第15話 相談

 鬼力の内容は、千差万別だ。それこそ、人 ――人殺しの数程あると言っても過言ではないらしい。

 たとえば、南の鬼力は、怪力だ。細い南の腕からは考えられない、鬼の腕力を南はその身に宿している。南が言うには、他の鬼力には、こんなものがあるらしい。


 ――未来視。

 ――思考の高速化。

 ――物質変貌。

 ――超越断刀。


 ……などなど。

 無論、それらの鬼力は、ノーリスクで扱える代物ではない。彼ら、または彼女らは、常に鬼に魅入られ、地獄に呼ばれている立場だ。鬼力の内容が人知を越えていればいる程に、それは地獄に近い位置にいるという証だ。南の知っている人物だという【未来視】の能力を持っていた少女などは、その最たる例であり、少女はたった一度能力を使用しただけで、翌日には亡くなっていたという。

 ともかく、力は強大でも、強大であるほど、そう易々と使える代物ではない。その点で言えば、南の怪力は人の領域こそ越えているけれど【未来視】ほど神の領域には達してはいない。南は自分の鬼力を称して、こう言っていた。


「特別よくもなく、悪くもなく……私にお似合いの、中途半端な能力だね」


 だけど、僕からすれば南の能力はこの上もなく脅威だ。僕のような平凡な人間は【未来視】だの【物質変貌】などと言われても、「ああ、そうですか」程度の反応しか返すことができない。その点、南の能力は、非常に分かりやすい。同時に、恐怖を煽られる代物でもあった。


「……ふぅ」


 僕は喫茶店の前で、小さく嘆息する。

 そこは、つい最近になってオープンした喫茶店で、雰囲気が良いとクラスの女子の間でも噂になっていたのを覚えている。なんとなしに店を眺めてみると、確かに彼女たちの評価も頷けた。全体的に、西洋風の造りで、まるでプレハブ小屋のような外観が可愛らしい。


「いらっしゃいませ!」


 扉を開けると、即座にレスポンスが帰ってくる。オーナーさんらしき女性が一人で経営しているのか、店内にいる店員は、その人一人だけ。白のシャツに、チェックのエプロンが似合う美人だった。


「お一人様ですか?」

「いえ、ツレが先に来て待ってるはずなんですけど……」


 言って、僕は軽く店内を見渡す。雑貨や家具にもこだわりがあるのか、一々センスがいい。


「えーと」


 それほど店内は広くなく、こぢんまりしている。だから、その見慣れた顔も、すぐに見つけることができた。


「あ、いた。……藍那」


 軽く呼びかけると、どこかアンニュイな視線を小窓に向けていた藍那が振り返った。そして「こっちこっち」とばかりに、僕を手招きする。


「アイスティー一つで」

「かしこまりました」


 オーナーさんに注文を済ませてから、僕は藍那の対面の席に腰を下ろした。目を合わすやいなや、開口一番藍那は言った。


「遅いぞ?」

「ごめん、ちょっと、いろいろあってさ」

「いろいろって?」

「内緒」

「えー?」


 藍那は不満げに頬を膨らませる。

 別に、何か特別な事をしていた訳じゃない。ただ、三日ぶりにシャワーを浴びて、着替えをしただけだ。


「でも良かった」


 藍那が、僕の顔を見てホッと安堵する。


「何が?」

「思ったよりも大丈夫そうで」

「……だから、大丈夫だって言っただろ?」


 藍那の言う通り、三日ぶりに復活させた人間らしい生活の一端は、僕に僅かながらの活力を与えていた。あれから……三日前と比べると、僕には多少の余裕ができている。まぁ、あの家を離れているというのも、理由としては多分にあるかもしれないのだけれど……。


