第29話 悪夢


 それからも僕は魔法の研究を続けた。これ以外に僕がここにいる理由が見つけられない。焦燥に身を任せて無理をしてでも僕は研究を続けた。それは無茶苦茶なものだった。

 一つ目の実験、アリアの魔法を受けてみる。彼女に僕を空中に浮かす魔法をかけてもらったのだ。結果は……失敗だろう。自分が魔法を使えるようになったと勘違いして自由に飛び回るのも束の間、他人の操作は難しいらしく、僕は落下してしまった。

 二つ目、アリアが以前起こした魔力の暴走とも言える小爆発を間近で受ける。そして周りに舞うキラキラと光る粉末を身体中に浴びる。正直これは失敗だった。特に魔法が使えるようになったわけでもなく、僕は怪我をしてしばらく寝込む羽目になってしまった。


 タイムリミットはいつ来るかわからない。それは『魔の民』がこのマーレの村を去ってしまう時だ。多分ヨナたちは遺跡の調査が終わればすぐにマーレを去ってしまう。僕はそれについて行くことができるのだろうか……。無理矢理ついて行くことはもちろん可能だろう。人数が多い分、進む速さも遅い。ケルビンが『魔の民』に合流した今、僕は独り身だ。荷馬車は二つあるが、一つはこの村に置いていっても良い。だけど、そんなことをしたらヨナは僕に失望するだろう。そうなってしまったら、もし僕が魔法を使えるようになったとしても『魔の民』に入ることは難しくなるかもしれない。だから僕はヨナたちが遺跡の調査を終えるまでに魔法を習得しなければならない。


 ベッドに寝ている間にも僕はできることをやるつもりだ。魔法を使うためには体に魔力を溜め込まなければならない。僕はとりあえず食事量を増やそうと思う。そうすれば実験で負った傷も早く癒えるだろうし、食事によって英気を養えばもしかしたらこの身に魔力が宿るかもしれない

 元々、魔法の研究で体がやせ細って来ていたから丁度良いだろう。僕のこれまでの旅で得た商品のほぼ全てを差し出したとはいえ、シモンさんたちには申し訳ない気持ちでいっぱいだ。


「若いからといって、あまり無理をするもんじゃないよ」


 シモンさんはベッドで寝込む僕に優しく忠告する。


「すみません。迷惑をかけてしまって……」


「お気になさるな。それより早く傷を治すよう努めなさい」


 僕は既に寝込んで数日になる。もしかしたらこれは傷のせいではなく悪い病気にかかってしまったのかもしれない。体がだるいし、少し熱もありそうだ。弱った体に鞭を打って食事をありったけ口の中に放り込んで沼に沈むように寝た。



—————————



 私は今、遺跡の調査をしている。濃い霊場調査しても恐らく得られるものはない。今日は最後の調査にするつもり。

 私は最近新しく入った『魔の民』のひとりケルビンを引き連れていた。私たちがこういうことをして旅をしているという紹介も兼ねて。

 遺跡には見たこともない文字が並んでいる。私には読めない。色んな言葉を知っているアランならもしかしたら読めるかもしれない。でもそんなことはお願いできない。理由はわからないが彼は『魔の民』への加入を心から望んでいる。そんな彼にお願いすれば喜んで願いを聞き入れてくれるだろう。しかし、そんなことをしたら彼に義理が生まれてしまう。もし、アランが魔法の謎を解き明かしたら、彼を『魔の民』に引き入れざるを得ない。魔法を使えない彼を……。それは古くからの掟で禁じられていること。それを破れば必ず災いが訪れる。私は『魔の民』の族長。そんなことをするわけにはいかない。


 私は壁に書かれている意味がわからない文字を指でなぞる。文字というより文様というべきだろうか。読めない私にはどちらでも関係ない。私がケルビンに帰宅することを言おうと振り返るとそこにケルビンはいなかった。外壁に描かれている文字を見にいったのだろうか。


 私が遺跡の内部から離れケルビンの元に行こうとした時、足音が響いた。


「おや? こんなところに人がいるとは……」


 現れたのは黒いローブを纏った男。フード深く被っているせいで顔は見えないがなにやら怪しい雰囲気を感じ取る。


「誰?」


「ただの旅人ですよ。あなたこそどちら様ですか?」


 男は危険はないとでも言うように両手をあげる。


「私は……ヨナ。旅人よ」


 私はまた嘘をつく。私もこの名前が気に入っているのだろうか? 偽名など特に意味はない。ただ怪しい人間に本当の名前を知られたくないというただの防衛本能。


「ほう、旅人ですか! ただの旅人がここで何をしているのですか?」


「……別に何も」


 男は同志がいることに喜んでいるように見える。私はそれを不快に感じた。


「ふーむ。そうですか。……フッフッフ、感じますよ。貴方の中に潜む魔力の奔流を。……貴方——」


 男の姿が消えた。そう思ったのも一瞬、男は私の目の前に突然現れる。そして醜悪な笑顔を浮かべた口元と淡く光る瞳が見える。男の手は私の頭を覆うように眼前に広げられている。

「——魔法使いでしょう?」


 私は目を見開く。この男は危険だ。私は手のひらに意識を集中してイメージする。この手のひらから爆炎が吹き出し、男を遥か彼方まで吹飛ばす様を。


 視界の隅で私の髪の輝きを捉える。そして私は力を解放するように魔法を発動する——!



