第9話 オレは止まらねえ。
綺麗だ。
太陽の代わりに地上を照らす色とりどりの火の集合体を見上げる度に、オレは全く同じ感想を胸に抱く。いつでも、いくらでも、何度でも、変わることはない。それどころか、見る度にその想いは強く、大きく、重くなっていく。
ぴったり頂点で開かれている――玉の座りは理想的。
玉の全ての星に同時に着火、飛び散っている――割り口も見事。
開花した後の星の散り方も均等に放射状である――肩の張りも素晴らしい。
見える限りほぼ完璧な球形に開かれており、直径も記憶の限り最大に近い――盆に関しては文句の付け所がない。
着火漏れによる抜け星、軌跡が曲がる泳ぎ星なども一切なく、唯一残念な点があるとすれば、開いているところを延々と見せられているだけだから、どんな消え方をするか――消え口を観察できないこと、だろうか。
とにかくその花火は、オレにとって至高の芸術品だった。
尊敬する花火師である爺ちゃんがまだ腰をやらず、健在だった頃に作り上げた、最後で最大、最高という言葉で表すに相応しい、とある一発の花火。それは今でも、オレの空に繰り返し輝き続けてくれている。
感謝、しなきゃならない。してもしきれない。
あの夏の日に、共に花火を観てくれた五人には。更にとりわけ、これを観続けられることになる切っ掛けを言ってくれた、
だって。こんなにも美しいものをずっとずっと観ていられるのだ。誰が怨もうものか、呪おうものか。歓喜こそすれ、負の感情など抱くはずもない。
故に、これなら治さなくても良いんじゃないか、とすら思ってしまうのだ。
少なくとも、オレにとっては。
これは、この幻覚は。
恩恵と呼ぶに相応しい奇跡に等しいのだから。
なにも、最初から好きだったわけじゃない。むしろ、花火は嫌いだった。
花火の美的な価値は別に認めるところではあったものの、オレを取り巻く環境、花火との最初の出会い、繋がり方の印象が圧倒的にマイナスだった。
寝ても覚めても花火のことばかりの父親から、欲しいおもちゃもゲームも漫画も、娯楽の一切を買い与えられたことはない、クリスマスのプレゼントにさえもだ。そのお陰で、小学校低学年では、ものの見事にハブられた。
仕事場に籠ってまともに出てこない祖父とは、まともに話をした覚えが無い、というか一緒に食卓を囲んだ記憶すらない。お年玉だってもらったことがない。働いている祖父の姿を一目視ようと、一度だけ仕事場に入ろうとしたときに烈火の如く怒られてからは、近付こうという気すら起きなくなった。
こんな田舎だ、家同士の付き合いがなかったわけではないし、幼馴染の
花火が嫌いで仕方なかった。花火が好きな自分の家族が、家が嫌いで嫌いでどうしようもなかった。将来はオレが春日家を継ぐかなど、考えるまでもなく拒否、虫唾が走る程。そう思っていた。そう信じ込んでいた。そう思わざるを得なかった。それ以外がオレには存在しなかった。
そんなオレの前に現れたのが、
「……ンだと?」
小学五年生の昼休み、残っている生徒もまばらな教室。給食も片付け終わり、教師も職員室に引っこみ、天気も良いので大半が外に遊びに行った時間帯。
そんな状況で。オレは自分でも笑うほどチンピラじみた低い声を精一杯出して、正面に座る
すぐ隣の柾樹が固まって。
発端はまあ、小さなことだった。
他愛無いただの雑談、それこそ今流行のテレビゲームとか、放課後は何をしようだとか、そんな感じの話をテキトーにしていた。と、記憶している。
何かの弾みで、蓮が言ったのは。「お前は将来なるものが決まってて楽でいいよな」ということ。
分かってた。分かってたんだ。他の人からはそう思われるのが自然だってことは。
頭は良くないし、別に他になりたいもんも無い。嫌いだ嫌いだっていくら心の中だけで叫んでたって、誰に届くわけでもない。特に何か行動を起こすような勇気も持ち合わせてないオレを、誰が理解してくれるというのか。そんなのは、ずっと一緒にいた檜奈乃だって無理だ。
でも。
よりにもよって。今。まさに今現在進行形で気にしていることを、最も嫌なことを。一番、触れられたくないことを。不意に、無遠慮に、嫌味を以って、つつかれてしまった。
色々多感な時期で、家のこと絡みでの悩みもちょうどピークに達していたし、そもそも精神的に不安定だったこともある。蓮の方も蓮で事情が色々あり、いらいらした気持ちが働いて、口から偶然飛び出てしまっただけ、ということも心のどこかでは分かってはいた。タイミングが悪かったと言えば、それだけではあった。
すぐ側の柊子は、興味なさげに無言で見つめているだけで。
「ちょ、ちょっと、止め……」
「てめェは、関係ねェだろ」
慌てて止めに入ろうとした柾樹は、オレの悪意を唐突に受けて、何も言うことが出来ずに口をつぐんでしまう。
相変わらず。優しくて、良い奴で。優しいだけで何も出来やしない奴、だ。
――え?
