第8話 審判は常の僕らの傍に

「ねぇ? 園田はどこか行きたい所ある?」


 僕達はとりあえず、街中にやってきた。都心程ではないけれど、僕が住んでいる岡山もそれなりに栄えていると思う。ちょうど放課後の良い感じの時間帯という事もあって、駅のすぐ傍には雑多な人混みができている。新幹線が通過した揺れと音。人の話し声。地下街に流れる緩やかな音楽。普段は気にもならないそれが、何故か今の僕の心を落ち着ける。

 そして、何よりも、


「僕はないかな。今日は南に付き合うよ」

「そう?」


 僕の隣で楽しそうな笑顔を浮かべている南の存在が僕の救いになっていた。


「じゃあ服見に行ってもいい? 男子の意見とか聞きたいし」

「いいよ」


 僕は南の提案に二つ返事で肯定を示す。すると、南は気合いを入れるように自分の両手で頬を軽く叩いた。


「よーし! 今日は楽しもうね!」

「ああ」 


 僕は素直に頷く。きっと南は僕が落ち込んでいることに気づいているだろう。それもあって、普段以上に元気そうに振る舞ってくれているんだ。 

 ――本当に……ありがとう、南。

 南の優しさに、僕は心の底から感謝した。










「ねぇねぇ! これどう?」

「うん、いいと思う。似合ってるよ」

「うーん……ちょっと待っててね」


 ここで、ショッピングモール内で何件目の服屋だろうか。気持ち的には、すべての店を制覇した感さえある。僕は少しだけ疲れていた。南の望むがままに服屋巡りを初めて早二時間。僕は女の子の買い物を嘗めていた事を心底痛感していた。


「これは? どうかな?」


 南が数十着目の服を試着して、僕に披露する。服はこれからの季節に着る夏物で、どれも微妙に露出度が高いものだ。デニム調のミニスカートや淡い色合いの薄手のミニワンピースや中性的な南によく似合う丈の長いシャツにショートパンツという組み合わせ。僕はそのどれもが似合っていて、素直にいいと思うんだけど、どうも南的にはそうではないらしい。僕の意見を一応聞くんだけど、聞いた意見に従うことはほとんどない。ここに至り、疲れていた僕はようやく気づく。


 ……これは、あれだね。南的には買いたい物がもう決まってるんだろうな。南の気に入った服に対して、僕がいいね! って同意するのを待ってるんだろうな。

 なんとも面倒な話だった。思い返してみれば昔、藍那と買い物に行った時もその長さに辟易とした記憶があった。

 まぁ、藍那はお金持ちだから、欲しい服で迷うより、全部お買い上げって感じだったから、南程時間はかからなかったけどね……。


「次はこれ! これどう!?」


 南がまた新しい服を持ってくる。

 ボーダーの花柄Tシャツに黒ベスト。それに黒のバルーンスカートを組み合わせたガーリーな服だった。それを見た瞬間、僕は理解する。

 そうか……南はこういう服が好きなんだ。

 よく南を観察していれば、すぐに分かることだった。南の表情がまず違う。これはどうだ! とでも言いたげな自信満々な表情を浮かべている。そして、そういう表情をする時は、決まって女の子らしく可愛らしい洋服を持ってきた時だった。

 まったく、分かりやすいんだか、そうでないんだか……。

 思わず、僕は苦笑を浮かべる。そして、告げる。


「それが一番似合ってると思うよ」


 すると、南が喜びを全身で弾けさせる。どこか不安そうに俯かせていた顔を上げ、花の咲くような笑みを浮かべた。


「だよね! 私達気が合うねっ!」

「ははっ、なんだよそれ」


 本当に調子のいい話だ。これまで散々あれじゃない、これじゃないと言ってきたはずなのに。でも、それも含めて良かった。南が楽しそうならそれに超したことはない。南は僕が思っていた以上に女の子らしい子だった。それを知れただけで、なんだか僕まで嬉しい気持ちになってくる。


「じゃあこれ買ってくるね」


 南が服を持ってレジに向かおうとする。


「あ、ちょと待って」


 それを僕は呼び止めた。


「ん?」


 不思議そうに南が僕を見上げる。そのじっと僕の内心まで透かして覗き込むような視線に、僕はよく分からない恥ずかしさを覚えて、目を逸らす。


「あー」


 こんな事を女の子に言うのは初めての経験だった。


「それ、僕が買おうか?」


 きっと、僕の顔は真っ赤になっている事だろう。藍那にプレゼントを渡したことはある。でも、それは妹みたいな存在へのプレゼントであって、男女とか、そういう意識をした事は今までなかった。

 でも、今は――。


「…………」

「…………」


 無言で僕らは見つめ合った。今日は二十四時間しかない。だというのに、その間に一体何度こうした無言と言うか、見つめ合うような気恥ずかしい時間を繰り返すのだろうか。その時間が嫌ではないというのが余計に質が悪い。僕なんて、ほんの数時間前に目の前の女の子以外への恋心を自覚したばかりなのだ。

