引き立て役だ、なんて思ってないよ

小高まあな

第1話

 教室のベランダから校庭を見下ろす。

 茶色い砂埃をあげて、ボールが飛び交う。白いワイシャツに茶色い跡がつく。

 彼が投げたボールは綺麗な放物線を描いて、バスケットゴールに吸い込まれた。

「かっこいいよねー、堂本君」

 美優もベランダに出てくる。

 シュートを決めた堂本君がガッツポーズをしている。

 毎日毎日、どしゃ降りの日以外は、彼らはこうやって昼休みに校庭で遊んでいる。サッカーとか鬼ごっこの日もある。一体いつお昼ご飯食べてるんだか。

 ゆるくパーマをかけたふわふわの茶髪に、上手に着崩した制服。一年生にしてバスケ部のエースの堂本君は、女子から絶大の人気を誇っている。

「友梨、堂本君狙いなんだよねー。可愛いからいけるんじゃなーい。ええっと、佐野だっけ?」

 言いながら美優が堂本君にパスをした人物、佐野君を指差す。堂本君とは対照的な直毛の黒髪。黒縁メガネ。堂本君が不良っぽいのに対して、佐野君は優等生然としている。

「生徒会で一緒だからって、堂本君の情報聞いたりしてるんでしょう?」

 話をしていると、佐野君が顔をあげた。目が合う。佐野君はゆっくり微笑むと右手をあげた。隣の堂本君もこちらをみると、Vサインを作ってくる。

「白井さんみたー? 今の俺のスーパーシュート!」

 両手をメガホンにして叫ぶ。返事の代わりに私も手を振った。教室二階でよかった。

「やだ、友梨すごーい!  堂本君に名前覚えられてるじゃーん」

 バシバシ肩を叩かれる。おばちゃんかよ。

「まあ、ね」

 コートに戻る彼らを見ながら曖昧に返事する。途中で佐野君が振り返ると、一度悪戯っぽく笑って右手をあげた。

 どきっとする。

「んー」

 再びはじまった試合を見ながら美優が眉をひそめる。

「友梨さー、勘違いされてない? 佐野に。仲がいいのは佐野に好意があるからって思われてるんじゃないのー?」

「まさか」

 笑うと、美優は真面目な顔して、

「だめよ、友梨。ああいう真面目そうなタイプは勘違いしちゃうからね」

 私の両手を掴み言う。

「はいはい。教室戻ろうよ、ちょっと寒い」

 笑みを浮かべていいながらも、どきっとする。

 美優には言えないけれども、それは絶対にない。それだけは言いきれる。


 堂本君が目立ちはじめたのは、今から半年ぐらい前、ゴールデンウィーク明けの新入生親睦球技大会だった。

 入学したばかりで、皆まだきちん制服を着て、中学生から抜けきれていないのに、彼は明るい茶髪で目立っていた。真新しいジャージもだらしなく着こなして。先生には怒られていたけど。

 そんな中でのバスケで得点王。ボールに向かう真剣な顔とシュートを決めたあとのはじけるような笑顔のギャップ。堂本君の人気はそこからはじまった。

 堂本君みたいになりたくて髪を染めた。先生に怒られるのが怖かったから、彼よりは何トーンも暗い茶色だけど。

 違った自分になったみたいでドキドキした。もう中学生じゃないんだなって思った。

 校則通り膝にかかるぐらいのスカートも折って短くした。真っ黒なセーラー服は可愛くないから、寒くはないけど薄茶色の綺麗なカーディガンを着た。ワンサイズ大きめでスカートと指先が隠れるように。

