこもうとしていた彼らは、いつのまにか元の姿を見失ってしまっていた。それは暗闇を征くうえで指針を失うに等しい。

 そんな単純なこともわからなくなっていた彼らに、いや自分も含めて。少しでも明るい未来が、待っているといいと思うけれど。


「そろそろ、行こうか?」


 道導も無しに一人きりで歩くのは、これで終わりだ。

 眼下のロータリーに、丁度、前もって伝えられていた車種が滑り込んでくるところが見えた。









 八月の終わり。


 蓮たちの故郷において、ほとんど唯一と言っていい観光資源となっている、夏の定番イベント。

 花火大会、である。


 元々の規模は普通の地方レベルのものでしかなかったはずが、密かに花火のクオリティが高いことや、田舎故にロケーションが良く、激しい場所取りなどをせずともどこからでも綺麗に見えることなどから、七年ほど前から急速に注目され始め、前日入りの観光客を無駄にしないために開催期間を二日間に延ばすなど、様々な変更がなされてきた。

 今日はその二日目。

 二日続いた夏祭りの最後に、休憩を入れつつ約一時間半ほどの時間をかけて、花火を打ち上げることになっている。

 打ち上げ場所となっているのは、市街地からまあまあに離れただだっ広い草原。

 その周囲に集まった人混みを掻き分け、三人は中心部へと歩を進める。


「人が多いね」

「だなあ。僕たちが離れてた間に随分と……あれ?」


 薄めに形成されている立ち見の人たちの層を抜けると、そこから先はずっと向こうに張られているロープまで広がっているレジャーシートの群れだった。

 流石にその中を先頭まで歩いていくことは難しいと立ち止まったと同時に、不思議そうな目を背後の二人、柾樹と柊子に投げる。


「僕はこの時期に帰ってくるのは七年ぶりだけどさ、君たちは今年の春まで居たんじゃないのか?」

「いや、気付、かなかったな」

「えぇ……」


 至極真面目な顔をして答える柾樹だが、正直ちょっと信じられない。

 学校や駅前のビルを含めて、この町には三階建てより高い建物は存在していない。だから町のどこからでも花火が見えるし、全域にその爆音も、祭囃子も喧騒も届くはずだけれども。

 新たにレジャーシートを敷き始める人たちの間を縫って歩き、関係者専用エリアの側まで辿り着く。


「私達の視界は常に花火大会だもの。その中でたった一日だけ違う日なんて、判別がつかないわ」


 戯けるような声色で、柊子が代わりに応える。

 空を見上げること自体を忌避して生きてきた自分とは異なる、毎日毎日、自らと向き合い続けてきた人の言葉だ。

 文字通り、観ているものが違う。

 それは、また別に。いくら新しい花火が打ち上げられようと、彼が魂を込めた花火を何発咲かそうとも、彼らの空は未だ一切改められていない、いうことの証左でもある。


「でも今日はただの花火大会じゃあないからね。流石に、特別な日になると思うよ」


 関係者以外立ち入り禁止、の表示が付いているロープのすぐ向こうには、当然だが花火師らしき人影が二人ほど立っていた。

 彼らはこちらに気付くと、直ぐに駆け寄ってくる。それに合わせて、柊子が三枚の白い封筒を取り出す。


「ああ、確かに」


 その封筒の中身を検めた後、彼らはにこりと友好的な笑みを見せ、ロープを頭上まで持ち上げる。


「どうぞ」

「ありがとうございます」


 花火大会の日において、花火大会の会場に。花火を観に来たわけではない、というのは流石に過言だが。これから行われるまた別の催しが主目的であって。


 そもそも、自分たちにとって花火大会は楽しめるような代物ではなく。

 音も光もその匂いも、全て克明に瞼の裏に焼き付いているため、既に十分すぎるほどに摂取している。満腹も満腹、これ以上ははち切れてしまうかもしれない。それほどまでに、大好きで大嫌いなものだった。

 何よりも好きになり、何よりも嫌いになった。モノに対する感情のレパートリーは、知る限り網羅し尽くした。


 それが、今日、変わるかもしれない。



「結婚式は、もうすぐです。あちらで受付をどうぞ」





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