「僕の事はいいよ。話があるのは、藍那だろ?」

「……うん」


 藍那の表情からは、いつもの明るさが見えなかった。恐らくは、今から話そうとしている内容が、藍那にとって楽しいものではないのだろう。……たぶん、僕にとっても。


「テニス部の……須藤君」

「ん? 須藤がどうかしたの?」


 まさか、ここでその名が出てくるとは思わず、僕は少し面食らう。須藤といえば、僕とクラスこそ違うものの、同学年であり、去年同じタイミングでテニス部に入部した友人だった。


「……やっぱり、知らないんだ」

「だから、何がだよ?」


 藍那にしては、あまりにも迂遠だ。何か、よからぬ事が起こったのだと、それだけで僕は悟ってしまう。


「っ!」


 ふいに、両親の亡骸がフラッシュバックする。

 それは、果たして予感だったのか。得てして、悪い予感とは、的中するものである。

 藍那は眉根を寄せる。そして、彼女に似合わぬ神妙な表情のまま、言った。


「……殺された、んだって」

「…………」


 僕は、言葉を失った。


「嘘……だろ?」


 願いを込めた僕の言葉も、


「…………」


 無言の藍那の否定によって、儚く散った。


「……………………そんなの、ありかよ」


 ……僕は、友達が多い方じゃない。その理由は、分かりきっていた。

 藍那の存在だ。

 人気者の藍那に近すぎる僕は、学校の男子の間で爪弾き者にされている。でも、そんな僕にも分け隔てなく接してくれていたのが須藤だった。


「……いつ?」

「五日前に、M町G区で」

「……M町G区?」


 ふと、僕は思い出す。僕の平穏だった最後の朝に見たニュースの内容。


「刃物でぐちゃぐちゃにされてたって……一昨日まで、身元も分からない状態だったって……」

「……そうか」


 やはり、そうだ。五日前のニュースで見たのが、須藤だったんだ。

 ふいに、僕の胸中に、疑念が沸き起こる。

 まさか……南が?

 刃物での犯行など、類似点があった。だけど ――。

 いや、さすがに違う……か?

 僕は、それをすぐに否定する。南には、須藤を殺す動機がない。そもそも、知り合いですらないはずだ。父さんと母さんの死体にも、ニュースで流れていたような猟奇的といえる損傷はなかった。


「殺されたっていうのは……間違いないの?」

「須藤くんがとんでもない性癖を持ってない限りはそうだと思う。……だって、あんな死に方、異常すぎるっ……」


 藍那はチラチラと窓から外を伺いつつ、身震いしていた。


「ぐちゃぐちゃにされてたってやつ?」

「うん。本当に、元の姿が分からなかったらしいよ。たまたま須藤君が右手につけていた腕時計が限定品で、そこから身元が絞れたんだって。それがなかったら、たぶんまだ身元すら分かってなかっただろう……て」

「その話はどこで聞いたの?」

「学校ですごく噂になってる。……だから、信憑性があるかどうかの保証はできないかな。ただ、須藤君が亡くなったのは間違いないみたい。先生達も……ちょっと動揺を隠せてなから……」

「…………」


 須藤が死んだ。信じられない。だけど、どうしてだろうか――。


「由宇……落ち着いてるみたいだね。正直、もっと取り乱すと思ってた」

「……十分、取り乱してるよ」


 須藤が死んで、悲しいし、辛い。だけど、僕の心は麻痺しているのか、涙の一滴すら流れる気配がなかった。


「ああ、そうか。それで千夏先輩はあんなに慌ててたのか……」

「千夏先輩って、テニス部の先輩だよね?」

「そう。三日前に会った時、千夏先輩は僕に慌てた様子で部活の休みを伝えにきたんだ」

「……だったら、実際は噂よりも早いタイミングで身元自体は分かってたのかもしれないね」 


 千夏先輩の様子がおかしい事には気付いていた。だというのに、こんな重大な出来事をまたしても僕は千夏先輩一人に背負わせてしまった。

 僕は自己嫌悪に囚われる。だが、今日ばかりは、そう悲劇に酔ってばかりいる時間はなかった。


「それだけじゃないんでしょ?」

「え?」


 問いかけると、藍那は露骨に表情を凍り付かせた。


「だって、さっきから外ばかり気にしてる。須藤の話だけじゃなくて、他にも何かあるんだろ?」

 むしろ、そっちが本題だと僕は睨んでいた。もちろん、須藤の話も僕の耳に入れないと、とは思ってはいただろう。だが、藍那の様子には、それ以上の心配毎を抱えているように見えたのだ。