 化粧の仕方も勉強した。してないように見えて、でもいつもより可愛くなるように。

 そんな時、同じ生徒会役員の佐野君と仲がいいと知った。その時、ラッキーと思ったのは事実だ。

 二人は一緒にいることが多い。佐野君と挨拶すると必然的に堂本君とも顔をあわせることになる。

「あ、佐野君。今日は広報紙つくるって」

 廊下であってそんなことを話す。堂本君は隣にいる。立ち去った後背中で聞いた

「あれ誰? 可愛いじゃん」

 って言葉には思わず笑みがこぼれた。ケータイで録音したい、あの声でアラームかけたい。

 だから、正直佐野君を利用していたつもりだった。

 あれは、六月の終わり頃。生徒会広報紙を作るのに時間がかかり、下校時刻が遅くなってしまった。

「白井さん」

 校門から出たところで、佐野君が待っていた。自転車にまたがって。

「駅まで暗いから送ってくよ」

 佐野君は一度視線を地面に落とし、

「話したいこともあるし」

 困ったような顔をしていった。

 私は堂本君一筋だったし、オッケーしないつもりだったけど、告白なんじゃないかって、期待してしまった。堂本君と比べると地味だけど、佐野君だってまた違ったタイプでかっこいいし。

 駅に向かって歩き出す。佐野君はサドルに座ったまま、片足で地面を蹴って進んで行く。

 どうしよう。告白なんてされたことなんてないけど。そんなことを思いながら、佐野君の顔が見れなくてやや下を見ながら歩く。

「話って言うのは」

「間違ってたら悪いんだけど、白井さんって堂本狙いだよね?」

「は!?」

 今度は妙に大きい声がでた。足も止まる。

「え、あれ、違う?」

「いや、違わないけども、なんでっ!?」

 私、そんなにばればれだった? 告白だと思って恥ずかしいっ!

「そうかなーと思って。最近、俺を通して堂本と仲良くなろうとしている女子、多いし」

 佐野君はさっきより少し強めに地面をけった。慌てて小走りで追いかける。

「白井さん可愛いしさー、優しいしさー、もし堂本狙いなんだったら、ちゃんと言っといてもらおうと思ってー。勘違いして好きになったら困るじゃん?」

 足が止まる。

 少し進んだところで、佐野君も自転車を止めた。彼が振り返る。

「いや、別に今好きなわけじゃないからね?」

 だからそんな引かなくても、と彼は困った様に笑う。

「ここではっきりさせた方がよくない? 協力するよ」

 佐野君が言う。

「そう、です」

「やっぱりねー」

 何故か勝ち誇った様に佐野君はいうと、もう一度、今度は弱く地面を蹴った。

 遅くなった自転車に慌ててとなりに並ぶ。

「よくわかったね」

「だから最近そういうの多いんだよ。まあ、堂本あんなんだし。別に俺ああいう目立つタイプじゃないし。なんていうの、絶賛引き立て役?」

 けらけらと笑う。笑ってはいた。

「白井さんが堂本と話せる様に気使うからさー」

 だから、と佐野君は前を見たまま言った。

「がんばって」

 あれから、佐野君が気を使って堂本君と話せるようにしてくれてるのが分かる。廊下で通りがかったときに話しかけてくれたりとか。

 堂本君に名前を覚えてもらったのも佐野君のおかげだ。

 だから、美優の言うようなことはない。佐野君はわかった上で協力してくれている。さっきの悪戯っぽい笑い方も、よかったねの意味だ。

 佐野君は普通の友達だし、協力してくれていることには感謝している。

 ほんの少しだけ、「引き立て役」と笑った時の彼の顔が頭をちらつくだけだ。


 放課後、生徒会室のドアをあけると、佐野君だけがそこにいた。

「おつかれー」

 佐野君が片手をあげる。

 適当な席に腰掛ける。

 佐野君はアンパンを食べていた。

「おやつ?」

「おなかすいちゃってー」

「昼休みにあれだけ遊んでたらねー。あ、今日もありがとね。名前、呼んでもらったし」

「ああ、うん」

 イマイチ歯切れが悪い。

「佐野君?」

「あのさー」

 佐野君はこっちを見ると、

「言おうか迷ったんだけど。堂本のことなんだけど、堂本は」

「おつかれーん、一年生諸君!」

 佐野君の言葉を遮るように勢いよくドアがあいて、生徒会長の異様に高い声が響く。

「なぁにー、佐野ぉー、おやつー?」

 生徒会長が佐野君に絡みに行く。佐野君は先輩達には妙にモテる。モテるというか、いじられているというか。

「アンパンかー。メロンパンの方があたしは好きだなー」

「知りませんよっ」

 二人の話を聞きながら、もやもやした気持ちを抱える。

 堂本は、の続きは何?


