森谷 真美 第十節

 神庭を大前として横並びに立つと試合同様、一礼したのち二人は射場に入り立射にて構えた。

 四本のうち足元に二本置き、矢をつがえる。神庭の動きを追うように真美も矢をつがえると膝に弓を乗せて順を待つ。

 神庭は一呼吸いれ顔を的に向けると弓を打ち起こす。ゆっくり引分け、会へ。動から静。一、二、三……五秒半ほどでカケから弦が離れ、弦音を響かせると弦から押し出された矢は真っ直ぐ空気を割いて飛び、正鵠に突き刺さる。

 その静かな気迫の混じった所作に真美は息を飲んだ。

 スマホに録画してあるものと比べると、私服のまま川村の弓を使ったときはどこか形に入りきっていないような印象さえ受ける。それが袴に着替え、馴れた自分の弓を使うだけでこんなにも違うものなんだと思い知らされた。

(試合とおんなじ本気……。)

 最初にこうして二人で並んだ試合から二か月も経っていない。あの時は神庭のことをこんな風に意識できる余裕もなかったし、ただ試合に集中して本当に必死だった。

「弦音、打ち起こしが原則でしょ」

 乙矢をつがえながら神庭が静かに注意した。

 はっとして慌てそうになった自分を落ち着かせ、たった今見たばかりの神庭の射形をイメージしながら徐々に集中していく。

 自然と体から力が抜け、一つ動作が進む度に視界は狭まり音が消えていく。矢が口割りに来る頃には真美の感覚は的だけを捉えていた。

 三秒と少しで矢が放たれ正鵠から一つずれた線を貫くと、真美の弦音で今度は神庭が打ち起こす。

 残心になると感覚は元通りになるが、今日は一つも無駄に出来ないという意識で真似てみる。

 二人が四射を終えると黒板に的中を書いていた川村が矢取りに入り、射場に立ったまま矢が届くのを待つ。

 そこから八射、十二射と繰り返していくが、真美は普段より短いスパンの立射に加え神庭のフォーム一つ一つを意識しながら試合並みの集中力を用いているので、早くも疲労が自分の中に見え隠れしてきていた。

(頑張れ私……神庭さんとはあと八十八本分しか一緒に出来ないんだから……。)

 神庭が十三射目を放つとこれも正鵠に入るが、的中時の音が酷く鈍い音だった。真美にはその原因が分からなかったが、神庭は気にも留めていない様子である。

 弦音から間が空いてしまったものの気持ちを切り替え弓を引く。放たれた矢は的の上部枠ギリギリに刺さった。

(いけない、もっと集中しないと……。)

 集中力が途切れかかったところに違和感が入ってきたのでフォームにも乱れが現れたことを自覚した。

 十四射目が放たれた。神庭の射形には乱れはおろか変化もない。それどころか徐々に気迫が増しているようにすら真美は感じる。なのに矢の刺さった的からは掠れるような音しかしなかった。以降の二射は的場の土に刺さる音だけが聞こえてきた。

 真美が十六射目を放ち、残心から弓倒しに移ったところで神庭が射場から離れ後ろに下がっていることに気付いた。

「的足りんかもしれんな、これ……」

 川村がぼやいて矢取りに向かう。

 状況は理解できないが、神庭が下がっているので真美も弓を置き座った。自分の十六射と神庭の十六射分に集中力を使っているので、疲労感も倍増している。

 川村は真美の的から矢を抜き神庭の矢も抜くと、さっきまでのようにサッとは帰ってこず神庭の的を外して土を落とした。その時点では気付かなかったが、彼が待機場に戻るところでようやく神庭の十三射目からの音の違和感と二人の行動を理解するに至った。正鵠の部分の的紙が破れ欠落していたのである。

(すごい……。)

 自分は的に中ることが精一杯で収束させるまでに至っていない。そして神庭はこれだけの技術を持っているにも関わらず、インターハイで優勝出来なかったことが不思議でならない。

(神庭さんより上手な高校生がいるなんて、ピンとこないな……。)

 ちらりと神庭を見やると今は瞑想に入っており、注意以来ずっと無言である。まるで邪念雑念を徹底的に排除して最高の自分を出し切ろうとしているかのように。

「いいぞー」

 矢を持って戻ってきた川村の声に神庭が目を開いた。力強い目元。ずっと彼女の中では決勝戦が続いているかのようである。

(あと84本、ついていきます。)

 真美も深呼吸し、川村から矢を受け取った。

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