第14話 鬼力

 丸一日が過ぎた。僕は父さんと母さんの遺体に付かず離れずの位置に横たわって、寝転んでいた。でも、一睡もできない。遺体からは、少しだけ酸っぱい匂いが漂ってきている。こうしているのも、そろそろ限界だ。

 付けっぱなしにしているテレビからは、絶えず悲鳴が轟いていた。リアルタイムでの地獄の映像。父さんと母さんに限ってないとは思うけど、それでも目を離せられないでいた。今なら、父さんの気持ちがよく分かる。

 台所からは鍋を揺する音。南が料理を作っていた。僕のためだと、昨日の昼も夜も作っているが、僕は一度も手をつけていない。

 異常な状況だった。殺人犯と被害者が、まるで共同生活のような事を行っている。正気の沙汰とは思えない。だけど、僕にはあらゆる意欲が失われていて、どうすることもできないでいた。


「はい、由宇。朝ご飯できたよ」


 南はすでにいつも通りだった。弱さを見せた瞬間を、もう僕は思い出せない。南は悲劇に慣れている。だから、時間があればすぐ元通り。テーブルに並べられた料理は四人分。狂っている。


「もう……やめろよ。頼むから出て行ってくれ……」


 僕は、南に懇願する。話を聞いてあげるとは言ったけど、ずっと一緒にいるとは一言も言ってはいない。一人にして欲しかった。南の顔を見ているのが苦痛ですらあった。


「南の事は許す……だから、僕にもう関わらないでくれ……」


 言うと、南は寂しそうな笑顔を浮かべた。だが、僕の要求を受け入れる気持ちはまったくないようで、


「昨日から何も食べてないでしょ? ほら、食べて?」


 スプーンの上にお粥を乗せて、南は差し出す。だけど、当然食欲なんて沸いてくるはずがない。まして、父さんと母さんの死臭で、ただでさえ気分が悪いというのに……。


「うっ……うぇっ……」


 お粥の匂いを嗅いだだけで、嘔吐いてしまう。そろそろ、警察を呼ばなくてはいけない。警察を呼ぶと、父さんと母さんの死がとてもリアルに感じられて、抵抗があった。


「…………」


 僕は、リビングの脇にある固定電話の受話器を手に取る。一一〇番を押して、耳に受話器を持って行った所で、横から電話のフックに手が伸びた。

 ツーツーツー。 

 無機質な電子音が耳に届く。僕は苛立ちを抑えるのに必死だった。声を押し殺して、南を睨む。


「そろそろ僕を開放してくれ! 南が警察に捕まってもたいした事ないだろ!?」


 警察にはもう逮捕権はない。任意で同行を求めて、数ヶ月の更正施設での教育を受ければ、どんな犯罪者もすぐに開放される。裁判制度はすでに崩壊している。人を裁くのは天地であり、人が人を裁くことは許されない。


「ごめんね……まだ、だめ」


 南は目を伏せながら言う。


「まだ?」


 何が、まだだというのだろう。もう、全部終わったはずなのに。


「うん。まだ、話してない事があるから」

「っ」


  一体、それは何だというのか。これまで聞かされた話だけで、僕はもう十分にうんざりしていた。

 それでも、


「……早く、話せ。そして、消えてくれ」

「……うん、ごめんね」


 僕は聞かずにはいられないのだろう。僕はあまりにも深くまで、南の懐に踏み込んでしまっていた。今更逃げる気力はないし、南だって僕を逃がすつもりはないだろう。


「由宇が私を押し倒そうとして、できなかった事を覚えてる?」

「あ、ああ。それは……覚えてるよ」


 正直、驚愕した出来事だった。僕は、男の中ではそんなに力の強い方じゃないと自覚している。だからといって、女の子に負けるとも思ったこともない。まして、南は華奢だ。柔道部員とか、武道経験者ならともかく、そんな南がビクともしないなんて、正直信じられなかった。

「これから話すこと、信じられないかもしれないけど、本当の事だから」


 南は、そう前置きをして語り出す。


「私達人殺しはね、地獄行きが確定している中でも、特殊なの」

「特殊?」

「うん、そう。犯した罪の重さが、他の罪とはあまりに違う……。まぁ、それだけ人の命が重いっていう事なんだと思う。とにかく、人殺しは、生きながらにして、鬼を背負うの」

「背負う? どういう意味なんだよ」


 まったくイメージができない。そもそも、南の説明はあまりに抽象的にすぎた。


「難しく考えないで。本当に、そのままの意味だから。要するに、いずれ地獄に落ちる人殺し達は、生きている内から地獄の鬼に目を付けられるってわけ」

「……目を付けられたら、どうなるんだよ?」

「まず、悪夢を見る」


 ……悪夢。知らず、僕の背に鳥肌が立つ。


「その悪夢は夜毎リアルになって、苦痛すら感じるようになるの。生と地獄の境目が曖昧になって、末期になると鬼の力の一部が宿る。私達はそれを鬼力って呼んでる」

「……鬼の力……鬼力……」

 

