志藤 美紗 第二節
川村が下校したのを確認すると美紗はこっそり道場へ戻った。もしもの時のために彼が複製した合鍵で道場を開け、一度片づけた的などを再び用意すると午前中の練習と違う弓を掴んで射場に立った。制服のまま胸当てだけを着け、あとは普段のように立射で矢を番える。
打ち起し、引き分けから歯を食いしばる様に会まで引き絞って二拍溜めると矢は放たれ、山なりに的へ向かう。的中せず的の上10センチほどの所に刺さった。
矢を回収してまた四射。最後の一本が的に刺さると、矢道の外から拍手をされた。驚いてそちらを見ると帰ったはずの川村が手を振っている。
美紗は弓倒しも忘れ立ち竦んだまま俯き、表情を曇らせた。川村はまず的場へ行き刺さった矢を取ると的も一緒に外したので、諦めたように弓を立て掛け、正座して戻ってくる彼を待った。川村は道場に腰をかけタオルで的に付いた土を落とし、鏃も一本ずつ丁寧に拭き始めた。
「……いつから気づいてたんですか」
「なにが?」
「こうやって練習してるって、気づいてたんじゃないんですか、センパイ」
いつものハキハキとした声ではなく、何かを観念した様子で元気がない。
「んー最近。薄々、そうなんじゃないかなってくらいだったよ。美紗ちゃんは割と整ってたのに、地区大会のあとから射形に乱れが出始めてたし、何より会が短くなりすぎてる。的中に拘りすぎてるのかなとも思ったけど、弓も替えてたんだね」
先程まで使っていた立て掛けられた弓を見ながらタオルの土を払い、幾度となく地面を擦って羽の短くなった彼女の矢を手渡す。
「原因は真美ちゃん?」
「……同じように始めて同じようなことしてきて、差なんてなかったはずなのに、試合に出た途端、嘘でもつかれてたように離されて。それから真似しても同じようにやっても、ぜんぜん追いつかない。必死に練習しても差が埋まらない。どんどん、わけが分からなくなっていくし」
渡された矢を握り、悔しさで言葉が滲む。自分ではもうどうすれば真美というライバルに追いつけるか見当もつかいない。
「こんなことは言いたくないんだけど、真美ちゃんが特殊過ぎる。本来はもっとしっかり基礎を作りながら巻き藁練習してるような段階。それを無茶させて射場に立たせても、矢を左右に大きく逸らさずに放ててること自体が割と凄いんだから」
「分かってます、でも負けたくないんです」
美紗の心には響かない。響かないというより、求めるのは慰めのような言葉ではなくどうすれば早く追いつけるかである。
「押し手を見せて」
素直に弓を持つ左手を川村に差し出した。親指の付け根は羽による擦り傷、中指・薬指・小指そして手のひらにマメが出来ている。
「握ってるね。その弓は何キロ?」
「11キロです、たぶん」
「部活中に使ってるのより2キロ強いのか。いきなりそんなに強くしたら、そりゃ変な癖がつくわけだ」
川村は道場に上がり、吊るしていた太いゴムを結んだものを持ってきた。
「一度変な癖がつくと、それを修正するのは大変だよ。美紗ちゃんは基礎に立ち返って一つずつ修正。まずはこのゴム弓で押しを整えて」
「…………はい」
もっと進みたいという思いもあるが故か、つい不満げな声で返事をしてしまう。
「……俺みたいにならないでくれ」
親指の付け根にゴム弓をかけると弓を引く動作で上半身を形作る。
「先輩からロクに教えてももらえなかったし、顧問もほったらかし。美紗ちゃんのようにライバルとかもいないし、張り合いもない中で強い弓を引けるようになることだけが楽しく感じた。けど、それが射形を歪ませてきた。実際、あの17キロの弓だって、俺の今の体には合ってないから強引に力で引いてるようなもの。体に合わない弓に振り回されれば同じ射形を維持できずに的中もバラつくし、体も痛める」
会からゆっくり戻してゴム弓を差し出した。
「真美ちゃんに負けたくないなら、真美ちゃんに無い方向から強くなろうよ。一緒に」
「……はいっ」
まだ全部を納得してはいないが、一人で足掻いても真美に追いつくことはできないことはこの一ヶ月でよく分かった。この頼りない先輩と一緒に試行錯誤するほうが、まだ近道なのかもしれないと考えを改めてゴム弓を受け取った。
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