「…………う、うん」

 藍那は、しばらくの逡巡の後、頷く。しかし、頷きながらも、その視線は窓の外を向いている。何かあるのだろうかと、僕も窓の外を覗いてみるが、


「……特に何もない……か」


 そこには、普段通りの街の光景があるだけ。あらゆる悪意が殺菌処理された、善良な世界が広がっている。

 僕は、改めて藍那を見た。


「……うっ」


 藍那は正面から視線を向けられ、若干尻込みする。僕は経験上、藍那がそう易々と弱みを見せる性分ではない事を知っている。抱え込みやすい分、知った時には手遅れになっている危険があった。だから、僕は辛抱強く藍那を見続けた。


「……実はね」


 しばらくして、根負けしたように藍那は肩を竦めながら切り出す。


「私ね……ストーカー、されてるみたいなんだよね」

「ス、ストーカー……て、え? 本当に?」

「うん」


 藍那の頷きは、重々しい。とても冗談を言っているような雰囲気ではない。


「どうして、そう思ったんだ?」

「おかしいなって思ったのは、一ヶ月前くらい」

「一ヶ月前って……」


 随分と前だ。どうしてもっと早く相談してくれなかったのかと、知らず知らず、藍那を責めるように見てしまう。


「……ごめんなさい」

「いや、僕こそごめん。そうだよな、おかしいとは思っても、確信があるまでは言えないよな……」

「……うん」


 ということは、今の藍那には確信があるということだ。


「単刀直入に聞くけど、心当たりは?」

「ない……だから、困ってるんだ」


 藍那は人気がある。だから、ストーカー被害に会う下地だけならば、普通の人よりも大きいと言えるだろう。


「具体的に、どんな被害があったんだ?」

「今のところは、付きまとわれてるだけ。でも――」


 藍那は一旦言葉を切って、表情を悲痛に歪ませる。


「須藤君が学校に来なくなる前日に私、クラスの用事で須藤君と買い出しに出かけたんだ。須藤君が来なくなったのは、買い出しに出かけた次の日から……。それで、よく思い出してみると、須藤君が居なくなった日だけ、怪しい気配を感じなくて、私安心してた……。でも、もしかしたらって考えてっ――」

「――大丈夫! そんなはずないだろ? たった一度出かけたくらいで、そんな訳ないじゃないか! それなら、俺なんてどうするんだよ? 偶然に決まってる」


 藍那の言葉に割り込むようにして、僕は言い切る。ありえない事なんてこの世の中には存在しないのだと知りながら。


「う、うん。ありがと。ちょっと、安心した」

「悪い事が立て続けに起こってる。だから、知らず知らず、考えも悪い方に行ってるんだよ」

「……だよね? そんなはず、ないよね?」

「ないよ」


 そんな事、あるはずがない。仮にそうだとしても、藍那には何の責任もない。


「それにしても……そうか。それで外を気にしてたんだな」

「……ごめんね。由宇だって、巻き込まれるかもしれないのに……。それでも私、恐くて……。弱くて、ごめんね……」

「……藍那」


 藍那は、恐縮するように、身を縮こまらせた。藍那は、容姿も良くて、頭も良くて、家柄も良い。だから、一見完璧人間のように思われがちで、本人もそうあろうと常に努力している。だけど一皮むけば、一人の女の子でしかない。


「家の人に相談は?」

「できると思う? パパもママも……ほとんど家に帰ってこないのに……」


 藍那の父は外務省で勤務し、母親はその秘書をしている。地獄解放後の外交官の仕事とは、体の良いボランティア要員のようなものだ。政治的、経済的な交渉事が縮小した変わりに、途上国などへの一方的な奉仕活動を行う。必然、両親が家に居る時間は少なくなってしまう。