 佐野君があの日何を言いたかったのかは、数日後に判明した。

 堂本君にカノジョが出来たからだ。

 美優教えてくれた情報によると、どうやら堂本君の方がベタ惚れで、ずっとアタックを続けていたらしい。それこそ、六月頃から。

 目立つ系じゃなくて地味な感じの、無口で無愛想な子らしい。顔は可愛いらしいけど。

 私も見かけたことがある子だ。よくは知らないけど、図書室で静かに本を読んでいた。長い黒髪の、私とも堂本君とも似ていないタイプの子。

 頑張っても無駄だったんじゃん。堂本君には好きな子がいて、しかも私とはタイプが違うなんて

 ポケットの中のケータイが震える。佐野君からのメール。

「放課後生徒会室にいる。必要だったらだけど」

 今日は生徒会ない日なのに。必要だったら、という言い回しに気を使ってくれているのを感じる。真面目だなぁ。

「おつかれー」

 生徒会室のドアをあけると、いつものように佐野君が座っていた。

「よかったらどうぞ。どっちがいい?」

 差し出されたのはイチゴミルクとアセロラジュース。どっちも私の好物で、気遣いに少し感謝した。悩んだ上で、イチゴミルクの方をとる。甘いものが、欲しいなー。

「この前、言っといた方がよかった?」

 しばらくの沈黙のあと、佐野君が言った

「言われていても変わんなかったよ」

 だって私、

「あんまり傷ついていないから」

 もっと泣きたくなるのかと思った。傷つくのかと思った。でも今、ああそうなんだ、としか思えない。

「きっと恋じゃなくて、ただの憧れだったんだよ」

 だから、今こんな普通なんだ。

「憧れだとだめなの?」

他所を見ながら佐野君が言う。少し早口に。

「恋のきっかけはひとそれぞれじゃん。憧れだって恋に変わるよ。気持ちを否定しなくて、いいじゃん」

 佐野君がこっちを向いてゆっくり笑う。

「まだ事態が飲み込めてないだけかも知れないし。泣かないからって恋じゃないわけじゃないよ」

 と思うよ、と小さく呟く。そして

「あ、それとも憧れだと思った方が気持ちが楽? それなら無理に恋とか思わない方がっ」

 ちょっといつもより高い声で慌てたように付け足す。

 その様子がなんだか可愛くて、おかしくて、ちょっと口元が緩んだ。

「ありがと」

 私が笑ったから、佐野君が少し安心したような顔をする。片手に持ったままのアセロラに思い出したように口をつける。

「何も出来ないけど、愚痴ぐらいなら聞くからさー」

「ありがと。佐野君は、優しいね」

 言うと、佐野君は一瞬眉をひそめてから

「それぐらいしかとりえないからねー」

 と、けらけらと笑った。あの時みたいな笑い方だ、と思った。

 その後、ちょっとだけ雑談をして、また駅まで送ってもらってから別れた。佐野君はなだめるような穏やかな笑顔をずっとしていた。

 家に帰って一人の部屋。制服を脱ぎ捨てて中学のジャージに着替える。ベッドに倒れ込む。早く起きて巻いた髪が崩れるけど気にしない。どんなにお洒落しても意味がなかった。堂本君が選んだのは別の子だ。返せ私の睡眠時間。

