中学二年生:吉野柾樹
第2話 吉野柾輝は進めない
どこまでもどこまでも黒い空に、たった一つ、紅と黄色を基調とした花火が咲いている。
それでも、日にち的には次の日も、時間的には朝も来るし、十四回目の新年度を迎えれば、中学の始業式だってやって来てしまうわけで。
止まったままの世界のすぐ外側は、今日も変わらず変わり続けている。
人で埋め尽くされた体育館の窓から見える空は、通常と異なる意味で何も変わらない。
体育館で行われる長ったらしい恒例の行事を終え、新しい教室へと舞い戻る。これから特に興味もない一年間を過ごす、中学二年目の教室へ。
いつも通りに席に着いて、いつも通りに教師の話を聞く。あまりの無益さに、またふと窓の外に目が行くが、そこには変わらず夜がのさばっていた。朝など、どこにもいやしない。
当たり前の事実に改めて直面し、今更ながら顔を背ける。暗い。気分の話じゃない。机の上に放り出している手元のことだ。遠い記憶の中に存在する太陽は燦々と地上を照らしてくれていた。でも花火ではそうもいかない、それなりには明るいけれど、結局それなり止まりであり。天井の蛍光灯が力の限り発光していても、やはりどことなく薄暗かった。
消えない夜空に散らない花火。とある花火大会の日の情景が、青空に、太陽に、今日という日に上書きされている。
何度朝と夜を繰り返しても。いくら季節が巡っても。どこに行こうとも、何をしようとも。いつまで経っても消えてはくれない。いや、消えないでいてくれている。そう考えている。
あの夏の夜、花火大会の日。その場にいた六人のうちの誰かが言った「ずっと、このままでいられたら、いいのに」という言葉に、柾樹はまだ縛られたままでいた。
空に目を向けてみただけでは、今日は晴れているのか、雨が降っているのか。そんなことすらわからない。手を出してみて、濡れたら雨、濡れなかったら晴れ。そういった方法を採らなければ、天候を読み取ることさえ叶わない。
視界が、狂っている。
ややあって、教師の話が終わり。大量のプリントが渡された末に、新学期初日特有の早めの放課後がやってきた。
「よう、柾樹ィ!」
がやがやと会話がそこかしこで入り乱れ、目が回るほど騒がしい教室の中でも、その声はよく通り。
ついでに、元気な友人もやってきた。同じクラスであることは今朝のクラス振り分けの張り紙で把握していたが、どうも遅刻ぎりぎりで来たらしい友人が。
プリントやら単語帳やらをとりあえず全部突っ込んだ指定鞄を置いた机の端に、勢いよく手のひらが振り下ろされ、一瞬ではあるが教室中の注目が一手に集まってしまう。目立つのがそんなに好きではない柾樹は、ゆっくり顔を上げる。
「……おはよう」
「おう、お早ゥ。相変わらず、隈。凄えことになってンぞ」
抜群の声量を誇る友人――
対して、柾樹は近日の睡眠不足の賜物を見事に刻み付けた目を、表情を、無理やり苦笑いに変えて。
「知ってる」
「何だ、また泣ける作品を一気見でもしたのか?」
「あー、まあ、そんなとこ。寝るのも忘れるくらい良いの見付けちゃってさ」
特に意味のない会話は、ごく当たり前の風景に溶けていく。
時間の経過を報せるチャイム。今日はどこに遊びに行こうかとはしゃぐ女子の姦しい声。早くもグラウンドに出て部活を始めた生徒たちの掛け声、ボールを蹴る音。椅子を引く掠れた音、廊下を駆ける上履きのゴムが擦れる音。それら全てが、一つの放課後という概念を構築する。
嫌いではない。嫌いではないし、どちらかといえば好きだ、と柾樹は思う。そうした独特の空気感というか、雰囲気が。
ただし、自分はその中に含まない、含まれてはいけない。見ているだけで充分だ、享受には値しない。進んでいる時間の中にいてはいけない。
「その言い訳、何回目だろうな」
「多分、まだ三回目くらいのはず」
言い訳が本当であれば、どれだけ良かったことか。
しかし幾度も繰り返された問答は、いくらおざなりだろうと。ふざけた態度は一切含まれていない。
柾樹の言うとおり。何も、これが初めてではないのだから。
むしろ、これも半ば、いつも通りだと言えてしまうほどには。
「そうか。まだまだ二次元も捨てたもンじゃあねえなァ」
そしてそれを、要は理解している。
この症状について。ほぼ同じものを有しているが故に、嫌でも相互に理解し合っている。
同じ日に。同じ場所で、同じ花火を観て。同じ呟きを聞いた六人全員が。正確には連絡が取れない一人を除いた五人が、同じ幻覚を発症した。してしまっていた。
不運か否か。要も、そのうちの一人であって。
「ところで。今年も同じクラスだな。よろしく」
「うん、よろしく。……他の友達には言ってこなくていいの?」
遅刻ぎりぎりの時間に滑り込んできた要には、このクラスにも柾樹の他に沢山の友人がいるはずだ。もう半分以上が去った教室を見回そうとしてみるけれど。
「もう行った。んン、でも、そうだな。
いつの間に話したというのか、要は即座に棄却し、代わりに見知った人物の名前を挙げる。
いつもの五人、のうちの二人。
「二人とも三組だよ。多分、まだいるはず」
「おうそうか、サンキューな」
からっと笑顔を見せたのち、要は小走りで教室を飛び出していく。
別に仲は悪くない、むしろ良い方だと断言できる。性格は違えど気は合うし、複数人でまとまれと言われればまず目線を交わすくらいには親しい、はずだ。それは蓮など他の四人にも同様のことが言える。
でも。どうしても、少し息苦しくはあった。
原因はよくわからないが。何か、決定的に異なる何かの存在を、柾樹は感じていた。
「あっと」
曖昧な感覚を持て余していたところ、不意に当人の声が飛んでくる。扉の方に振り向くと、斜めになった要の上半身だけが姿を見せていた。
少しだけ驚いたが、それはそれで失礼ではあるので、平静は装わなければならない。
「どうしたの」
「
先程より幾分か真面目な色で。要は出入り口付近の席で静かに本を読んでいた女子生徒にちらりと目をくれてから、今度こそ去って行く。
後に残されたのは、遠くから届く喧騒が響くだけの教室と、男女一人ずつの生徒のみ。まだ十一時にもなっていない時間帯では、空気も熱を込められておらず、ひんやりしたままだ。
今日は、これから特に行われる行事も、何かすることもない。となれば、早く帰路に着くべきである。
鞄を背負い、多少ふらつきながら教室の前方の扉近くの机、の前へ歩を進めて。
無言で書に目を落としていた少女――
「用事は終わった?」
言いながらも、返事はわかりきっているようで。柊子は即座に支度を整え、立ち上がる。
「うん、帰ろう」
頷き、彼女と共に、早くもすっかり静かになってしまい、管楽器の間延びした音だけが漂っている廊下に出る。
人気がなく、照明も消えた校舎内から、教室とは逆方向、外に目を遣ると。
大きな窓越しに見える空は。
彼らにとっては。
まだ。
暗闇に閉ざされたままだ。
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