第30話 兆候
なにやら外が騒がしい。僕はその喧騒によって目を覚ます。外を見ると日が傾きかけていた。傷の療養中とはいえ少し眠りすぎただろうか。
とはいえ、まだ僕の体のだるさは抜けない。なんだか熱が熱もあるようだ。これは完全に病気に罹ってしまったようだ。やはりあの実験はシモンさんの言う通り無理をしすぎたようだ、と僕は後悔の思いを抱く。
外の騒がしさはまだ治まらない。それどころか間近に感じるほどにどんどん五月蝿くなってきている。そして強く音を立てて、僕の部屋の扉が開かれた。
僕は重い体を起こして扉の方を見る。そこにいたのは二人の村の男と……
「ケルビン……!」
僕は起きがけの掠れた声で来訪者の名前を呼ぶ。ケルビンは二人の男に両肩を担がれ、ぐったりとしている。
「アランさん……! ヨナさんが……ヨナさんが……!」
ケルビンは胸に深い傷を負っていた。それはまるでネビルの村の調査をした時に謎の男と戦い、傷を負ったヒューゴのように。
そんな体で彼は何かを伝えようとしている。
「だ、大丈夫!? なにが起きたんだ!?」
僕は二人の男を交互に見る。しかし、男たちは黙って首を横に振るだけだ。
再度、僕はケルビンに視線を戻す。怪我によって意識がおぼろげなのか虚ろな目をしている。しかしケルビンはそんな体でも僕に必死に語りかける。
「ヨナさんが……連れ去られました」
僕は自分の耳を疑った。そんなことことがあり得るはずがない。僕の思考は事態を把握することよりもケルビンが告げた事実の否定のために動いていた。
「まさか……。ヨナは魔法使いだ。誰に連れ去られるって言うんだ?」
そうだ。ヨナは魔法使いとして実力を認められた人だ。オオカミからも僕を助けてくれた。彼女に敵う人間なんてこの世に存在しないだろう。そんな彼女が連れ去られるなんて……ありえない。
しかし、ケルビンの目はおぼろげながらもしっかりと僕を捉え、自分の言うことは真実だと言わんばかりだ。
「兄ちゃんに傷を負わせた奴だ! あいつがまた現れたんだ!」
ケルビンの突然の叫びは周りには錯乱した者のように思えるかもしれない。しかし、その意味は僕にはしっかりと伝わった。
ヒューゴを傷つけた男。僕はその男の姿を見てはいない。しかし、剣術の達人であるヒューゴに痛手を負わせた男の存在は知っていた。そいつがこの村に現れたということか……!
僕は二人の男に聞く。
「他に怪我人は!?」
「……いや、いない。そいつが遺跡の方から歩いてきたんだ。俺たちも何が何だか……」
男のうちの一人が答える。
遺跡か。僕は結局そこの調査には行けなかったが、シモンさんとヨナの話し合いに参加したことでその場所の存在は知っていた。
「……てください」
「え?」
僕の言葉を聞き取れなかったのか男は聞き返してくる。
「今すぐ『魔の民』に伝えて下さい! 族長が何者かに連れ去られたと! 場所は遺跡の近く! 急いで!」
僕は二人の男に怒鳴りつける。病気の身だと言うのに先ほどまで重かった頭が急激に冴えていくのが分かる。
二人の男は僕の剣幕に事態を把握したのかドタドタと音を立てて家の外へ飛び出して行った。
僕はケルビンをベッドに寝かせて、外に出る準備をする。やるべきことは決まっている。ヨナを探しにいくのだ。この事態を『魔の民』が把握すれば彼らもそうするはずだ。僕は逸る気持ちを抑えきれずに家を飛び出す。
冴えた頭と違い体は重く、僕は家の扉を開けたところで転んでしまう。
痛みに僕は声を上げる。しかしこんなところで立ち止まっている場合じゃない。僕は立ち上がろうと手で体を押し上げる。そのときに僕の眼は捉えてしまった。僕はあり得ないと思っていた光景に困惑を隠さずに言葉にだす。
「……ははっ。……嘘だろ?」
僕の腕に
黒い斑点があるのを。
——————————
——コッ……コッ……コッ……
私はその靴音によって目を覚ました。微睡みのせいか体がまだうまく動かない。
うーん……。レット? もう少し寝かせて。ちゃんと後で仕事はするから……。
そう言葉を紡ごうとするがなぜか声が出ない。
不自然な位置にある腕を不思議に思い、動かそうとした時、私は気づいた。動かないのではない。動けないのだ。私の両手が後ろで縛られている。腕だけではない。足までもが縄で縛られている。それに気付いた時、私の身に何が起きたのかを思い出した。
確かマハーシーラとかいう男に襲われて……それからの記憶がない。事態を把握しようと思い出そうとするが無い記憶はどうやっても取り出せない。何にしろ、私が陥っている事態は極めて危険な状態だということだ。
周りを見ると暗い部屋の中であることが分かる。部屋の隅に明かりがみえる。そこにいたのは……
「おや? もう起きましたか。流石は膨大な魔力の持ち主。回復も早いのですね。これは良い結果だ。もうちょっと待ってて下さいね」
そう穏やかに告げる男の名はマハーシーラ。私を襲った張本人だ。恐らく、奴が私をこの部屋に運び込んだのだろう。私はマハーシーラに体を触られたという事実に得もいえぬ嫌悪感を感じる。