 見慣れたピンクのベッドカバーが滲む。目を閉じる。

 ホントだ、一人になると泣けるんだね。終わってしまったんだ。告白も、できないなんて。

 しばらく目を閉じたままでいた。でもそんなに落ち込んでいないのは、多分あの笑い顔が頭から離れないからだ。

 どうして佐野君はあんな風に笑うんだろう。


 その後、特に何も起こらないまま、気づいたら12月になっていた。もうすぐ期末があって、そして一年が終わる。

 あれからなんとなく気まずくて、ベランダから外を見る事もなくなった。

 佐野君は何事もなかったかのようにしてくれている。

 試験前一週間は、生徒会もお休み。図書室で勉強してから帰ろうかなぁ、と普段足を向けない図書室まで行ってみたら、

「堂本君?」

 入口の前で廊下に座り込んだ堂本君がいた。

「あ、白井さーん」

 ひらひらと動く右手。

「何してるの?」

「んー、カノジョ待ち。帰りに一緒に勉強しようって。最初、超嫌がられたけど」

 笑う。嬉しそうに。

「なんかひさしぶりーだね。最近、ベランダに出てないからどうしてんのかなーと思って」

 にこにこと笑いながら言う。相変わらずの茶色くて柔らかそうな髪、気崩した制服。一つだけ違うのは、胸に下げられているアクセサリー。

「んー、最近外寒いし」

「まあ、冬だもんねー。でも、また見てよ、俺のスーパーシュート! 清澄も気にしてるし」

「佐野君が?」

 そっか、心配されてるんだろうなー。失恋したわけだし。

「なんで毎日外で遊んでるの?」

「もともとは、五月の球技大会のための練習。知らない人ばっかりでいきなりやっても難しいから、遊びでいいからやろうって清澄がいいだして。球技大会終わってもなんか楽しくってさー」

「てっきり、言い出しっぺは堂本君かと思ってた」

「俺、盛上がるのは好きだけどそうやって仕切るのは苦手。俺が言うと楽しいからやろうよ! っておしつけがましくなっちゃうし。清澄はすごいよー。運動苦手な子とかやる気がない子にもけっして強制はしないで、でもさりげなくからめとっていく感じ。上手く言えないけど。うちのクラスが球技大会で勝ったの、清澄のリーダーシップのおかげだよ」

 ほんの少し意外だった。堂本君がぐいぐいひっぱっていっているんだと思った。

「だから俺、清澄のこと尊敬してる」

 そう言って屈託なく笑う。一緒に、胸元のアクセサリがはねた。光る。痛い。

それをそっと指差し、

「……ねえ、堂本君、それ、カノジョ?」

 意を決して、小声で聞いてみると、堂本君はものすごく嬉しそうな顔で笑った。眩しい、なー。

「そー、お揃い! いいでしょ?」

「幸せそうだねー」

 顔中を笑みにして

「超幸せー!」

 本当に嬉しそうに言う。痛い。

「……カノジョのどこが好きなの? 堂本君が猛アタックしたって聞いたよ?」

「そんな話、出回ってんのっ?」

「そりゃ、堂本君、人気者だから」

 言うと、彼は少ししぶい顔して

「それ。カノジョは、俺の事好きじゃなかったから。だから」

 言いながら、ゆっくりと笑みを作った。

「よくわかんないけど俺こういう外見だから割と目立ってて、バスケも別に好きでやってるだけなのに活躍したからか、っていうかさっきも言ったように球技大会は完全に清澄のおかげなんだけど。まあ、自分で言うのも恥ずかしいけど人気でちゃって」

 ああ、それは、私の事だ。

「別にいいんだけど。そういうの、なんか、上辺だけ見られてるみたいじゃん? なんかミーハー?」

 うん、と相槌を打つフリをしながら口元に手を持って行く。こっそりと、唇を噛む。それは、私の事だ。

「でも、沙耶は」

 堂本君の口から出た、女の子の下の名前に心が震える。そういえば、彼はどんなに仲良くなっても他の女の子は名字にさん付けだ。私も含めて。

「沙耶は、そういうの全然なかったから。校則守れって怒るし、バスケだって興味なさそうだし。勿論、好きになった理由は他にもたくさんあるんだけど、それでも俺の内面を見てくれているのが沙耶からは伝わるから」