「パパもママも大好きだけど……言えないよ……」

「優しい人、だもんな」


 誰にでも優しい理想的な人物。そんな素晴らしい人格が、親としても同じく理想的であるとは限らない事を体現したようなご両親だ。誰にでも平等。娘にすら、特別扱いは決してしない。


「久しぶりに、由宇のご両親とお話がしたいな」

「……っ!」


 藍那の何気ないその言葉は、僕の胸に鋭く突き刺さった。

 確かに、僕の両親ならば、藍那の状況に対する最適解を出せたのかもしれない。

 でも――。


「そ、そうだな。でも、今は……」

「……ん? どうかしたの?」

「母さんが体調を崩してな。実家に帰ってるんだ」

「え!?」


 藍那は、目を見開いた。


「大丈夫なの?! ……あ、もしかして旅行って……」

「まぁ、そうなんだ」

「そうだったんだ……。大変な時に私ったら……ホント、ごめん……」


 僕の下手な嘘に、藍那はまた沈んでしまう。

 本当の事がバレたら、なんて言い訳しようかな……ははっ……。


「本当に私……何やってるんだろう……。由宇の事も、もしかしたら巻き込むかもしれないって分かってるのに、こんな所に呼び出して……馬鹿だ、私……」


 父さんと母さんはもういない。

 藍那の両親は、国内にいない。

 藍那は、今、一人だった。

 ならば、答えは一つしか存在しなかった。


「僕が藍那を守るよ」

「……由宇?」


 俯けていた顔を藍那はゆっくりと上げた。瞳は、涙に濡れている。目元が濡れると、化粧が落ちて、そこにはうっすらと隈が滲んでいた。


「眠れてないのか?」

「……やだ、見ないで」

「いいから」

「……須藤くんの事もあったし、ちょっとだけ……ね」


 また強がりだ。藍那のちょっとは、ちょっとじゃない証。


「酷い顔。しょうがない奴だな、藍那は」

「何よ。もうっ。偉そうに!」


 僕は、久しぶりに笑みを浮かべていた。笑ってみると、心が軽くなった気がする。


「じゃあ、行こうか」


 僕は藍那の手を掴んで立ち上がる。


「え、え? 行くって、どこに?」


 困惑を浮かべながら、それでも藍那は立ち上がった。ただそれだけの事が、信頼を

感じるようで嬉しい。


「言ったろ。藍那は僕が守るって」

「う、うん……」


 言うと藍那は、頬を赤く染めた。僕は、数日前の自分を見つめているような気分になって、苦笑を浮かべながら藍那の手を引く。


「ありがとうございました!」


 会計を済ませ、背中にオーナーさんの元気の良い声を受けつつ、僕は店を出た。

 そして、外で堂々と藍那と手を繋ぐ。


「ゆ、由宇! だめだって!」


 藍那が周囲をキョロキョロしつつ、焦っている。ストーカーに目撃されることを懸念しているのだろう。だけど、僕には関係がなかった。むしろ、見せつけてやるつもりだった。


「藍那の家、行こうか」

「ええ!?」


 今日一番の、藍那の驚き。


「い、家って……私の家!? あ、あそこ、誰もいないんだよ?」

「だからだよ」

「っ」


 藍那は絶句する。たぶん、僕が冗談を言っていないことを悟ったのだろう。僕としても、冗談を口にしたつもりはない。


「行くよ」

「……は、はい」


 腕を引くと、まるで子犬のように従順に、藍那は僕の後をついてくる。僕は道の真ん中を藍那と二人で闊歩した。数年ぶりの藍那の家まで……。


 ストーカー……もし見ているなら、後について来るといい。

 君が何をしたかなんて知らない。目的も知らない。

 ただ、僕自身が藍那を苦しめる存在は許せない事だけはよく分かる。

 僕にはもう、失うものなんて何もない。

 だから、僕は――。

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