高校一年生:春日要

第7話 春日要は駆け付ける


 


 黒い空。明るい花火。そこには本来あるはずの太陽も月も無く、ただ静止画のような光景が広がるばかり。

 春日要かすがかなめは今日も感嘆の吐息を漏らしつつ、窓の外に視線を投げる。いつまでも変わらない空の様子を眺め続けるのも、今日で丸四年となってしまった。嘆かわしいし悔しいけれど、同時にひどく喜ばしくもある。


 高校一年生。最初の夏休みの序盤もつつがなく高速で過ぎ去り、あっという間に今年も恒例の夏祭り、花火大会の日がやってきた。

 規模はそこまで大きくないが、それでも小さな田舎町での開催と考えると、なかなかのものだといえるだろう。それとは別に、個人的にまた特別な想いが籠っていることも合わせれば、この日は本当に特別だ。

 今日はまだ、手が届かないけど。いつか必ず、掴んでみせると決めた高み。そこに少しでも早く辿り着くために。


「おぅい、要ェ! そろそろ運び出すぞォ!」

「……応、今行く!」


 階下から届いた父親の野太く低い声に応じ、要は机の上にノートを広げたまま、急いで部屋を飛び出した。

 朝から気持ちがふわふわして手がつかなかったし、今日くらいは夏休みの宿題が一切進まなくても仕方ないだろう。後日柾樹まさき柊子しゅうこの真面目組に混ぜてもらえばきっとすぐ終わるさ。


 階段を二段飛ばしで降り、玄関まで走る。家の外には、沢山の車の排気音。

 安全靴を履き、母屋から少し離れた場所に建てられた仕事場の開け放たれている扉に飛び込む。そこには、既に完成している大量の花火の玉や、それを打ち揚げる機材が所狭しと並んでいた。


 とうとう、今年もこの日がやってきた。感動に胸が打ち震える。

 この田舎の花火大会において、代々続く春日家は観る側ではなく、魅せる側。目立つことのない主役。

 いわゆる、花火師の家系であった。


 庭、仕事場の近くに停められた何台もの大型トラックから、大量の大柄な男たちが降りてきて、そのうちの何人かは仕事場の戸をくぐる。


「会場の方も問題ねえ、いけるぜおやっさん!」

「よし、積み込めェ」

「うッス!」


 彼らの報告書に対し、仕事場の奥の方から、しわがれているが不思議と通る声が響き、トラックの側含めその場の全員が動き出す。

 無論要もその中に混じり、手近なところにある煙火玉から一つ一つ運び出してはトラックの荷台に乗せていく。


「機材は大体一台目、呼びをそっちの二台目に載せろ。入りきるかギリギリだったら五台目に分けていけェ」


 玉の重さは、当然だがその大きさで決まる。小さいものであれば1kgを切るが、大きいもの、三尺玉などになれば優に250kgを超えてくる。そのレベルになれば、運ぶことすら重労働だ。まあ、この田舎でそんな大きなものは揚がらないし当然ここにもないのだが。

 都会と違い、打ち揚げる場所も広いところが取れるため、自然と大きいものが多くなってくるとしても。人手と規模、それに見合ったリターンのバランスの問題がある。そう簡単にでかいものはできないのが現実だ。


「おゥ要、それは――」

「最後のスターマインに使うやつだから四台目、だろ?」

「わかってンじゃねェか」


 要はまだ、自分一人で責任を持って運べる大きさまでの玉しか運ぶことを許されていない。

 悔しいが、未熟であることは百も承知である。飲み込むしかない。将来的に春日家を継ぐことを考えても、要は今は身体を鍛え、研鑽を積むことが最優先だと理解していた。


「若はよく働くなァ! 頼もしいぜまったく」

「俺があのくらいの頃は毎日遊び歩いてたってのになァ。花火が好きだって想いがバンバン伝わってくるぜ」

「ッたりめぇだ。やれることが少ねェうちはそのやれることを精一杯やるンだよォ」


 汗を滴らせ駆けずり回る要を、同様に荷物運びに従事する周囲の男たちが褒め、細やかに指示を出している祖父が頷く。

 要の祖父は数年前に腰をやってしまっており、もう前線で力仕事をすることは不可能であり、現場の頭は既に要の父親に代わっている。そして、春日家のせがれとして生まれたからにはいずれその役目は要に回ってくる。それを見据え、要は全力で働くのだ。