 しばらく、僕らはそうして、やがて南がポツリと漏らす。


「う、嬉しい……」


 感極まったように南は言い、その頬に滴を溢れさせる。それが涙だと気づいた僕は慌ててしまう。


「お、おい……な、泣かないでよ」

「ご、ごめん……ごべんねぇっ」


 声を震わしながら、南は僕の胸の辺りに顔を押しつけてくる。


「う……うぅ……ぅぇぇ」

「…大袈裟だなぁ」

「だ、だっでぇぇ」


 泣きじゃくる南の背中を僕はポンポンと撫でた。すると、南はさらに顔を押しつけてくる。南が泣き止んで落ち着くまで、僕達はそうしていた。














「……ふふっ」


 南が笑う。


「何笑ってるの?」

「んー? 秘密」


 僕の問いかけに、南はニヘラッと相好を崩した。その幸せそうな顔に釣られて、僕

の表情も自然と柔らかいものになっていく。

 南の視線の先には、紙袋があった。僕が南のために買ったプレゼント。初めて女の子を意識して僕が渡したプレゼントだ。

 そんなに喜んでくれるなら、プレゼントしたかいががあったかな。

 自分の渡したのもが喜ばれているという実感は、予想以上に胸に来るものがあった。世の男性女性に限らず、大事な人に贈り物をする心理がなんとなく理解できた。

 思い返してみれば、僕って父さんと母さんにも贈り物ってした事はなかったかもしれない。

 父の日や母の日など、そういった行事で贈ったことはある。だけど、理由もなしに喜んでもらいたいという純粋な気持ちで贈ったことはなかったかもしれない。 

 父さんと母さんにも、何か買って帰ろうかな……。

 そんな事を僕が思っていると、僕は右手に重みを感じた。


「南?」

「南でーす」


 南が僕の右腕に自分の両手を絡めていた。ハイテンションになっているのか、南の柔らかい部分が服越しに伝わり、目を合わせられない。


「この後どうする?」


 南の言葉に僕は考える。


「このまま帰るってのもアレだよな」

「そうだよ! それはないって!」


 南が力説する。帰る選択肢は消滅した。なら、どこがいいのだろうか。僕はスマフォを取り出して時刻を確認する。


「夕方の六時か……」


 映画やカラオケに行くには少し遅い時間だ。帰るには早すぎて、これから何かをするには遅すぎるなんとも微妙な時間。どうするか迷った僕は、ほんの冗談のつもりで言ってみた。


「家……来る?」

「えっ……」


 南が僕の顔を見上げた。目を見開き、驚いている。


「えーとっ……」


 南は視線を彷徨わせ、自分の髪を指に巻く。明らかに困っていた。予想以上に本気にとられてしまった僕は慌てて訂正しようと南に声をかけようと口を開いた。


「あ、あのさっ」


 その瞬間――。

 ゴォォォォォォォォォオ! キュリリリリリリリリリッッ!

 甲高い轟音が周囲にこだます。

 なんだなんだと周囲がざわめき、僕達から少し離れた場所に人だかりができている。そこからは煙が上がり、次いで女性の悲鳴が上がった。


「きゃああああああっ!」


 胸の痛くなりそうな悲痛な叫び。それに追随するように、周囲のざわめきも一際大きくなっていく。


「なんだろ……」


 南が僕の腕に抱きつき、不安そうに眉を顰める。


「分からない」


 僕はそう言うものの、本当は分かっていた。きっと南もそうだろう。轟音がして悲鳴が上がって人だかりができているそこは道路なのだから。何が起こったかなんて、考えられる事象はそう多くはない。

 やがて、警察と消防がやってきて、野次馬を下がらせる。その時に、離れた僕達からでもその全容が見えた。


「……あ」

「……っ」


 横転したトラック。そのすぐ傍で泣き叫ぶ女性。女性の胸には一人の幼い女の子が抱きかかえられていた。血まみれの姿で……。


「酷い……今時……車なんてっ」


 南が噛みしめるように言う。


「一度便利さを知ったらやめられないのかもね」


 地獄の開放と共に、車の利用率は劇的に下がった。誰もが事故を恐れているからだ。しかし、それで車がなくなる訳ではない。利用率こと下がったものの、未だに車の製造を行われているし、それを買う人間も一定数存在する。北海道などの移動距離の長い地方に住んでいる人たちからすれば、車がなければどこにも行けないのだから仕方のない面もあるだろう。逆に、車の使用率の低下はそういった地方から公共交通機関を求めて首都圏にやってくる人が後を絶たなくなる理由にもなり、人口の一極集中を助長している面もあるらしい。


「でも……あの子、可愛そうだよ……」


 南はうっすらと涙を浮かべていた。


「……うん」


 あの子は一体どっちに行くのだろうか。それが、様子を見ていた僕ら共通の一番大きな心配事だった。

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