第10話 告白とその行方

 午後七時。三人でケーキを食べた後、珍しく定時に帰ってきた父さんを加えて夕食の時間となった。ケーキを食べたばかりとあって、南は多少お腹の具合を気にしていたようだけど、小さなケーキ一つで成長期のお腹が膨れることはない。リビングのテーブルに煮物や麻婆豆腐、はたまたエビフライといった和洋折衷の豪勢なメニューが並び出すと、南は子供のように瞳を輝かせた。


「こんなの……何年ぶりだろう……」


 南が小さく呟く。それだけで、南の家庭環境にいらぬ想像が及んでしまうのは、事故現場で見た姿を思えばしょうがないことなのかもしれない。

 また、それを感じ取ったのは、僕だけではなかった。


「おぉ! そうかそうか。南ちゃん……今日は好きなだけ食べて行きなさい」


 父さんが人当たりの良い笑みを浮かべて、南に言う。


「あ、ありがとうございます!」


 南が軽く頭を下げると、父さんはチッチッチと人差し指を振り、何やら格好つける。


「敬語はいらないし、頭を下げる必要もない……なにせ、由宇のお嫁さんになる子なんだからね! もう家族さっ!」


 突飛すぎる父さんの発言に、僕は飲んでいたお茶を吐き出しそうになるが、寸での所で堪えて飲み込む。噎せたのと、恥ずかしさの両方で顔を赤らめながら、僕は抗議する。


「父さん! な、何言ってるんだよっ!」


 すると、父さんは心の底から不思議そうに首を傾げた。


「何って……元々そういう話だろ?」

「どこからそういう話になったんだよ!」

「どこからって……女の子を紹介って言えばそれ以外にないだろう」

「いつの時代の話だよ!」


 父さんと言い合いながら、南がこの頭の痛くなるような恥ずかしすぎるやりとりをどう思ったのか気になって、隣に視線を向けた。すると、予想に反して南は俯いて肩を震わせていた。


「……っ……ふっ……っっふぅふっ……!」


 南は笑いを必死に堪えていた。その光景に僕は脱力する。


「南ぃ……笑ってる場合じゃないだろ……」

「だっ、だってぇっ! こんなの笑っちゃうってば! っ! ふ、ふあははっ!」


 やがて堪えきれなくなったのか、手で口を押さえて南は笑い出す。


「はいはい。ご飯冷めちゃうわよー」


 テーブルの上に大根サラダが乗せられる。これで最後なのか、母さんが席についた。僕と南、対面に父さんと母さんといった構図。そういえば、父さんと母さんはもちろん例外として、家での食卓を藍那以外と囲むのは初めてかもしれない。南のいる席はいつも藍那が座っていた場所だ。もっと違和感があるものと思っていたけど……うん、悪くないなと僕は思った。


「あっ、ごめんなさい! 私もお手伝いしないといけないのに……」

 

南が申し訳なさそうに言う。しかし、母さんはそれを笑い飛ばした。


「何言ってるの。南ちゃんはお客さんなんだから座って楽しんでくれればいいのよ。……ま、本当にお嫁に来てくれるなら話は別だけど」

「そ、それはっ」


 南は顔を真っ赤にする。助けを求めるように南は僕を見るが、父さんにからかわれてた時に笑われたから僕は知らんぷりをした。しかし、それはどうやら最悪の判断だったようで、南はとんでもない事を口にする。


「そ、その……それは……園田くん次第……というか……私としては……全然……というか……喜んで……」


 またしても、僕は口に含んだものを吹き出しそうになる。お茶以上に洒落にならないから、僕は必死になってそれを嚥下した。


「…………」

「…………」


 対して、父さんと母さんは顔を見合わせていた。きっと軽い冗談のつもりで口にした言葉っだったんだろう。それがもたらした想定以上の成果に驚いているようだ。

 そして、それは僕も同じ気持ちだった。これまで、なんだかんだとはぐらかしてきた……というよりも、偶然が重なって南の気持ちを聞くことはできなかった。これまで南が見せてきた僕に対する好意は明白だったけど、こうして声に出されると想像以上に胸にクるものがあった。 南はさっきの言葉を口にしてから立ち尽くしている。勢いに押されて口に出してしまったものの、羞恥と困惑、焦りでどうしていいのか分からなくなってしまっているのかもしれない。

 二対の視線が僕に集中する。母さんと父さんだ。僕に男を見せろと何よりも雄弁にその視線は訴えかけていた。僕としても、ここまでされた以上、南をこのままにしておく気など欠片もない。今日藍那への恋心を自覚したばかりの身でどの口がと、自分でも思う。でも、それとこれとは別に、誠意には誠意で応えるべきだ。その誠意とは、今僕が抱いている感情をそのまま素直に伝えることなんだと思うから。

 僕は立ち上がる。南の全身がビクッと震えた。南の瞳の奥には弱気が見え隠れしている。この状況に戸惑っているのは僕だけじゃない。後で父さんと母さんに南に謝らせなければいけない。

 ゴクリと生唾を飲み込む音。僕の心臓は早鐘を鳴らし、それが誰の発した音かすら分からない。拳をぎゅっと握りしめ、僕は南に向かい合った。


「そ、その……ありがとう、嬉しいよ」


 興奮しながら、僕はまず率直な感想を言う。


「う、うん」


 南も頷いた。すぐ傍から「甘ずっぺー」という父さんの声が聞こえ、一体僕は何をやっているのかと一瞬現実に立ち返りそうになるが、なんとか抑える。そこまで僕は空気の読めない男じゃないつもりだ。


「でも」


そう、でも――。


「南の事を好きかどうかはまだ分からないんだ」


「っ」


 南が息を飲む。悲しげに目を伏せた。

 ごめん、南。僕は藍那が好きなんだ。好き……だったんだ。おまけに、その事に土壇場まで気づけなかった大馬鹿者なんだ。

 ただ黙って素知らぬ顔で南と付き合うこともできなくはない。きっと時間をかければ僕は南が好きになるだろうから。でも、僕はそんな卑怯な人間にはなれない。器用な人間にもなれない。そりゃあ僕も男だから、雰囲気に流されて一時はキスしそうにもなったけど。それを最低と罵られれば言い返す言葉一つ見つからないけど。それでも、自分の中になけなしの誠意があると信じたい。だから――。


「だから、友達から始めませんか?」

「えっ?」


 痛みを覚悟していた南は惚けたように目を見開いた。その瞳の中心に僕を据える。


「それって……」

「うん、まぁ……」


 友達からのスタート。でも、それは付き合うのを前提としたようなものだ。


「お、おお?」

「お、おめでとう? ……でいいの?」


 父さんと母さんが首を捻りながら拍手をする。それを尻目に、僕は南に手を差し出した。


「よ、よろしく」

「う、うん、こちらこそ?」


 まだどうなっているのかよく分かっていない様子の南。でも、握手で触れ合った南の手が汗でグッショリ濡れていて、どれだけ南が緊張していたかがよく伝わってきた。すぐに恋人になる事はできない。だけど、ゆっくり段階を踏む時間さえ与えてくれるなら……きっと南は僕にとって掛け替えのない存在になるだろう。そんな予感があった。

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