神庭 芽衣子 第五節
ホテル近くのコンビニで何を食べようかと考えていると、入店のチャイムと覚えのある女子たちの話し声が聞こえてきた。
「神庭さんのあれ絶対おかしいよね」
「わかる、余所の部員にあそこまでするとか理解できないし」
「主将ってレズなんじゃないのー?」
「きゃーっ、え、てことは看病を口実に色々しちゃってるってことーっ!」
「やばーい、それならうちら部員の誰か目つけられてたんじゃないのぉ?」
悲しきかな店内で大騒ぎする女子たちは聖サクラエの弓道部員。それも三人は試合に出て予選落ちするほどロクな結果も出せなかった部員たちである。おそらく観光が終わってホテルに戻る途中なのだろう。
大きくため息をついた。
これが県を代表して出場した選手の品位かと思うと神庭は心底情けなくなった。指導する立場にある自分の指導不足な部分もあるが、猫を被られてその場をやり過ごされるとどうしようもない。目の届かないところでは本人の人間性に委ねられる。
カルボナーラスパゲティと紅茶、森谷への飲み物をカゴに入れてレジへ向かう。
スイーツを選んでいた部員の一人が神庭の存在にようやく気付いて他の部員にそっと知らせる。急に彼女らは小声になり明らかな動揺が広がっていた。料金を支払いながらカルボナーラを温めてもらい、一度たりとも部員の方を見ることなくコンビニを後にした。
ただ、もう神庭の公式戦は今日で全て終わり、主将引き継ぎを行ってしまえば引退である。すでに他の部員に興味などなくなっていた。
選手権大会の候補に挙がっているという噂もあるが、彼女は選出されても辞退するつもりでいる。あんな環境では練習に集中できない上、わざわざ外の道場に足を運ぶ気にもならないからだ。
ホテルに戻りカードキーで開錠して部屋に静かに入ると話し声がしているのに気付いた。
「がんばる……ぜったい、がんばる……」
一瞬、森谷の独り言かと思ったが、陰からベッドを覗くと電話をしている。
「もっと話したい……だめ……?」
なんとなく電話の相手は彼氏だろうと察し、また静かに部屋を出た。ロビーへ降りるとラウンジの隅にあるソファーに座った。
(彼氏か……。)
地区大会で森谷と親しげに接していた私服の人がおそらくその彼氏だろうと推測した。イケメン寄りで爽やかそうな雰囲気は傍から見ても好印象だったのを覚えている。
(そうよね、あの子は素直だから、ああいう彼氏でもお似合い。)
スマホを出すと無料SNSアプリを開いてその中から一人選んでタップした。表示された名前は川村。
羨ましかった。森谷の彼のことが羨ましいわけでなく、そうやって素直になれることや素直になれる相手がいること。
森谷の看病も最初は何も思わず、人として当たり前の行為と捉えていた。だが、看病している内に川村への心象を気にしたり、話す口実が欲しかったんじゃないかという、接点を欲するが故ではないのかと思うようになっていた。だから森谷の疑問に対しても事実の半分しか答えられなかった。
通話のボタンに指がかかりそうになるが、目を閉じて頭を振ると指を離した。
コンビニで遭遇した部員たちが談笑しながらエレベーターで部屋へ戻っていくのが見える。もちろん神庭には気づいていない。
こうやって何か言い訳を自分は必死に探している。だから彼女たちからしても森谷に対する行為が善意と映らず、下心ありきなのだろうと言われるのだ。
体面を気にしすぎて完璧で節度ある人間を演じているに過ぎず朴念仁のように扱われる。そうやって振る舞ってきた結果が地区大会での川村への態度と、コンビニでの彼女らの邪推を生んだに他ならない。自分は興味の無い部員たちに一体なんの気兼ねをしているのか、そう考えるとどこか滑稽な感じがした。
もう一度通話ボタンに指を掛けるが、ラウンジということもあり思わず周囲を見回して誰も部員がいないことを確認してから、コソコソと身を顰めるようにボタンを押した。
(やばい押しちゃった。)
コールする音で急に迷いが強くなり、勢いで通話ボタンを押したことを後悔して切ろうとすると、
「もしもし」
電話は繋がり声が聞こえてきた。わけもわからない汗が噴き出して自身を戸惑わせる。かけておいて通話を切るわけにもいかず、スマホを耳に当てた。
「も、もしもし」
「よう、どした?」
(どうしよ、行き当たりばったりすぎて何も考えてなかった……。)
唇を含んで濡らしながら逡巡。
「森谷さん、一先ず食欲とか出てきて回復してきてる」
怪しまれない用事といえば彼女の経過報告くらいしかない。
「そか、良かった。せっかくインターハイ出たのに、あの子らしいっちゃあ、あの子らしいオチだよなぁ」
そう笑いながら言う川村。
「惨敗といえど一年生でインターハイとか、やっぱりすげぇよ。神庭のおかげだな」
「……何言ってるの、惨敗どころか惜敗よ」
「へ?」
川村の反応に情報の齟齬が起きていることを理解した。もしかすると顧問から川村に結果が伝わっていないのではないかと推測した。
「100人弱いる予選を3中で通過して、準決勝は2中。こっちも準備してたからはっきり見てないけど、最後の1射は的に蹴られてたみたいだから、ほぼ8射6中。決勝の20数人いる中に混ざれた数字」
「えっまぢでっ!?」
体調不良と聞いておそらく0中くらいで考えていたに違いない川村は、想像を超える結果に声が裏返った。
「体調が万全なら決勝で争ってたかもね」
「あー、そりゃないな、たぶん。今回のは怪我の功名なんじゃねぇかな。真美ちゃん、緊張しいだし、万全だったらガチガチで余計な力入って普通に0中があり得たように思う」
動揺から立ち直り、きっぱりと現状の成績を超えることを否定された。
「だとしたら、あの子の根っこにあるハートは強いんじゃないの。最後は集中力か体力が切れた結果かもしれないけど、健康なうちの部員より意識朦朧とした彼女のほうがインターハイっていう大舞台で
「そういや、結果どうなんだ、神庭は」
迂闊に戦績の話題など出してしまったので、そう振られるのは分かりきったことである。川村に対してはまだあの時の傷が癒えたわけではないので触れてほしくなかったが仕方ない。
「……3位よ」
「あれ、神庭なら優勝もあるかと思ったけど。そっか、ともかくおめでとう」
「ありがと」
「へへ、今度はちゃんと誤解されずに伝えられたぞ」
その無邪気な言葉で彼も気にしていたのだと思うのと、ずっと不貞腐れていたように何も満足を得られなかった結果が遅れてようやく込み上げてきた。
(あー、もう、むかつく。)
どうせこうなるなら優勝と伝えたかった。あの決勝戦はもっと頑張れたんじゃないかと今になって後悔し、そしてこんなことを考えさせ乙女の心を揺さぶる彼の無邪気さ、簡単に揺らぐ自分の感情。次々と湧き出るそんな気持ちがいくつも混ざり合って神庭の心臓は心拍数が上昇していく。
ただ、誰の言葉より川村の「おめでとう」が嬉しい。
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