 言って、うわー、なんだよ言わせんなよー、と赤くなった顔を立てていた膝に埋める様にする。

「絶対、内緒な」

 顔をあげて、まだ赤い耳のまま笑う。

 胸の辺りがちくちくと痛い。今、お前は確実にないと告げられた。別に、外見だけで好きになったわけじゃないのに、上手く言い返せない。堂本君はきらきらしてて目立っていてて、綺麗に制服を着こなして、それ以外に、なに?

「内緒ね」

 なんとか笑う。

「じゃあまた」

「うん、またねー」

 ひらひらと片手をふる。

 図書室のドアに手をかける。ドアについた窓越しに図書室の中が見える。

 あの長い黒髪は、堂本君のカノジョだ。貸出カウンターに向かっている。難しそうな本を抱えて。私はあんな本読めない。

 周りに人がいない。カノジョもまだこっちに来ない。

 ドアから手を、離す。

「堂本君」

 振り返る。どうしたの? と笑う。彼はいつも、笑ってる。

「好き、です」

 笑顔がかたまった。

「ごめんなさい、言っても意味ないんだけど言いたくて、私さっき堂本君が言ってたみたいにただのミーハー心だけど、でも」

 泣きそう、だ。ぎゅっと握った手に力を込める。

「でも、堂本君いつも笑ってて、いいなって。すごく、嬉しそうに笑うから、みてて幸せになれるから。ただの憧れ、なのかもしれないけど」

 ゆっくり息を吐く。

「ごめんなさい、好き……」

「ごめんっ」

 慌てた様に堂本君が立ち上がる。胸のシルバーがはねた。

「ごめん、さっきのは別にそういう意味じゃなくて。でも、ごめん。白井さんのこと傷つけるつもりはなかったんだけど」

 近づいて、必死に彼が言う。

 耐えられなくてあふれた涙を必死に拭いながら首を横に振る。堂本君が悪いんじゃない。

「ごめんね。ありがとう。嬉しい。でも」

 顔をあげる。堂本君は真面目な顔をしていた。バスケしている時みたいな。

「でも、ごめん。俺は、カノジョが一番好きだから」

 首を横に振る。カノジョがいるって知ってて告白したんだから、そんなに一生懸命ふってくれなくていいのに。

「また、ベランダに出ても、いい?」

「もちろん」

 できるだけ笑って言うと、少しだけ堂本君が安心したような顔をする。

「ありがとう」

「うん、ごめんね」

「ううん。……ねぇ、堂本君。笑って」

 確かに見た目で好きになったのかもしれない。ミーハーなのかもしれない。それでも、一番のきっかけはシュートを決めた時の笑顔。そのあとも見るたびに彼は笑っていた。

 あの顔に惹かれていたのは、間違いない。

 堂本君は、ゆっくりと笑みをつくった。いつもよりも強張ったような顔。それでも十分だ。

「ありがとう」

 また泣きそうになるのを堪える。そろそろカノジョか、他に誰か来るだろう。

「またね」

「うん、ありがとね」

 いつもみたいに堂本君が片手をふる。出来るだけ微笑むと、図書室には背を向けて、堂本君の隣を通り抜けて、廊下を、階段を駆け抜ける。

 じくじくと胸が痛い。それでも、好きって言えて良かった。