「勿論だぜ爺ちゃん。オレは最高の花火を打ち揚げるンだ、止まっちゃいられねえよ」


 額の汗を拭いながら、要は口角を釣り上げ、笑ってみせる。


 その志は、物心ついた時から、いや、初めて祖父が作る花火をその目に映した時から変わらず、しかと胸に刻まれていた。

 四年前の同じ日に、とある事情を新たに付け加わることになったが。その本質は、依然として芯となり要のど真ん中を貫いている。


 やることは何も変わらない。夜空が花火を縫い止めていようが、花火が夜空を繋ぎ留めていようが、自分たちの心理の問題であろうが、全て吹っ飛ばすだけだ。最高の花火を打ち揚げれば、何もかをも塗り替えられるはずなのだ。

 そのためにも、要は立派な花火師になるべく努力を重ねる日々を過ごす。それは本懐であり、まぎれもない本心だった。

 そうでなければ。神藤花菜かみふじはなを救おうと、助けようとしている、そして幻覚に苦しんでいる友人たちに、顔向けができない。檜奈乃ひなのや柾樹たちに、申し訳が立たない。


 要は自覚していた。頭も良くなければ運動もとびきり得意でもない、自分には花火これしかないと。


 高校に上がってからも、五人の関係性は大きくは変わらなかった。榊原蓮さかきばられんが県外の高校に進学したこと以外は。

 中学二年生の初詣で蓮は、全寮制の高校に通うことに決めたからみんなと同じ高校には行けないということ、未だにその行方が分かっていない神藤花菜を都会で見付け出すことを、みんなに話した。反対する者がいるはずもない、誰もが考えていたことであり、誰かがしなければならないことだと、全員、分かっていた。他にも目的がありそうなことは薄々分かってはいたが、要はそれ以上は訊かなかった。


 探し出すこと、つまりは花菜の現在の生死を確かめること、それ自体はそう難しい事ではないのかもしれない。しかし、小学六年生の頃には花菜の祖父母からの情報提供を断られているため、向こうから拒絶されている可能性も十分考えられる。それも含めて、蓮は探すと言いきった。ならば任せるだけだ。

 いざ医学科に進学し、研究の道に進み、長年かけてようやく、もしくは偶然にも花菜の病の治療法を見付けたとしても、本人が見つからないのであれば意味がない、ということを考慮せずとも良くなった柾樹は、これまで以上に勉強に打ち込むようになった。柊子も、柾樹につられてより完璧な振る舞いをするようになった。それもこれも、花菜を救うために。そして、檜奈乃は。今も想いに挟まれ、苦しんでいる。

 だから、中途半端に立ち止まってなどいられない。最高の花火を作り、打ち揚げるまでは。


「よォし、粗方詰め込み終わったなァ」


 春日家の敷地内に停められたトラックらが、機材や煙火玉でいっぱいになり。さて会場へ赴こうか、というところで。要の父親が全体に確認をとる。


 そのとき。準備万端です、とばかりに乗り込む態勢に入ろうとしていた彼らの意識の外側から、ほとんど叫ぶような別の声が。


「要!」


 花火師たちの妻らと共に母屋で食事などの準備を進めていたはずの、要の母親が飛び出してきた。

 華やかな花火柄のエプロンを着けたまま、つっかけを雑に履いて来た様子からして、かなり慌てていることが窺える。尋常ではない要件なことだけは明らか、だけれど。


「どうしたァ? そんなに急いてよォ」

「要、要いるでしょ! すぐ出るよ!」

「え、は?」


 不思議そうな顔をする旦那には目もくれずに、彼女は要の腕を掴む。

 なんだなんだと周囲の男たちが集まってくるが、要の祖父がさっさと散れと手で促すとすぐにはけていった。


 要を引く母親の手には自家用車の鍵が握られていたが、生憎と要には、今日この時にわざわざ行かなければならない場所も、その理由もまるで検討がつかない。


「ど、どうしたんだよ母ちゃん。どこ行くってンだよ、この大変な時にさァ」

「檜奈乃ちゃんが倒れたんだよ、友達と花火、どっちが大事だい」


 母親の口から出てきたその名は、かつての夏の日に共に花火を観た友人、今は同じモノを見続けている大事な仲間、のもの。

 中でも、櫻井檜奈乃さくらいひなのは幼少期から春日家と交流があった、いわゆる幼馴染であるために。母親がこのぎりぎりの時間に、慌てて要を連れて行くことを即決したことにも頷ける。


 無論、良い花火師になることは要の目標であり絶対に譲れないものだ。そのためにあの夏の日の夜を背景にして、今年の花火を間近で観ることは現状、最重要だと言える。

 しかし。彼らを、大切な親友たちを助けることは更にその上、目的であり何にも代えられない、究極の命題であるからして。


「……そんなん、友達に決まってら」


 故に。そちらに一目散に駆け付けるのは。春日要にとって至極当然である。





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