神庭 芽衣子 第四節

 インターハイ初日は個人戦、翌日から三日間は団体戦という日程になっている。初日の個人戦を神庭は3位という好成績で終えた。彼女の調子は最高潮で例年ならば個人で優勝できたであろう的中数ながら、今年はハイレベルな争いとなり惜しくも優勝は逃した。それでも彼女は持てるすべてを出し切った結果に満足なのか、あるいは地区大会での一件が何かを吹っ切れさせたのか、特に後悔や未練といった雰囲気もない。

 応援に来ていた部員たちを労いながら翌日の団体戦に向けて準備と片付けの指示を出し、ごった返す弓道場に余計な忘れ物などしないよう持物チェックを怠らずしっかりと点検した。

 それから神庭は着替えのため更衣室の前で部員と別れ、混雑する更衣室の中で手早く着替えを済ませた。しかし、いつまで経っても着替えることも片づける事もなくへたり込んだまま身動きしない睦月高校の森谷に目が行った。

「いつまでがっかりしてるの。善戦したんだから気持ち切り替えて。早く着替えないと他の選手の邪魔になる」

 割と強めに言ったが彼女は肩を震わせるように上下させ神庭を見ようともしない。

「ちょっと聞いてる?」

 また強めに発した。

 ただ、何かおかしいことに気づいた。神庭の評価として、この子は確かにぼーっとしている所があるが、どちらかと言えば人に何かを言われればすぐに反応してむしろ慌しいという認識でいた。

 不穏に思い顔を覗き込むと土気色でとても正常とは言い難い顔色をしていた。即座に森谷の額に手を当ててみればカイロのような高温を発している。

(この子いつから……っ!)

 更衣室から飛び出し聖サクラエの部員を探すと、二年生四人が談笑しているようでそこへ駆け寄る。ただ事ではない様子の神庭に四人は何を言われるのかと表情を硬くする。

「椎名さん、睦月高校の顧問を探して。口の周りがヒゲまみれでメガネのオッサン。睦月高校の部員が高熱出して動けないから、すぐに移動できるようタクシーの手配をお願いして。もし見つからなかったらウチの顧問から連絡させるか放送で呼び出して必ず伝える事。岸田さんと渡江さんは中で彼女を着替えさせて。私はあの子の矢と弓を回収してくる。石木さんはうちの顧問に今指示した内容を伝えて、他の部員にも集合場所へ移動して顧問が来るまで待機と伝えて」

 咄嗟ながら迅速に指示を出し人員を割り振ると、更衣室へ二人を連れて森谷の所へ案内し、神庭は森谷の弓袋と矢筒を持って言葉通り弓と矢を回収しに足早に向かう。地区大会と睦月高校で見たことがあったのが幸いし、どちらも間違いなく本人のものを見分けられた。弓は弦を外して弓袋に手早く入れ、矢は間違っていないかだけをもう一度簡単に確認してから矢筒へしまいこんだ。

 回収した弓と矢を持って更衣室まで戻ると、聖サクラエの顧問と睦月高校のヒゲ顧問が事情を知ったようで何か話をしている。森谷の道具を部員に託し、着替えをさせている部員の補助のため中に入る。だいたい着替えは済んでいるが、もはや自力で立ち上がることも困難といった様子に神庭は唇を真一文字に結ぶ。

「森谷さん聞こえる、これから病院に向かうからもう少し辛抱して。今日まで頑張ったんだからそれくらいできるでしょ」

 腕の下からしっかり抱え部員二人と力を合わせて起すと耳元でそう励ました。森谷は虚ろな目で弱々しく一度だけ頷く。

 更衣室の外で待機していた顧問たちに容態を説明し、病院まで付き添う旨を申し出た。流石に女子生徒となると男性顧問一人では都合の悪い面が多いので、その点を話し合っていたらしくお願いされる形で許可が出た。

 生徒の容態が思わしくないことを察した他校の教員が憂慮し、自分たちが手配していたタクシーの内から一台を緊急時ということで善意で回してくれ、三人はそれで急ぎ病院へと向かった。


 診察の結果は程度の軽い肺炎ということであった。疲労が重なり体力を奪われ抵抗力が著しく下がったところにウィルスが入り込んだことが原因なので、入院までは必要ないが、まずは点滴を打ってから安静を求められた。

 点滴をしている間、神庭は病室を出てホテルにいる顧問にまず連絡を取り病状などを説明、帰館予定時間を伝えた。

 睦月高校の顧問も森谷のご両親に連絡をしたようだが、留守電になり繋がらなかったとのことだ。

「……あの、差し出がましいようですが、私の部屋はホテル側の手違いでツインになってるので、良ければ彼女の看病を任せてもらえませんか?」

 ヒゲ顧問はさすがに明日からの団体戦を控えた彼女たちにそこまで迷惑をかけるわけにはいかないと渋るが、

「点滴が終わるまでにご両親と連絡が取れなければどのみちホテルに戻ることになります。お医者様も安静にすることが望ましいと言っていますから、ご両親が引取りにいらっしゃっても、体力が回復しないまま移動させるのは余計な負担を強いるだけじゃないでしょうか」

 そんなことはヒゲ顧問とて言われなくても分かっていることだろうが、何やら歯に物の詰まったような言い方をしてははっきりと断りもしないし承諾もしない煮え切らない言葉ばかりが口から出てきて神庭はイラッとした。むしろ断り気味の方向だが、理由の端緒に聖サクラエの顧問へ借りを作りたくなさそうなものが混じっている。

 聖サクラエと睦月高校の合同合宿が無くなった大きな原因については知っているが、どうやら顧問同士のいざこざも一因のようであると口ぶりから彼女は察した。

(何考えてるのこいつ。自分とこの部員が一人じゃ動けないような状態なのに、この期に及んでまだ自分の私情を優先させるつもりなの?)

 余りの腹立たしさに神庭はスマホを取り出し顧問に電話をかけた。

「神庭です。私からお願いして睦月高校の部員を預かって私が看病することになりましたので、戻ったら改めて報告します。それでは」

 向こうには何も言わせずそれだけ言うと電話を切った。ヒゲ顧問も何を勝手なことを言うのかと抗議するが、

「ご自身が顧問であるという立場とこの状況をしっかり考えて下さい。自分じゃロクに動けないあの子を一人部屋に寝かすだけ寝かして、ほったらかしで済むわけないじゃないですか。もし容体が急変したときに誰が気づいてあげられるんですか。どのみち誰かうちの部員に様子を見させたりすることになるんですから、最初から私が看病してるほうが色んな手間や気を遣う部分も減ると思いませんか?」

 いい大人が18歳の少女に正論を突き付けられてはさすがに黙るほかなかった。イライラしながらも必要なことだけを口にしたので、感情的な言葉を飲み込んだ分、これでもまだ優しいほうである。

「ホテルに戻りましたら、彼女の部屋のカギを私に貸してください。着替えとかいるので」

 ようやく渋々ながら承諾され、神庭のフラストレーションは下降を見せた。

 森谷の眠る病室に戻り点滴の雫が落ちるのを眺めながら、理解し難かった地区大会後の川村の行動が思い起こされ、神庭は今ならそれが理解できるような気がした。

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