私は奴を睨みつけた。しかし、彼はもう私の方を見てはいない。明かりに照らされた机に向かって何か作業をしている。手にはペンを持っており、何かを書き込んでいるようだ。
作業が終わったのか書き込んでいた本をパタンと閉じる。そして違う本を取り出してペラペラとページをめくりながら私の元へ歩いてきた。
「……何をする気?」
私は苦し紛れの時間稼ぎのために会話を促す。
「何を……? ふっふっふ、決まっているじゃあないですか。魔法の実験ですよ。貴方を使ってね」
「……どういうこと?」
私はマハーシーラの言葉の意味が分からず、問いを重ねる。奴はため息交じりにその答えを言ってきた。
「ふぅ、仕方ないですね。冥土の土産です。説明してあげましょう。私は魔法を研究しているのです。……しかし今それが煮詰まっていましてねぇ。大きな魔法を使うためには大きな魔力が必要となります。そして貴方は最高の魔力の持ち主です。ここまで言ったら……もう分かりますよね?」
マハーシーラはニヤニヤとした表情で私を舐めるように見る。
「……外道が」
私はマハーシーラを睨む。
「仕方ないのです! 大きな発明には犠牲がつきもの! 貴方はその礎になれるのです。これは喜ばしいことですよ?」
私がそんな風に思うと本当に思っているのだろうか。そうだとしたらこの男は完全に狂っている。狂っていなければこんなことはできない。
「それにこの森には魔力が溢れています。この森で過ごせばただの一般人ですら魔法使いになれるでしょう。それくらい偉大な場所なのです。ここは!」
だから何だというのだ、と一瞬思うが私はハッとする。この男は狂っているが、もし言っていることは本当だとすれば、私達の魔法の探究も一歩先に進めるかもしれない。
しかし、そのために今、私が犠牲となってしまっては意味がない。どうにかここから逃げる方法はないだろうか。
私は魔法を使おうと意識を集中する。その兆候として私の髪が輝き出した。しかし、その光は次第に輝きを無くしていく。私はそれを不思議に思い、顔を上げてマハーシーラを見ると私の方に手のひらを向けていた。
「まだ話の途中ですよ? 行儀の方はなっていないようですね。学習能力も低いと見える……」
奴は私を罵るが私にそんな言葉は響かない。それより何故私の魔法が発動しないのかが分からない。こんな経験は初めてだ。
「その顔を見るとどうして私が貴方の魔法を無効化しているのか疑問に持っているようですね。違いますか? んん?」
マハーシーラは私を挑発するように顔を突き出す。この上なく憎たらしいその表情に私は怒りを覚える。私がどんな罵倒を浴びせようとも奴は喜ぶだけだろう。だから私は言葉を出せずに唇を噛む事しかできない。
「これは一番の私の研究成果ですよ。魔法を扱う時に放出される魔力を魔法の発動の前に吸収する。言葉で説明するのは簡単ですが、この技術を開発するのに何年かかったことか……」
その苦労を大袈裟に体で表現しているが、そんな苦労は私の知ったことではない。
魔力を吸収する魔法……そんなものがあるとは思いもしなかった。だとすれば私はこの男に対して……無力だ。何一つ抗う術を持たない。
どうすれば良い? どうすればこの状況から抜けられる? 魔法を使えない今、頼りになるのは何?
私は必死に考えるが何一つ思い浮かばない。
マハーシーラは袋を取り出し、その中から何かの粉を手にとって私の周りに円を描き始めた。
「……何をしているの?」
私は疑問を素直に言葉にする。
「んん? これは実験の下準備ですよ。この粉は魔力の通りが良い、魔法の粉です。ある木の樹液から精製したものです。これ自体が魔力の塊でもあります。これを作るのも大変でした。これで魔方陣を描きます。そしてそれに貴方が魔力を流し込む。そうして初めて私の大魔法が完成するのです!」
魔方陣? そんなもの聞いたことがない。それに……
「そんなこと……私がすると思う?」
マハーシーラは文様を描き終えると私に手をかざす。
「しますよ。そうでなければならない。私は魔力を吸収できるのですから、魔力を強制的に引き出すことも容易にできます。あなたがイメージする必要はありません。それはこの魔方陣が代わりにやってくれます。貴方は魔力を流し込むだけ……」
私の髪が輝きだした。そして体に熱を感じ始める。急激に身体中の魔力が抜け出るような感覚。そして脱力感に襲われる。
「う……ぐぅ……!」
私は何とか抗おうと唸るがどうしようもない。
マハーシーラが目の前でニヤニヤ笑いながら私に手をかざしている。
「ふっふっふ! やはり最高ですよ!貴方は! もう少し……もう少しで!」
マハーシーラはその興奮に叫ぶ。
私の体にはもう抗う力も残っていない。
——もうだめだ。
そう思った時、
閉ざされていた扉が勢いよく開いた。
そこにいたのは
「はぁはぁ……ヨナ……見つけたよ」
魔法に恋い焦がれる男の姿だった。
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