第6話 吉野柾樹は分からない
一月一日。元日。新たに年が明けても、連続する花火の音にはまるで変化が訪れない。ただただ連続的に、同じ瞬間を繰り返し続けるだけだ。
昼はどんな曇天よりも暗く、夜はどんな月夜よりも明るい。おかげで夜でも外は怖くなくなったが、その分時間の感覚が失われた。いつでも空は暗いし、花火は明るい。それだけ。それだけなんだ。それだけ、なのに。
いや。今日はそんなことは考えなくてもいい。
「おっ柾樹、柊子。あけおめ~」
「あっ、あけましておめでとうございます」
大きな鳥居の傍に立っていた二人、
まだ午前六時半も回っていない時間、しかし田舎なりに大きな神社には、少なくない参拝客が次々に入っていく。
初詣。他にまともな神社が無いことや、それなりに有名であることからして、この近辺の住人は大抵、この神社を選ぶ。それは柾樹たちにとっても同じだった。
「明けましておめでとう御座います」
「あけましておめでとう。今年もよろしくお願いします」
柊子が
「
「ちょっと遅れるってさ。さっき家出るって連絡来た」
「なら待つか。まだちょっと早いしな」
いまどきの中高生では珍しく、要と檜奈乃は携帯の類を所持していない。彼らとは家の固定電話でしか連絡を取り合えないので、逆に皆で集まる際の遅刻などは滅多にないのだが。
町の中心部からは少し離れた、小高い山の中腹あたり。ちょうど町を一望でき、ついでに初日の出もそのまま見えるという絶好のロケーションを誇る神社。その山の
柾樹らからしてみれば、蓮の家に伺いつつ神社に赴くには、かなりの遠回りをするか神社を素通りして一旦麓まで下りていくかの二択である。坂道往復はそれなりに疲れてしまうため、ここは待つことが最適解。
小学生の頃であれば。徒歩だろうと走って行って、すぐさまその手を引いて連れて来ていたのに。とも柾樹は考えもするが。運動部にも属していないために体力も落ち、ただでさえ普段から足取りがおぼつかず、柊子に付き添ってもらっている今では、そんな選択肢は上がりもしない。要なら、まだ可能ではあるけれど。
しかし、何もせず突っ立っているだけでいるのは、やはりそれなりに寒い。
のに。
「……毎年訊いてるとは思うけど、寒くないのか?」
あろうことか要は、吐く息も白くなる冷え切った朝方に、Tシャツに薄手のウィンドブレーカーを、前を開けたまま着用していた。見ているこちらが鳥肌が立ちそうになるくらい堂々と。
もちろん他の防寒着は何も着けていない。ズボンも普通のチノパンだ。年中元気な小学生男子のような恰好を、彼は中学二年生になった今でも続けていた。
「んー、まあな。マジでそんな寒くは」
「ええ……」
「訊くだけ無駄よ。感覚が狂ってるとしか考えられないわ」
「まあ、要は元気、だから?」
きっちりコートを着込みマフラーを巻いた柾樹はいつも通り引き、厚手のダウンコートを着たうえでマフラー、耳当て、ニット帽、手袋にブーツまで揃えた完全防寒仕様装備を震わせる柊子は目を背け、華やかな振袖に身を包んだ檜奈乃は苦笑いする。
「筋肉、つけてるからなァ。代謝が違うんだよ代謝が。特に柊子は運動もしないだろ、だから冷え性になるンだよ」
「私だって筋量維持のために最低限はしているわ。必要以上にしないだけ」
「えっ、運動してるの? ……檜奈乃も?」
「わ、わたしもお風呂場で、ホットヨガなどを、柊子ちゃんに教わって、少々……」
「ということは、してないの俺だけか」
「蓮は夜に走り込みしてるって言うし、うン、そうなるか。お前も体力つけるためにとりあえず運動はしておいた方がいいンじゃァねえか?」
「運動……運動か……」
「そう難しく考えなくても、少し散歩する程度に歩くことくらいから始めてみたら。何なら付き合うわ」
いつものことだった。
毎年、同じ時間に待ち合わせることも。寒がる柊子と全く平気そうな要の対比も。檜奈乃が要の母親に着付けをしてもらって来ることも。それから甘酒を貰い、揃って初日の出を眺めることも。花菜がいたときから、六人でいたときから、ずっと。
でも。
「すまん、遅れた」
僅かに二、三分遅れて、蓮はやってきた。いつもどおりの洒落たコートを羽織った姿で、息を切らせて走って。
「おう、んじゃ行こうか」
そうして五人で、神社の石段を上り始める。鳥居をくぐる人も少しずつではあるが増えてきていた。
初日の出まで、あと、もう少し。
「なあ、柾樹」
境内の端。山の斜面にせり出した、ちょっとした高台のような展望台の、これまた端っこの場所で。蓮は木製の手すりに両手を乗せたまま、柾樹に問いかけた。
きっと、日の出まではもう五分とない。町を見渡すことができ、もうすぐ初日の出を山の向こうに捉えられる景観を誇るこの場所が、人でごった返していることから、それはなんとなくわかる。端からは角度があまりよろしくないため、集まっているのはもっぱら中央の方だが。
