神庭 芽衣子 第八節

 全員が着替えて道場の戸締まりをする頃には日は落ち、西に赤みを残すだけで藍色が空を覆っていた。

「日が暮れるの早くなったぁ」

 鍵を閉めて川村が二人のところに歩み寄ってきた。

「さてさて、お二人ともお疲れ様でした」

「いいえ、先輩も矢取りとかありがとうございました」

「いいんだよ、俺は雑用やってるほうが好きだから」

 上手くはなくとも優しい先輩に有望で素直な後輩。神庭は羨ましさとかではなく、なにか別の心が温かくなるようなものを感じながら見ていた。

「では帰りますか」

「は……あ、い、いえ、わわ私はその、ゆ悠稀が迎えに来てくれるので」

 返事をしかけたのに、それを飲み込んでなぜか急にしどろもどろになって答えた。

「ほー、さよか。え、でも駐輪場までは一緒やろ?」

「こここここで待ち合わせしてるんです!」

 真美は作り笑いで必死に訴える。

「へー。来るまで一緒にいようか?」

「大丈夫ですっ、大丈夫ですっ、神庭さんをお待たせするわけにもいかないしもうすぐ来るそうなので!」

「ふーん。そっか。じゃ、また月曜に会おう」

「はいっ、はいっ、どうぞお先に!」

「それじゃあね」

 川村と神庭は真美に別れを告げ駐輪場へと歩き始めた。

(もしかして気を使われた?)

 明らかに不審だったが、やり取りの間、幾度となく神庭をチラ見してきたので神庭はさすがに察した。

 なんというか、普段会わない神庭が気づくのにどうして普段練習を共にする川村が彼女の挙動を不審がらないのかが不思議でならなかった。

(いろいろ鈍いにもほどがあるでしょ……。)

 何が目的でここまで荷物背負ってやってきたのか。神庭としては川村に近付きたくて訪れたようなものである。確かに真美のこれからの可能性のことも考慮はあったが、やはり冷静でいられるための口実でしかない。

(いい加減気付いてくれればいいのに。)

 そんなモヤモヤを抱えながら階段を降りようとしたとき、暗さもあって一つ踏み外してしまった。

 だが、後ろにいた川村が咄嗟に二の腕を掴んだので何とか踏みとどまり大事には至らなかった。

「おー、まぐれでもセーフ」

 余計な前置詞はあるものの、心臓がバクバクと早鐘のような鼓動を繰り返し動揺している神庭にはしっかりと聞き取れていない。それどころかこの鼓動の原因は転落しそうになったことなのか、腕を掴まれていることなのか、危機を救われたからなのか判断も付かなくなっているくらいだ。なんなら暗さも手伝って彼女には普段よりイケメンに見える。

「あ……あ、ありがと……」

 渇いた喉で声を絞り出して礼を告げバッグを肩にかけ直すと、弓を川村が奪うように持った。

「まあそこまでだけど俺が持つよ」

「あ、う、うん」

 いつものように毅然とした態度ではなく割りと素に近い反応で返事をしてしまった。

(あぁぁぁ……もおぉぉぉ……。)

 手すりに手をかけて段を確実に踏みしめて降りるが、心は上の空である。

 駐輪場に着くと真美の彼氏である悠稀が丁度停めているところに遭遇した。

「おー悠やん」

「川ちゃんうぃっす。真美は?」

「上で待ち合わせしてるんやろ、上で待ってるで?」

「え、待ち合わせとかしてないっつーか、驚かそうと思って迎えに来たのに。なんでバレたんやろ。サンキュ」

 小走りに階段をかけ上がっていく彼を見送り、

「え、どーなってんの?」

 川村が尚も理解出来ずにいた。

(嘘から出たまこと、瓢箪から駒。)

 落ち着きを取り戻しつつあった神庭は、川村の鈍さはこの際スルーすることにした。

(前もこんな状況あったよね。)

 二人きりの駐輪場でかごに荷物を入れ、思い出した。

 弓を受け取ろうと手を出すが、川村は何か考えている表情だ。

「送って行こうか?」

 思いがけない言葉に平常心がまた揺らいだ。

「やっぱ夜道を女子一人で帰らせるのってアレかなって、悠やん見て思っただけなんだけどね」

 また余計なことを言う彼にガッカリした節はある。男子たるもの余計なことは言わず、女子をエスコートなりアテンドなりをスマートにこなすものだと思っているが、どうにも乙女心の理解は川村には難しいらしくスマートとは程遠い。

 意地を張って断ってもいいが、それでは真美が作ってくれた時間を無下にしてしまう。

 神庭は嘆息し、出した手を引っ込めた。

「じゃあまぁ……今日の場所を提供してくれたお礼をするから、カフェまでよろしく」

「マジか、相手したのは真美ちゃんだし、真美ちゃんも呼んできたほうがいい?」

「いや呼ばなくていいから。あの子は彼氏と二人にしてあげなさいよ」

「あーそっか。ていうか今日髪型違うくない?」

(もう、なんていうか、ほんとにいろいろと、ね……。)

 やきもきする帰り道、神庭はなんでこんな男を好きになったのか自問自答することになった。

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