 唇を噛む。泣くのは家に帰ってからだ。

「うわっ」

「きゃっ」

 階段の踊り場で人にぶつかってしまった。

「ごめんなさい、余所見してて」

「白井さん?」

 声に顔をあげる。

「……佐野君」

「ごめん、大丈夫?」

 ずれた眼鏡を直しながらゆっくり微笑む。

「目、赤いけどどうかした?」

 佐野君は微笑んだまま首を傾げる。泣きそうになる。慌てて顔を下に向ける。

「……告白した。ふられたけど。あたりまえだけど。言わないまま、終わらせたくなかったから」

 下を向いたまま早口で告げる。

「がんばったね、おつかれさま」

 二回、軽く頭を叩かれる。温かい手に涙がこみ上げる。

「帰れる?」

 右手の袖でぐっと目元を拭う。顔をあげる。

「大丈夫」

 佐野君がゆっくり微笑む。

「じゃあ、気をつけてね」

「ありがと」

「なんかあったら連絡してね」

 佐野君は微笑んだまま言った。今は、何も細かく聞いてこないのがありがたい。そして、泣いている顔を見ない様に気を使ってくれていた。おしつけがましくない優しさ。

 佐野君に背を向けたまま階段を、ゆっくりと降りて行く。ありがとう。


 次の日の昼休み、意を決してベランダにでた。すこし、ためらいはあったけど。

「友梨久しぶりじゃん、外出るのー」

「だって寒いじゃーん」

 美優の言葉に曖昧に返事する。コートを着ててもやっぱりベランダでじっとしていると寒い。

「しかし、堂本君達は元気だねー」

 今日も変わらずバレーもどきをしている。五人で、どういうルールなのかはわからないけど楽しそうだ。

 転がったボールを追いかけていた堂本君が顔をあげる。目が合う。少し驚いたような顔をして、それからゆっくりと、笑った。

「白井さーん」

 手をふる。何事もなかったかのように接してくれてる。

 堂本君の後ろで、佐野君も片手を振った。少し、安心したような顔。

 そしてまたバレーに戻る。

 視線で追うのは、大人しめの黒髪。堂本君たちのグループ、他は皆運動部なのにちゃんとついていけるっていうのは、それなりに運動も出来るんだろうなー。

「佐野って、新しい会計なんだよねー?」

「そうだよ」

「ちょっとかっこいいよねー。そういうインテリ系も。落ち着いた大人っぽいかっこよさっていうのもいいよねー」

 胸がざわざわする。なんか、嫌だな。

「でもちょっと頼りないかなー」

「あー、そうなんだー」

 頼りない? あんなに色々助けてもらったのに。私の嘘つき。

 黒髪を目で追う。

 頭をよぎるのは「引き立て役」と笑ったあの時の顔。

「寒いから中はいろうよー」

 美優の言葉に軽く頷いて、教室に戻る。ちらっと校庭の方を見る。黒髪と、目があったような気がした。


 色恋沙汰はさておいて、明日から期末試験。さすがにみんな帰るのがはやい。明日は、英語と生物か。頭の中で予定をたてながら、帰ろうとする。いつもの通り、生徒会室の前を通りすぎて下駄箱に向かい……、あれ? 生徒会室電気ついてた?