 はずだった。



 私の髪は輝きを無くし、男の眼が一瞬強く光る。

 何をされたの!?

 私は困惑に震える。もう一度私は強く念じる。先ほどより強く、より繊細にイメージする。力を解放した時、男の眼がまた一瞬だけ強く光った。


「な……んで……?」


 男は薄気味悪く笑う。


「う〜ん? それは私も魔法使いだからですよ。私の名はマハーシーラ。魔法の研究をしているものです。貴方は逸材ですね。これほどの魔力を擁しているとは……。是非私の実験に付き合ってもらいたい」


 マハーシーラは私の意図とは異なる答えを出す。

 醜悪な笑顔は狂気に満ちたものだ。私は恐怖する。この男マハーシーラの笑顔に、そして私の魔法が通用しないことに。

 私は魔法の才能だけで『魔の民』の族長に選ばれた。その中で一番強い魔法を使えるのは私だ。その魔法がこの男には通用しない。私が大人になってからは感じなくなったある感情が再び芽を出した。


——怖い。


 魔法を使わない私はただの人と変わらない。今まで憎んでいたものがこれほどまでに私の心の支えになっているとは知らなかった。私が声を出せないでいるとマハーシーラの手はどんどんと私に迫ってくる。私に触れるか触れないかのところまで手が迫ってきた時、シャキンと金属が擦れる音がした。


「ヨナさんに何をしているんだ!」


 現れたのはケルビンだった。片手には剣をもち、マハーシーラを威嚇する。彼の登場に私は期待の眼差しを向ける。ケルビンはアランとともに旅をしてきて、剣士としての腕も確かだと聞いた。私が魔法を使えない今、彼が私の頼みの綱だ。

 マハーシーラが手を止めた瞬間に私は素早く後ろに引く。そしてケルビンの近くまで駆け寄る。


「おや? 君はあの時の子供ではないですか。しかし、貴方はもう用済みです。もっと良い逸材を見つけましたから!」


 マハーシーラは笑ってそう言う。

 私はケルビンの後ろに隠れて質問をする。


「ケルビン、あいつを知っているの?」


「いや、知らないよ。でも……悪いやつなんだろ?」 


 マハーシーラは笑いを止めて


「はぁ……。あの時は散々でしたよ。付いてきた男に痛手を負わされ、しばらく休まなければなりませんでした。しかしこれも巡り合わせです! 君がヨナを私の元に連れてきてくれたんですね! 私は感激です!」


 こいつが何を言っているのかわからない。

 しかし、ケルビンは何かを察したようで手を震わせている。


「ケルビン、大丈夫?」


 私はケルビンの心配をして声をかける。もし彼も恐怖しているなら……逃げるしかない。

 しかし、ケルビンは私の予想外の行動をした。


 ガキンと金属同士がぶつかり合う音が鳴り響く。ケルビンはマハーシーラに向かって一直線に飛び出し、刃を交えたのだ。マハーシーラはいつの間にか取り出したナイフでケルビンの剣を受け止める。


「せっかちですね。貴方には感謝の意を述べたいですが、あの男への借りは貴方に返させてもらいますよ!」


「お前が!ヒューゴ兄ちゃんを傷つけた男か!!!」


 マハーシーラとケルビンはお互いに吠える。私にはわからないがこの二人、過去に何かがあったようだ。私はそれを遠くで眺めることしかできない。


 情勢はケルビンの方が優勢だろう。武器のリーチが違う。剣とナイフではそもそもの殺傷能力に差がありすぎる。このまま時が経てばケルビンはマハーシーラに一太刀を浴びせることができるだろう。

 しかし、私の予想はマハーシーラが放った爆炎にかき消された。


「ケルビン!」


 私は煙が晴れるのをじっと待つ。いや待つことしかできない。私の足は恐怖にすくんでうまく動かない。やがて遺跡の室内の景色が浮かび上がる。一人は倒れていて、一人は立っている。倒れているのはケルビンだ。


 私はうまく動かない足を懸命に一歩ずつ前に進ませる。なんて遠いのだろうと思ってしまうほどに私の足取りは重い。

 なんでこんなときに私の足は動かないんだ! 動け! 動け!

 久方ぶりの恐怖の感情のせいだろうか。体は私の心の言葉に答えてはくれない。

 そうしていると、マハーシーラが私の方へ歩いてくる。


「さ、復讐は終わりました。あとは貴方を連れていくだけです」


 マハーシーラの手が再び私の頭を捉える。


——逃げなければいけない。でも……


 足が動かないのだ。私はこれ以上ないくらいの恐怖に顔を歪ませる。

 その様子が愉快だったのか、マハーシーラは笑って


「ふっふっふ、いい顔です。もっとその顔を見ていたいですが、今は眠りなさい」


 そう言うと彼の眼が輝く。そして私の意識は泥に埋もれるように落ちていった。

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