「ん?」
不意に呼ばれた柾樹は振り返る、が。遠くの山脈へ視線を飛ばしている蓮の表情は、あまり詳しく読み取れない。
周囲には、カメラを構えた人たちばかりだ。暖をとりたい柊子が社務所近くで配られている甘酒を求めて行ってしまい、要と檜奈乃はみんなの分も持ってくると言って付いて行った。わざわざ場所取りを気にしてはいない。どちらにせよ、五人とも視界には花火しかない以上、初日の出など見えはしないから。故に、太陽が彼方の稜線から顔を出す瞬間には、まるきり興味などないのだ。
では、どうして彼らは。わざわざ毎年、混み合うこの時間帯を狙って初詣に来ているのだろうか。
「お前は、
「え、ああ、好き、だけど」
理由は単純だ。三年前に、この神社に初詣に来たから。小学五年生の冬休み、
残された五人は、神藤花菜との約束を、律義に守っているだけ。
それは、他ならぬ強固な絆の証左か、それとも。
「そうか。僕もだ」
思考を放棄して、ただ、過去に縛られているだけか。
「でも、多分僕の『好き』は、柾樹のそれとは違う気がするんだ」
「それは。どういう、ことだ?」
また別の想いを胸に抱き、確固たる意志でもって選択しているのか。
彼らの周囲には、彼らを理解する人間は存在しない。生きている世界を彼らと同じくする人間は存在しない。彼らを認識する人間は、最早どこにも存在しない。その場の誰もが、次第に明るくなっていく東の空の暁を、期待に満ちた目で見つめている。
しかし。その場においてただ二人。吉野柾樹と榊原蓮は、その空の変化を感じることができない。群衆の反応から察することは可能だが、やはり暗闇と燃える花の虚像以外に、目に映る空はない。
「柾樹はさ、花菜の病気を治す、んだろ?」
「……うん。必ず。いくら重い難病だったとしても、必ず、治療法を見つけ出す、俺はそのつもりだ」
「それ、は。花菜が。その、友達。だから。か?」
途切れ途切れに、ところどころを言い淀みながら。蓮は、振り返らずにすぐ隣の柾樹に問いかける。
周囲のざわめきが、次第に圧を増してゆく。そのさ中で、二人だけは。同じ方向に目を向けていても、全く違うものだけを見ている。
柾樹の言葉に、嘘はない。花菜の
そして。それは開示して互いに益となるものではないからして。
「当たり前だ。大切な友達だから、に決まってるだろ」
「……そっか。そう、だよな」
大きく頷き、蓮は目をつぶって空を仰いだ。何か大きな決断を前にして、いざ、と意を決するかのように。その意図がいまいち掴めない柾樹は、彼の方を向き、その向こうに咲く花火の輝きを見た。
少しだけ、音が大きくなった、気がする。雑踏のざわめきを押し出すかのように。無理やり塗り潰すみたいに。
大きく吸って、ゆっくり吐く。深呼吸する蓮の口から、白い息が躍り出て。冷たい空気に混ざって溶けて、世界の一部に還元されてゆく。
ややあって、彼は柾樹の方に振り返る。
「僕はさ。花菜が好きなんだ」
「うん」
彼の声は、震えていた。
「友人としてじゃない。異性として、だ」
彼は、勢いをつけて手すりから身体を起こし、乗せていた手をしまう。
向き合う。
蓮の背後に広がる暗闇は、どこまでも限りなく。底も、果ても、見通せそうにはない。
歓声が、展望台を満たす。シャッターを切る音が、うるさいくらいにそこらじゅうに響く。その盛り上がり様は、太陽が今年初の姿を見せたことを、これでもかと教えてくれていた。
「僕は。花菜が好きなんだ」
しかし。彼らは、彼らだけは。まだ。夜明けをその目に焼き付けることはない。互いの姿と、燦然と煌めく花火と。漆黒の先に投影された、神藤花菜の幻影のみが、彼らの世界の全てだ。
柾樹は、その言葉を正面から受け止める。思ってもいなかった、真っ直ぐな感情を。
「僕は都会に出ることに決めた。全寮制の高校に進む。柾樹とは違う道のりで、僕も高みに辿り着いてみせる」
良くも、悪くも。
未だにその行方が分からない彼女を、意地でも探し出して再会し、その想いの丈を告白し、その人生を支えていくつもりだ、と。蓮は至って真面目な表情を崩さずに、その想いを吐露する。
「治療法を見つけても、本人がいなかったら意味がないだろう? こっちは任せておけ。お前が必ずと言うなら、僕も必ず、花菜を見つけ出して救うと誓おう」
きっと、彼の背には、あらゆるものたちを照らす黎明の光が昇っているに違いない。
それを知覚していなくとも。彼らの胸には、確かな希望の火が灯った。
気がした。
どこまでも続く暗闇の中を。
吉野柾樹は、歩き続ける。
その先に、何も待っていなくとも。
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