 戻ってそっとドアをあける。

 きしんだドアの音に、中にいた人の肩がびくっと動く。

「……なんだ、佐野君」

「し、白井さん。うわー、びっくりした。どうしたの?」

「電気ついてたから……。佐野君こそ、なにしてるの?」

「ああ、会計の仕事終わらなくて。今日中にやっとかないと」

「一人で? もう一人の、花山さんは?」

「明日の試験、赤点とりそうでやばいんだって。泣きそうな顔するから。俺はまあ、英語と生物は得意だから」

 やばいのは明後日の数学、と笑ったまま続ける。

「だからって何も一人でやらなくても」

「まあ、すぐ終わるし。これぐらいやらないとさ、俺役に立たないし」

 笑う。あの時みたいな笑い方で。なんだろう、なんか、もやもやする。

「なんでいつもそうやって卑下するの?」

「え?」

「堂本君が言ってた。球技大会の時、勝ったのは佐野君のおかげだって、佐野君が、皆を上手くまとめてたからって。尊敬してるって」

 どうしよう、なんだか泣きそうだ。

「私だって、佐野君には沢山助けてもらったのに。堂本君のことで協力してもらったし、慰めてもらったし。佐野君のおかげなのに。もっと図々しくしたっていいのに」

 そうだ、あの時から感じてた気持ち。ずっと思ってたこと。もやもやしてた感情。

「私は、引き立て役だなんて、思っていないよ?」

 佐野君は驚いたような顔をしたあと、ゆっくり息をはき、机に肘をついたまま頭を抱える様にした。

「あのさ、期待、するからさ。やめようよ、そういうの。最初に確認したんじゃん。堂本の事が好きなんだよね? って」

 ちょっと怒ったような声。

「どうでもいい子にわざわざそんな、協力するわけないじゃん。あの時、勘違いして好きになったら困るからって言ったけど、ごめん」

 顔があがる。黒いフレーム越しにじっと見つめられる。

「やっぱり、好きだよ」

 部屋の音が止まる。

 何かいわなくちゃと口をひらいて、何も言えずにまた閉じた。

「……ごめん、困るよね」

 先に口を開いたのは、佐野君だった。

「でも、酷い言い方だけど。白井さんふられたんだから、本気だしてもいいよね」

 じっと見つめられる。真剣な目で。

 しばらくの沈黙のあと、佐野君は下を向いて、ふっと笑う様に息を吐いた。

「冗談だよ」

「いいよ」

 遮る様に言う。

 あっけにとられたような顔をして、佐野君が顔をあげる。

「期待して、本気だしなよ。佐野君は皆のために色々してるんだからもっと、図々しくてもいいよ」

「……からかってる?」

佐野君が眉をひそめる。

「違う」

 首を横に振る。

「確かに私失恋したばっかりだし、自分でも気持ちの整理ついてないし、それなのにこんなこと言ったら軽いみたいだけど、それでも、やっぱり」

 佐野君の目をとらえる。

「引き立て役だなんて、思っていない」

 挑む様に見つめる。

「……ありがと」

 佐野君が笑う。あの時みたような笑い方じゃなくて、嬉しそうに。肩から力が抜けて、座っていた椅子に緩く背中を預ける。

「超嬉しい」

「そうやって笑うの、見たかったの。佐野君はよく、哀しい顔をして笑うから」

 あの時みたいに。

 佐野君は少し顔を赤くして、額に手をあてて一つ息を吐いた。

「……白井さん、それ、本当に勘違いするよ?」

「すれば良いって、言ったでしょ?」

 今はまだはっきりした気持ちはわからないけど。これが恋なのかわからないけど。昨日の今日で恋だとするのは躊躇われるけど。優しいとこ、みんなのことちゃんと考えてるとこ、尊敬してる。

 佐野君はしばらくじっと私の顔をみてから、緩く笑った。

「オッケー、じゃあ本気出すから。覚悟しといて」

「うん」

 頷くと笑った。

「仕事、邪魔してごめん」

 佐野君は慌てて椅子に座り直す。

「そうだそうだ、これ出さないと」

 言ってボールペンを持ち直す。

「私、帰るね」

 手伝おうかとも思ったけど、今の状態じゃ無理だ。

「気をつけてね」

「佐野君もがんばって」

 早足で生徒会室をでて、後ろ手でドアを閉める。

 やだ、今頃になってものすごくドキドキしてきた。私、なんてこと言ったんだろう。

 逃げる様に生徒会室から離れる。

 大体、あんな笑顔は反則だ。火照った頬を抑える。

 鞄の中でケータイが鳴る。突然のことの少しびっくりした。気をつけてね、とだけ書かれた佐野君のメール。

 どうしよう。本気になるって、どんな?

 でも、頭をよぎるのはもうあの哀しい笑い方じゃなくて、さっきの嬉しそうな顔だった。

 もしかしたら、だけど。二カ月後のバレンタインは、はりきることになるかもしれないな。少し思った。

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