森谷 真美 第七節

 解熱剤がよく効いたのか、目が覚めると重かった体は幾分楽になっていた。

 そのままゆっくり起き上がり椅子に座っていたであろう、ぼやけた姿の神庭と目があったように思っていると、真美のベッドに彼女は座った。

「少しは回復したみたいで良かった。汗かいたりして気持ち悪いでしょ、着替えとそれから寒くないようなら体を拭きましょう」

 神庭は断りを入れ真美のバッグから着替えを出して渡し、彼女がタオルをお湯で温めている間に真美は下着を変えた。

 お湯に浸されよく絞られたタオルを渡されると、自分で顔を拭いてその心地よい暖かさを味わった。顔を拭き終わると神庭は真美から有無を言わさずタオルを奪い、使っていない部分に折り返してから真美の首や腕などから清拭を行った。タオルの温度が下がると、一度ホテルのガウンを着せて待たせ、温め直したもので続きを行った。

 全身を拭き終えるとタオルを片付け、新しい冷却ジェルシートを張り、食欲があることを確認してからお湯で作るお粥を用意してくれた。

 着替え、清拭、食事、服薬と一通りのことを終えてまたベッドに横になった。

「あの……神庭、さん……」

「なに?」

 片づけをしていた神庭に話しかけると真美を気遣ってかわざわざ近寄ってきた。

「試合は……?」

「心配いらない。幸か不幸か、予選落ち。明日には帰ることになったから」

 結果など意に介さない様子で告げた。真美が自身のせいと言わんばかりの眼をしたのに気付いたらしく、「ちなみに私は会中」と付け加えてどちらにも責任がないことをアピールした。

「どうして、ここまでしてくれるんですか……?」

 その質問には神庭は黙った。視線を逸らしたり目を閉じたり、どこか悩んでいるようにも見える。

「今日だって……試合もあったのに……」

 ようやく彼女から言葉は出た。

「貴女が一生懸命だから、かな」

 真美はその意味がよく分からなかった。それを察したのか言葉を続ける。

「別に弓道を頑張ってるとかそういう意味じゃなくて、私に対して向き合おうと努力してくれるからってほうが近いかな」

 自嘲気味に髪を掻き上げ撫でつける。

「おかしいよね、うちはあんなに部員いてさ、誰も私を見てない感じがするの。貴女みたいに見つめてくる人なんていない」

 そこからは目を合わすことはなくなり、何かを恥じるように黙ってしまった。

 しばらくして「ちょっとご飯を買ってくる」と言い残して神庭は部屋を後にした。

 一人になった室内で真美は思いを巡らせる。

(いろんなことを邪魔して、恨まれたりしても仕方ないのに、一言も言わなかった……。)

 地区大会があるまでは本当に接点などなかった。それがほとんどマグレで彼女に勝ち、おそらくは彼女の何かを邪魔してしまったと直感的に受け止めた。そこから無理矢理なたった一度の直接指導と今日に至るまでの紙面での少しのアドバイス。会話もそこまで交わしておらず仲良くなったという印象など決してない。

 真美が弓道をしている神庭に見惚れていただけ。ただそれだけでしかない。道場に立つ彼女の、他の人とは一線を画す凛とした立ち居振る舞いが真美を魅了した。

 それがどうして世話を焼いてくれる理由になるのか、いまいち納得できない。しかし、今の真美には他に思いつく理由もなかった。

 そうしているうちに、今度は全国大会のことを思い返す。前日入りするために乗った電車は冷房が効いており、座った席はその冷気がずっと自分を直撃していた。ホテルについても寒気は続き、浴槽に浸かって体を温めたりもした。起きた時には頭も体も重い。ホテルを出て会場に着いたものの練習中から薄らとした記憶しか残っておらず、競技中など夢か妄想か現実かの区別すらつかない曖昧なものだ。

(みんな……美紗も先輩も悠稀も、期待しててくれたのに……ぜんぜん応えられなかった……。)

 意識を繋ぎとめたまま辛うじて予選だけ通過したが、そのあとは何射して何中したかすら記憶にない。ちゃんと失敗せずにできたのかも怪しい。神庭には指導やアドバイスをしてもらい結果で恩を返すどころか、こうして病気で看病してもらうほどに迷惑をかけてしまっている悔しさと悲しさ。それらを思うと涙が浮かび、急に心細くなった。

 そんな時、ベッドの横で真美のスマホが着信音を発した。神庭は何があってもいいように真美のスマホをベッドサイドへ飲み物と一緒に置いていてくれたようで、すぐに手を伸ばして取ることが出来た。

「……もしもし……」

「俺だよ真美、体調は大丈夫?」

 声は真美の彼氏である悠稀だった。思いもよらない相手に真美の心臓の鼓動は速さを増す。

「急に電話してごめん。熱が出て寝込んでるって川村に聞いてさ。昨日は我慢したんだけど、どうしても心配で電話しちゃったよ。寝てた?」

 スマホをギュッと握りしめて溢れ出る涙を堪えながら声を絞り出した。

「……起きてた」

「声、なんか変だけど具合悪いなら――」

「違うの……大丈夫、大丈夫……すごく、嬉しくて、泣いちゃってるだけ……」

 さっきまでの悔しさと悲しさそして心細さを嘘のように消していく彼の声。満たされていく心。

「ごめんね、私、ぜんぜんだめだった……」

「なんで謝るの、一年生でいきなり全国大会でるだけでも凄いよ、また次で頑張ったらいいじゃんか」

 それでも涙は止まらないが、明るく励ます悠稀の声だけで普段見ている笑顔が浮かび、真美は元気づけられていく。

「がんばる……ぜったい、がんばる……」

 彼の応援に応えたい。そう真美は心に誓うように口にした。

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