そんな言葉が脳裏によぎった瞬間、猛烈な後悔が押し寄せてくる。なにやってんだ、なに言ってんだ、オレ。乱暴で、ぶっきらぼうなオレなんかに仲良くしてくれるくらい良い奴に、なにを。止めろ。
でも、それまで溜めこんできたものが一気に胸のあたりまで込みあがってきたことを感じた瞬間、元には戻れないことを悟った。
口が勝手に動くんだ。
「もういっぺん、言ってみろよ、おい」
静かに。平静を装って。しかしその節々から、明らかな怒気を放ちながら。オレじゃないオレが凄んでみせる。
対する蓮も引き返せないことを察したのか、敵意を滾らせた視線で以って応戦してくる。
「お前は。どうせ家を継いで花火師になれるんだから楽でいいよな、って言ったんだ」
オレたちはもう止まれない。
声に出してしまった言葉は、二度と口に入れなおすことは出来ない。取り消せない。無かったことには、決してなりはしない。
ゆっくりと同時に立ち上がり、睨み合う。
その先に待つのは友情の崩壊だと知りながら、オレと蓮は怒りに任せ、その口を、今一度、開いて。
「――ええっ!?
いきなり横から飛び込んできた声に驚き、思わず閉じる。
さっきまで教室の反対側で、檜奈乃と楽しげに会話していたはずの。神藤花菜が、突如としてオレと蓮の間に割って入ってきたのだ。誰も彼もを自然と穏やかで和やかな気分にしてくれるような、眩しいくらいの笑顔を引っ提げて。
きらきら、という効果音が出てきそうなほどに目を煌めかせ、花菜はオレの目を力強く覗き込む。あまりに悪気のない、純粋さの塊のような表情で迫られては、毒気も抜けてしまうというもの。言葉になりかけた黒い感情は、もう既に心の奥に引っ込んでいた。
「え、いや。オレは、」
「ならないの? なんで?」
見れば、蓮は呆気にとられ、柾樹に促されるままに椅子に座っている。
きょとんとした、という形容詞のお手本として教科書に載せられそうな顔をしている花菜には、何も隠していられないような気がしてしまう。
「だって……カッコ悪い、だろ。花火のことばっかり考えてるような変な奴だぜ」
「んー、そう? かなあ? 一つのことに必死に打ち込むって、カッコ良いって思うんだけどなあ。ねえ。柊子ちゃん」
そこで花菜は、何を思ったか唐突に話を予想外の方向に振って、またもにっこりと笑いかける。だが柊子は動揺もせず、落ち着いて頷いた。その問いが飛んでくることが予め分かっていたかのように、心待ちにしていたかのように。
幼いオレを、からかうように。
「そうね。少なくともそれは格好悪くはないわ」
「うんうん。だよねだよね。花火はキレイだし、作るのとっても大変だって言うし。花火師、カッコ良いよぅ」
「で、でも……うちの爺ちゃん、怖いし、すぐ怒るし」
花火が嫌い。
それは本当か?
口に出してみて、オレは初めて自分の考えに向き合った。
花火師はダサい。爺ちゃんは怖い。すぐ起こる。
なんでだ? どうしてそう思った?
そうだ、別に花火師自体は嫌いなわけじゃない。花火しか見ない親父や、爺ちゃんが嫌だったんだ。花火も花火師もよりも、花火しかない自分の周囲の状況が、他の子と違うことが嫌だったのだと、オレはそこで初めて気が付いた。
でも。
「――
「え?」
今度は、花菜の後に付いてきた檜奈乃が踏み込んでくる。
小さい時からかなりの期間、主にうちで遊んでいたが、高学年になってからは何となく学校で話すことも無くなっていた、幼馴染。再び彼女と会話をする新鮮さと気恥ずかしさでか、いつの間にか、当てどころのない怒りはどこかに消え去っていた。
「花火の打ち上げ場所に迷い込んだことがあって。その時に、花火下から見るかーって、誘ってくれたの。耳栓とヘルメットくれて。すごく優しかった」
「そう、なのか……?」
「えっそれいいなぁ。わたしも真下から花火観たい! 円形なのか球形なのかこの目で確かめたーい!」
「…………な、なら、オレが爺ちゃんに言っといてやっても、いいぜ」
「ほんと!? やったぁ楽しみ!」
もうそこには、不穏な空気などありはしない。
ただ、仲の良い六人組が楽しげに談笑しているだけだった。
だから、オレは止まらねえ。
これは天啓だ。この世で最も素晴らしい花火を生み出せ、という。
その為に、現状でオレが知る限り最高にほど近いと考えられる、爺ちゃんの生涯の最高傑作を視界に固定したのだ、と。そう解釈する。
それが使命だと疑わない。それが成ったときに、この幻覚が過去の栄光となり、塗り替えられる形で崩れ去るのだと信じている。現実はもっと美しいぞと。「ずっと、このまま」より良い瞬間は在るんだぞ、と言えると。確信している。
これこそが。真に友に報いるコトだと。
だからオレは、ずっと変わらないあの夏の夜空を見上げ、何とも美しい花火を目にする度に意気を滾らせる。心を燃やす。
オレだけが導き出せる解答を、探して。
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