どんなファンタジーノベルだと、笑ってやりたかった。だけど、僕は実際に、その力の一端に触れている。南の怪力は、どう考えても通常では測れない類いのものだったから。そもそも、地獄や鬼の存在を認めて超常現象を認めないわけにはいかないだろう。


「南はその話をどこで?」


 気になったのはそこだ。南の知識の出所。南は、鬼力とやらを当然の事と認識しているように見えた。数日やそこらで得た知識ではないのだろう。


「人殺しにも、コミュニティーがあるのよ」

「なんだって……?」


 信じられない単語を聞いた気がした。


「今……コミュニティーって言ったのか?」

「うん」


 あっさりと頷かれる。残念ながら、聞き間違いではなかったみたいだ。唖然としている僕を尻目に、南は続ける。


「勘違いしないで欲しいんだけど、別に人を殺すためのコミュニティーじゃないの。やむを得ない事情や、事故なんかで人を殺してしまった人が、寄り集まっている場でしかないから。でも、中核メンバーは別。彼らは、鬼力を悪用しようと考えている人や、人に悪意を持っている人間を止めようとしている。それは、地獄行きが確定した人間にしか、できない事だから」

「…………」


 僕は、言葉を失う。


「つ、つまり、人を殺そうとする勢力と、それを止めようとする勢力の二つがあるって事?」

「そう思ってくれていいと思うよ」

「……なんてこった」


 僕は、手で顔を覆った。僕が何気ない日常を送っていた裏で、そんな血みどろの勢力争いが行われていたなんて……。


「でも、考えてみれば当たり前なのかも。地獄行きが確定した人間は、失うものが何もないから、何をやってもおかしくない……。だけど、たまに通り魔的な殺人鬼は現れるけど、大量殺戮なんて、あんまり聞かない……」

「それを抑止しているのが、私の所属していたコミュニティーなのよ」


 ……人殺しに守られていた。その事実を僕はどう受け止めて良いのか、思わず迷ってしまう。


「『所属していた』って事は、今は?」

「今はしていないよ。だって、私はコミュニティーの最大の禁を破ってしまったから……。もう、死んでいるはずだったから……」

「…………馬鹿っ」


 僕は、小さく吐き捨てた。


「そんな事する必要なんて、どこにもなかったんだ」

「うん」

「もっと他に、道はあったはずなんだ」

「うん」

「どうして、取り返しの付かなくなる前に……言わなかったんだよ」

「…………」


 僕の最後の言葉に、南は何も言わず、微笑む。何故か、胸が痛くなるような笑みだった。


「で、実際の所、鬼力っていうのは――」


 どこか重い空気を打破すべく、話題を変えようとして、僕は右ポケットに違和感を覚えた。耳を澄ますと、軽快な音楽が流れている。携帯だった。僕はポケットからスマフォを取り出し、待ち受け画面を見る。そこには、相馬藍那の文字。僕は通話ボタンを押す。


『あっ、出た』


 久しぶりに聞いた気のする藍那の声は、酷く軽いものだった。


『どしたの? 何回も連絡したのに……。それに三日も学校休んでさ。……朝、ずっと待ってたんだぞー?』


 いつもの調子の藍那に、僕は不覚にも涙を零しそうになる。涙を必死に堪えて、僕は声を出す。僕も、いつもの、平穏だった頃の僕の声を意識して。


「ご……ごめん。ずっと連絡できなくてさ……。ちょっと、家族で旅行に行ってたんだ」

『旅行!? どこに!?』

「ちょっと、遠くに……さ」


 その旅行から、父さんと母さんは、帰ってこない。ずっと、二度と、永遠に。


『そうなんだ……真面目だけが取り柄の由宇にしては、珍しいじゃん!』

「はははっ……うるさいっての。……うん、でも、藍那には迷惑かけたね」

『それは別にいいよ。気にしないで、心配してただけだから』

「……ありがとう」


 藍那と話すと、心が安らいだ。気持ちだけでも、日常に帰ってきたような気分になれる。でも、そこはずっと一緒に居た藍那だ。僕の声色から何かに気付いたのか、ふいに声が心配そうに潜められる。

『なんか、あった?』

「っ!」


 正直、すべてぶちまけたかった。今まで何があったか、そのすべて、何もかもを。でも、それはできない。僕は、南を見る。


「…………」


 南は、無表情で僕を監視するように見ていた。父さんと、母さんは、僕が南を憎悪する材料として殺された。ならば、次に危ないのは間違いなく藍那だ。藍那を巻き込むわけには、絶対にいかない。


「なんでもないよ。大丈夫だから」


 嘘をつくのは、苦手じゃなかった。だから、悟られなかったと思う。


『そ、そう?』


藍那はどこか納得がいかない様子だったけれど、それ以上踏み込んでくることはなかった。変わりに、


『じゃ、じゃあさ、逆に一つ、相談してもいいかな?』


 そう、どこか泣きそうな声色で言うのだった。

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